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管理人の旅日記 114 「長岡市摂田屋、サフラン茶屋・サフランあーとギャラリー」

2024年05月12日 | 旅行

長岡市摂田屋 「サフラン茶屋、サフランあーとギャラリー」 2024年4月11日 新潟交通のツアーで

(上)機那(きな)サフラン酒本舗の建物の壁に設置されていた案内板の画像。敷地内に建つ建物・当時のサフラン酒のラベル・家主、吉澤仁太郎の写真など。 この建物などは、通常 建物の一部を外から見学できますが、内部の見学は4~11月の土曜・日曜のみ、機那サフラン酒本舗保存を願う会の皆さんが案内して見学できます。今回 私たちのツアーが行ったのは平日。今年の内部見学は4月13日(土)から開始だそうです。冬期間や平日は建物の内部などを見学できない。そこで保存会の皆さんが今年の2月3日にサフラン酒本舗の道路斜め向かい、味噌星六の隣に仁太郎ハウスをオープンしました(下記案内図参照・定休日は火・水、10:00~16:00)。既存の建物をリフォームした建物で、「サフラン茶屋」「サフランあーとギャラリー」が入っています。茶屋は有料の喫茶店。あーとギャラリーは無料で入室できます。あーとギャラリーは保存会の皆さんが平日に来館した人に機那サフラン酒本舗の建物や吉澤仁太郎を知ってもらう為にオープンした部屋です。大変ためになる資料が多く展示していました。ツアーなので、ゆっくり見学している時間がないので展示資料の一部を撮影させてもらいました(下記に投稿)。阿賀野市に住んでいるとサフラン酒本舗や吉澤仁太郎のことを全く知らないので、有益な資料室だと思い見学しました。

(上と下)現在の「機那サフラン酒本舗の建物」 2024年4月11日撮影 建物の右側の蔵は、鏝(こて)を使って絵が描かれています。

(下)「サフランあーとギャラリー」の室内に展示していた昔のサフラン酒本舗の絵。石垣の高さが実際より高く描かれています。馬車で道を通行。着物姿の子供や旅人も描かれています。絵柄からして大正2年以降に描かれた絵でしょうか? 

(下)土蔵の壁面や扉には、鏝(こて)を使って描いた「こて絵」が。これは東洋のフレスコ画ともよばれ、十二支をはじめとする17種の動物・霊獣、9種の植物が描かれています。貴重な建物です。 この建物や敷地管理を「機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会」の皆さんが行っています。偉いです。前記市民の会の名前でホームページがあるので、ぜひ検索してお読みください。活動内容や建物の内部写真もあります。市民の会には、機那サフラン酒本舗を著書で取り上げた作家の荒俣宏さんも名を連ねています。年2回、有志の手で草取り。2013年秋に一般公開までこぎつけました。

 ←こて絵の蔵 大正15年(1926年)建築

 この鏝(こて)絵の作者は、隣家に暮らしていた左官・川上伊吉(かわかみ いきち)。元は酒や薪炭の商いを生業としていたが、なぜか冨山に修行の出て、日本の伝統的な左官表現である鏝絵を習得した。 鏝絵 → 土蔵の壁面などに描かれ、平に塗られた漆喰壁面に、こてを使って薄肉状に盛り上げ浮き彫りを施したもの。左官の卓越した技能を要し、明治期から大正期にかけて盛んだったが、100年を経て現存するものは少なくなった。初代・吉澤仁太郎は左官・伊吉と伴に各地を巡って構想を練り上げ、この作品を創り上げた。既存パンフレットによると、当時頻繁に小出町の西福寺開山堂を訪れたことから、石川雲蝶の影響を受けたことが推察される。 左官・伊吉の鏝絵はここにしか残されていないから、吉澤家専属の職人だったようである。

サフラン酒本舗と創造者・吉澤仁太郎の紹介

 長い石垣の敷地2,300坪内には明治27年(1894年)から昭和6年(1931年)の37年間をかけて造られた建物群10棟や庭園が広がる。その建物と石垣が登録有形文化財に指定されています。 

 創造者・吉澤仁太郎(にたろう)は古志郡定明村(じょうみょうむら)の農家に文京3年(1863年)6月2日に生まれました。慶応4年(1868年)5歳の時に、摂田屋村の小林重太郎家の養子になる。明治13年(1880年)17歳から薬種屋で働き、明治17年(1884年)21歳の時に勤めていた薬種屋で得た知識を活かし、オリジナルの薬用酒「サフラン酒」を考案。明治20年(1887年)薬酒製造免許を付与される。明治24年(1891年)28歳の時に、養子縁組を解消。小林から吉澤の姓に戻る。明治25年(1892年)「機那サフラン酒」商標登録。

 明治27年(1894年。31歳)に現在地に店を構え定明村から摂田屋に転居。「機那サフラン酒本舗」の看板を掲げる。明治28年(1895年)32歳の時に、佐藤ハマと結婚。 明治30年(1897年)頃から近隣の田畑や宅地を購入し、大地主に成長していく。

明治38年(1905年)42歳の時、銃印葡萄酒の製造販売を開始。この葡萄酒が空前の大ヒット。仁太郎に巨万の富をもたらした。明治44年(1911年)48歳の時に、精緻な彫刻が全面を覆う高さ10m超の大看板を建立「(上)の昔の絵の看板」。大正元年(1911年)家の大規模改修工事を始める。大正2年(1913年)50歳の時に巨大な鬼瓦を載せた大屋根などをしつらえた主屋増築。

大正5年(1916年)53歳の時、内外に鏝絵を施した土蔵「衣装蔵」を建築。衣装のほか、宝も収蔵した。大正7年(1918年)55歳の時に、堀井勇次郎を養子に迎える。大正12年(1923年)妻・ハマ死去。大正13年(1924年)61歳の時に、二山田ワカと再婚。大正15年(1926年)63歳の時に、なまこ壁と極採色の鏝(こて)絵を施した土蔵「鏝絵蔵」が完成。昭和6年(1931年)67歳の時に庭園に面して離れ座敷を建築。昭和15年(1940年)には、米を2,300俵出荷する大地主になった。昭和16年(1941年)庭木の手入れ中に刺さった棘(とげ)がもとで、77歳で病没。 昭和20年(1945年)の終戦後、財閥解体で没落した?

 平成16年(2004年)中越地震発生。建物や庭園に大きな被害を受ける。平成17年(2005年)NPO法人醸造の町摂田屋町おこしの会設立。平成18年(2006年)11月29日、鏝絵の蔵が国の登録文化財の指定を受ける。平成20年(2008年)鏝絵の蔵を地震の復興基金を活用して修復する。平成21年(2009年)庭園の草取り等ボランティア活動を開始。平成25年(2013年)秋、保存会の皆さんの努力で建物の一般公開にこぎつけた。平成27年(2015年)母屋入口部分に見学者を受け入れるスペースを整備。ボランティアスタッフによる土日公開スタート。平成30年(2018年)機那サフラン酒本舗の土地と建物を長岡市が取得

 サフラン酒は明治から昭和にかけて「養命酒」と勢力を二分した。新潟・山形・秋田・北海道と販路を拡げ、昭和初期にはハワイまで進出。後にワインやウイスキーも手掛け、商品を大ヒットさせた。初代・吉澤仁太郎が新潟名醸(株)を設立。小千谷市にある現在の新潟銘醸(株)で3代目の3男がサフラン酒を製造販売しています。新潟駅内にある「ぽんしゅ館」でも購入できます。 サフランは江戸時代に薬として伝わった。サフラン酒は、サフラン・蜂蜜・桂皮・丁子・甘草など16種類ほどの植物などの生薬の煎じ液にサフランを混入させ調整した。サフランとは西南アジア原産のクロッカス属の花。サフラン酒は疲労回復、滋養強壮のほか、冷え性、月経不順など婦人病にも効果があった。女性がなかなかお酒を飲む機会のなかった明治時代。酒でなく薬としてだったら飲めるということで、女性をターゲットにした商品だった。 仁太郎は、古志郡上組村(のち宮内町)の村議、村長、新潟県議、全国町村会副会長、関東糖油・灘鉄工所・埼玉糖油・新潟銘醸(株)取締役社長などを歴任する。

 2代目・吉澤仁太郎(1890年生~1956年亡)「1918年に28歳の堀井勇次郎が養子になる。初代死亡後に改名」 1946年の第22回衆議院議員総選挙において大選挙区制の新潟2区から日本進歩党公認で立候補し当選する・55歳。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。そのかわり、初代新潟県経済連の会長に。亡くなる直前まで新潟県農協中央会の会長だった。

 創業者・吉澤仁太郎(1863~1941年。77歳) 仁太郎の人生訓は「機先を制する者は過半を制する」

趣味→ 一番の趣味は花火。長岡の花火大会で、三尺玉の花火を一番最初に上げたのは吉澤仁太郎と言われている。趣味のひとつが庭造り。サフラン酒本舗の敷地内の庭は、全て仁太郎の手作りの庭。佐渡の大きな赤玉石、黄玉石ほか見事な巨石を配し、浅間山の噴火石等を財力に物いわせて集めた。当時は珍しかった錦鯉を庭の池に泳がせ、豪華な離れ座敷で客をもてなした。本人は質素な生活を好んだが、そのありあまる私財を庭や蔵に注ぎ込んだ。

宣伝方法 → 飛行機からサフラン酒のビラを撒いたり、屋根の上から小判を撒いたり、仁太郎は型破りな宣伝マンだった。豪快な人。サフラン酒が大ヒットした理由は、3代目の3男・吉澤義孝さんによると、①西洋風なものが好まれる時代のニーズ ②日本人の味覚に合う甘い味にしたこと ③仁太郎ならではの型破りな宣伝方法によること。 有名な逸話がある。行商に出かけた仁太郎は、行った先で薬屋に商品を持ち込んだ後、近くの宿に投宿。と、夜間に突然の腹痛に苦しみだし、宿の人に「薬屋で機那サフラン酒を買ってきて」とお願い。クィっと飲むと、あら不思議。たちどころに回復・・・という自作自演の宣伝がきっかけとなり、サフラン酒の人気に火がついた。又、機那サフラン酒というネーミングにもヒットの要因が。機那はマラリアの特効薬の原料になるキナという木の当て字。キナはサフラン同様、明治時代には大変に高価な薬種だった。漢方の薬酒には舶来のサフランとキナを組み合わせることで、新しさと有難さを強調し、注目度を上げようとした・・・と推測。

  ←青矢印先がサフラン茶屋

 ←「キナ サフラン酒」のラベル。 「機那」という文字でなく「キナ」という字を使用。 会社の住所が「古志郡中通村大字定明」とあり、「摂田屋」でない。名前が「本舗小林仁太郎」とあり、養子にいった「小林」の姓である。 このラベルは明治23年頃のものと考えられる。この写真は「サフランあーとギャラリー」の室内で撮影しました。

(下)機那サフラン酒とブドウ酒の新聞広告 (下右)裸婦の絵が描かれています。当時としては斬新な絵柄では?

詳しくは「サフランあーとギャラリー」で見学してください。吉澤仁太郎さん、魅力的な人物です。

 

これで「新潟交通 よもぎひら温泉・和泉屋」の一泊旅行は終了です。観光バスは4月11日 午後1時に新潟駅南口に到着。全員、無事に帰りました。

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管理人の旅日記 113 「長岡市摂田屋、旧機那サフラン酒本舗」

2024年05月04日 | 旅行

長岡市摂田屋 旧機那(きな)サフラン酒本舗  2024年4月11日 新潟交通のツアーで

(上と下)サフラン酒の製造販売で稼いだ産業王・吉澤仁太郎が金を惜しげもなく注ぎ込んで建築した「こて絵の蔵」。

長い石垣の敷地2,300坪内には明治27年(1894)から昭和6年(1931)の37年間かけて造られた建物群10棟や庭園が広がる。その建物と石垣が登録有形文化財に指定。敷地の横には「発酵ミュージアム米蔵」という新しく建築した店舗があり(下記地図参照)、摂田屋地区の製品や小千谷市の会社が製造しているサフラン酒などが購入できる。この建物は4月~11月、土日のみ一般開放。ボランティア「機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会」の皆さんが案内ガイドしてくれる。活動は検索すると画像入りで紹介されています。現在のサフラン酒は、新潟駅内にある「ぽんしゅ館」でも販売しています。

 鏝(こて)絵。東洋のフレスコ画とも呼ばれる。「こて絵」で飾られた蔵には、十二支をはじめとする17種の動物・霊獣、9種の植物が描かれている。

創造者・吉澤仁太郎(よしざわ にたろう)は古志郡定明村の農家に文京3年(1863年)6月2日に生まれた。17歳から薬種屋で働き、21歳の時に薬用酒サフラン酒を考案。明治27年(1894年。30歳)に現在地に店を構え転居。鏝(こて)蔵の建築を始める。大正15年(1926年)63歳の時に、こて絵の蔵完成。昭和16年(1941年)病没。77歳。

サフラン酒は明治から昭和にかけて「養命酒」と勢力を二分した。新潟・山形・秋田・北海道と販路を広げ、昭和初期にはハワイまで進出。後にワインやウイスキーも手掛け、商品を大ヒットさせた。現在は、3代目の3男が小千谷市の酒蔵でサフラン酒を製造販売。以下、次回に続きます。 次回で「吉澤仁太郎」の経歴などを詳しく投稿します。必見です。

(下)「摂田屋」という町名の由来。 (接待屋)に由来する説が有力だそうです。ここで使用した画像・地図・説明文は「長岡市 観光企画課が作成した<醸造の町 摂田屋>」をお借りして投稿しました。

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管理人の旅日記 112 「長岡市摂田屋、醸蔵」

2024年04月30日 | 旅行

長岡市摂田屋 吉乃川酒ミュージアム醸蔵 2024年4月11日撮影 新潟交通のツアーで

日本酒・吉乃川を製造している会社敷地内に、2019年秋にリフォームした醸蔵。吉乃川ファンとの繋がりを拡げる場所として使用。

 ← 醸蔵(じょうぐら)

建物内は製造している日本酒などを販売。飲食する場所もあります。そして(下)の写真のように会社の歴史や過去のポスターなども展示されています。

店内に設置されていた「飲み比べチケットの自動販売機」 醸蔵を訪れて目的のひとつです。以前に来た時は車の運転で飲めなかったのですが、今回はバスツアーなので心配なく飲めました。 数種類のコースがありました。

私が選んだコースは「8銘柄飲み比べ・30分限定おかわり可」。酔って正確な記憶がないのですが、少しツマミも提供されました。酒の味を比較できるよう吉乃川の仕込水「天下甘露泉」付きです。1,200円でしたが、おかわり自由なので私は高額の酒をグイグイ。多く飲んだので1,200円は安かったです。

(下)飲み比べできる8銘柄です。

醸蔵には、醸蔵限定の「醸蔵生原酒」も売っていました。美味でした。アルコール分 20度

 

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管理人の旅日記 111 「長岡市摂田屋、江口だんご」

2024年04月29日 | 旅行

長岡市摂田屋(せったや) 江口だんご 2024年4月11日、新潟交通(くれよん)のツアーで

(上と下)よもぎひら温泉・和泉屋を出発して、長岡市摂田屋地区へ。最初に「江口だんご」という店へ。

   

(下)江口だんご摂田屋店の入り口。正確な住所は長岡市摂田屋4丁目8番28号。ちょうど桜が満開で綺麗でした。店の所在は(上)の地図右上のピンクの矢印先。こちらの本店は信濃川の対岸、長岡市宮本東方町52-1。明治35年に初代が信濃川の長生橋で行き交う人々にだんご、煮しめなどをまかなう。昭和35年、3代目がだんご・大福専門店として、本格的に菓子店として営業。平治9年、有限会社おかしとだんごの江口に組織変更。平成17年、長岡市宮本町に5店舗目の直営店である「江口だんご本店」を開店。株式会社江口だんごに名称変更。

(下)江口だんご店の商品の一部(店のパンフレットから)。ほかに笹だんご・ちまき・祝用の升升半升餅(ますますはんじょうもち)・ドラ焼き・縄文古代餅など販売されています。

(下)店内の一部。色々な商品が展示されていました。(下右)購入した「串(小)5本 くるみ味噌」460円。美味でした。

(下)江口だんご摂田屋店の敷地に咲いていた 桜。 綺麗でした。

(下)江口だんご店の隣、1階お酒、2階は雑貨を売っている別棟の建物があります。この2階に「旅ねこ もり  としのり」さんのポストカードなどを販売しています。いいなぁ・・と思い、下記の絵葉書を買いました。

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管理人の旅日記 110 「よもぎひら温泉・和泉屋」

2024年04月26日 | 旅行

長岡市 よもぎひら温泉和泉屋へ  2024年4月10日 (新潟交通のツアーで)

(下)左下端の赤矢印先は和泉屋。 左端の黄色矢印先付近に高龍神社が位置します。

(下)高龍神社参拝後に宿に戻って入浴。4階にある「風の湯」へ。翌朝は婦人風呂と交換して入浴しました。

この宿の湯は、ph9.3のアルカリ硫黄泉。とろみの湯で、湯につかると肌がスベスベになりました。和泉屋専用の自家源泉。

(下左)風の湯の露天風呂。この写真と(上)は(下右)の宿の冊子「やまぼうし」から借用。浴室は撮影禁止でした。

   ←A5判 26ページ

(下左)玄関前にある錦鯉の池 (下右)1階にある500円で4盃飲める酒コーナー。12種類の酒がありました。

1階の「コーヒーラウンジやまぼうし」では、宿泊客はコーヒーやジュースが無料で飲めました(拍手)。

(下)お待ちかねの夕食。大広間で部屋ごとのテーブルで食事。ツアー客は夫婦・友人・親子?の皆さんでした。

 

 

 

 

 

酒をたしなむ私は行く時のバスの中でワンカップ酒(吉乃川)、夕食時に生ビール、夕食後に再び入浴。そして缶ビール。良い1日でした。

(下)2024年4月11日(旅行2日目の朝食) 美味でした。(和食中心の銘々膳+ハーフビュッフェ)

ご飯をお代わりし、身支度を整えて午前9時30分、旅館を出発。 次回に続きます。

 

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管理人の旅日記 109 「長岡市・高龍神社 2」

2024年04月24日 | 旅行

長岡市 高龍神社

  ← 神社に貼ってあった千社札。「斎藤ひとり」と弟子の「みっちゃん」

斎藤一人(ひとり)さんは1948年8月 東京都江戸川区生。「銀座まるかん」を創設。知っている人は知っているお金持ち。1993年以来、全国高額納税者番付(総合)にて10位以内にただひとり連続ランクインし、2003年には累計納税額で日本一。番付発表が行われていた2004年までに累積納税額は合計173億円。その斎藤ひとりさんが参拝し、千社札を貼っていったという事は「パワースポット」なのでしょう。

高龍神社は商売の神様として人気です。阿賀野市水原地区にあるラーメン店にも高龍神社のお札が祀っていました。

 ← 赤矢印先に「斎藤ひとり」の千社札

(下左)境内にある龍の石像 (下右)御朱印をいただく建物。1枚 500円でした。

 高龍神社の御朱印

(下)買ってきたお神酒。 長岡市の「お福酒造(株)」が製造。「お福」と、縁起の良い名前です。

   

 

 

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管理人の旅日記 108 「長岡市・高龍神社 1」

2024年04月22日 | 旅行

新潟交通(くれよん)「よもぎひら温泉 和泉屋」というツアーに申込、行ってきました。

2024年4月10日(水)~11日(木) 長岡市の御奥座敷、蓬平(よもぎひら)温泉 1泊の旅です。

北陸応援割という割引率50%の料金で行きました。大人21,000円(税込)でした。

新潟駅南口を午後1時10分発。途中2か所でお客を乗せ、まっすぐ和泉屋へ。

(上)宿泊した和泉屋(いづみや)。画面の右端に桜の木があり、テレビを見ていたら13日には少し桜が開花していました。残念です。

旅の目的は温泉ですが、旅館のすぐ近くにある高龍神社参拝も目的のひとつ。パワースポットとして有名です。

(上)高龍神社は宿から徒歩10分くらいの場所にあります。画面中央のトンネルの上あたりに神社があります。

 

(上右)右側の階段上「5m先?」にはエレベーター。階段の3分の2ほど途中まで行けます。中央の階段は長いです。

(下)エレベーターを降りると目の前に石の階段が。これから先は自分の足で昇ります。左側通行です。

(下)月刊誌・キャレル 2024年1月号掲載の宣伝ページから。

  

(下)もう少しで階段を昇り切ります。写真中央奥が高龍神社。

(下)高龍神社。私は25年ぶりの参拝です。

  写真の赤矢印先が「和泉屋」

 次回に続きます

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管理人の旅日記 107 「新発田市米倉・赤谷へ撮影日帰り 2」

2023年12月28日 | 旅行

(上)写真右下に「現在地」の文字。この文字の左側に(下)の喫茶「ミント」の店があります。

(上と下)喫茶・ミントの建物外観と「現在地」と書かれている場所に建つ看板。

(下左)店の入り口。 (下右)店の人気商品「水出しコーヒー」 店内には絵も展示しています。

   

(下)「現在地」とある看板の道路向かいにある戊辰戦争「会津藩戦死碑」。戦死した人の名前も記載されています。

 

ここで会津軍・官軍合わせて70名が戦死しました。

(下)この日の空は、写真のような青空でした。紅葉後の枯葉も綺麗でした。12時37分撮影。

(下)「景勝清水」この清水場の後ろにある山の山頂に上杉景勝軍が陣を置いて戦っていました。戦士の飲み水場でした。

  赤丸印が景勝清水

(下)「景勝清水」の場所に掲げてある説明看板。 「戦国時代末期の天正15年(1587年・今より435年前)、上杉景勝が新発田城主と6年間の戦い。景勝はこの山頂に陣。3日後の8月14日に赤谷城が落城。800余人が討死した。当時、赤谷は会津藩の領地。赤谷地域は、この戦いと戊辰戦争の2回、戦地になりました。私、戊辰戦争の戦いは知っていましたが、この戦いは知りませんでした。

 

(下)「景勝清水」の道路向かいは、写真のような現場。流れている川は「加治川」です。

(下)帰りは再び、中々山集落の銀杏撮影に。「晩秋」を感じました。これで この日の撮影は終了しました。

 

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管理人の旅日記 106 「新発田市米倉・赤谷へ撮影日帰り 1」

2023年12月27日 | 旅行

2022年11月16日 紅葉になり、晴たので新発田市米倉地域と赤谷地域の写真撮影に行きました。当日朝は寒く米倉から見た山の山頂は雪で少し白くなっていました。(下)最初に行ったのは米倉。集落にある米倉神社。この米倉は地域の中心で、赤谷線の米倉駅や小学校がありました。現在は廃線・廃校になっています。

 

(下)廃線になった赤谷線敷地を利用した「赤谷線サイクリングロード」の案内板。画面左下に米倉駅にあった看板が写っています。

五十公野~赤谷まで、13.3㎞のサイクリングロードです。米倉駅は、画面中心から少し右付近です。

(下)米倉に「十返舎一九」が来たようで、碑があります。十返舎一九は「東海道中膝栗毛」の本を書いた人で、水原町にも来た・・と水原町編年史に書かれています。

(下)新発田市山内の付近で撮影。左右の写真に「道路」に見えるのは旧赤谷線の敷地。

(下左)内の倉湖・内の倉ダム。 (下右)七滝トンネル手前の景色。川は、ダムから流れる水です。

(下)内の倉湖

(下)中々山集落の銀杏。とても素敵な景色でした。写真中央下右に「赤谷線サイクリングロード」の看板がありました。

(下)戊辰戦争での古戦場(写真中央に看板と碑があります) 「角石原古戦場」

 

(上と下)戊辰戦争の「角石原古戦場と碑、看板」。明治元年8月14日、薩長連合軍と会津軍が正面衝突。会津軍が敗れた。

以下、次回に続きます。

 

 

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管理人の旅日記105 (弥彦・寺泊 5)

2023年11月29日 | 旅行

2023年5月20日、旅行2日目。 長岡市寺泊「カニの宿きんぱち」の浴槽です。ここの風呂は佐渡海洋深層水という佐渡の海・水深200mより深いところを流れる海水、太陽光線が届かない低温・高圧の深海を流れるため、一般の温泉にはみられないミネラル成分が豊富で、しかも細菌が少ない。湯冷めしにくい。本当に風呂からあがっても、ずっとポカポカと温かいです。 「撮影禁止」の紙が貼っていなかったので、撮影。朝早く、誰も入浴しておらず貸切り状態でした。

(上)宿の1階で、朝食。 美味でした。

昼食もついて16,000円の宿泊料。朝食後、昼食まで時間があるので、宿の後ろにある海辺を散策。トビウオが多く飛んでいたのですが、小さなデジカメではシャッターの切れる時間が遅く、トビウオを撮影できませんでした。残念。

   ハマナスが咲いていました。

(上)宿の前の道路から撮影。朱色のレトロなポストが良いです。 写真左側に客用の駐車場がありました。

(上)昼食です。これも美味でした。

帰りは新潟市秋葉区の道の駅・花夢里にいつで、花の鉢を購入して帰宅。 良い旅でした。

(下)2023年11月20日の「カニの宿 きんぱち」の新聞広告。季節によってサービス内容が違います。

平日限定のランチも安いです。11月30日までの食後のコーヒー無料券が新聞広告に付いてます。

 

 

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管理人の旅日記107 (弥彦・寺泊 4)カニの宿きんぱち

2023年11月23日 | 旅行

2023年5月19日、長岡市寺泊にある「カニの宿・きんぱち」に宿泊。上の写真は建物の壁についているカニの像。

  建物の全景

(下)新聞に載った広告。上半分が「寺泊きんぱちの湯」。下半分が「カニの宿きんぱち」。

私が予約したのは「カニの宿きんぱち」の「贅沢・本ずわいガニ1尾付、のどぐろ・あわびコース。1泊3食 料理11品、1室2名 1人 16,000円のコース」。2食でなく3食。つまり、夕食・朝食・昼食付の値段です。安いです。(下)の下側・緑色矢印線のコースです。

(下)夜の食事。最初にテーブルにあった料理です。

   

(上左)あわび、です。美味でした。

   

 ←本ずわいガニ

   

(上左)のどぐろ、です。美味でした。

(上左)小雨だった天気が、午後7時17分 写真のように夕日が見れました。1階の窓側に座り、夕食を食べていたのですが、運よく雨が止み夕日に。寺泊といえば、海に沈む夕日の風景が有名。嬉しくなってデジカメで撮影。窓ガラスに飛散防止の縦線(鉄?)が入っており、その線にピントが合ってしまい、ご覧のようにピンぼけ写真。オート撮影でなく、遠景モードで写せばよかったのですが、その時はかなり酒に酔っていたので、オートで写してしまいました。残念です。 小雨が降らず快晴なら(下)のような景色が見れたのに(写真は観光パンフレットの写真を使用)

   

       

以上が「カニの宿きんぱち」の夕食。この料理に日本酒と焼酎を各1杯。とても美味でした。

この後、佐渡海洋深層水を使った宿の風呂に入り、寝ました。 ここの風呂、湯冷めせず、いつまでも温かかったです。

 

 

 

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管理人の旅日記106 (寺泊・弥彦 3)寺泊きんぱちの湯

2023年11月22日 | 旅行

2023年5月19日、自宅~弥彦神社~道の駅国上~寺泊・魚のアメ横~(上)のカニの宿・きんぱちへ。今晩はここで一泊。

テレビでCMが放送されている「寺泊きんぱちの湯」は、この旅館から約200m離れた場所に位置します。(上)の旅館が流行り、近くに2号店として新築したのでしょう。建物の規模・室内装飾・浴室は(上)の旅館より立派です。ただ、その分 宿泊料が高額になります「高額といっても、他の旅館宿泊料と比較すると、とても安いです。」

(上)の旅館の良いのは、2号店である「寺泊きんぱちの湯」の浴場へ無料で入れる券をくれることです。つまり、二つの旅館の風呂に入れるのです。 これは、ぜひ行かねば!

   

(上左)旅館きんぱちを出ると、すぐに寺泊水族博物館があります。ここは海に浮かぶ八角形の建物、館内どこからでも海が一望できる。

大水槽には300種10,000匹もの近海魚や熱帯魚が遊泳。愛敬たっぷりのペンギンもいます。入場料は一般700円。中学生450円。小学生350円。幼児(3歳以上)200円(すべて税込)「観光パンフレットからの情報」。

(上右)「寺泊きんぱちの湯」入口にある縦看板。

 寺泊きんぱちの湯、全景

 ← 寺泊きんぱちの湯、館内。浴槽は撮影禁止でした。

「きんぱちの湯」の風呂は「佐渡海洋深層水」を使用。この海洋深層水、温泉ではないのですが、湯冷めしにくく、本当にいつまでも暖かいのです。不思議です。寺泊きんぱちの湯には、海洋深層水をそのまま使った風呂も有りました。お湯が塩味でした。「海の水だぁ」と思いました。

(下)佐渡海洋深層水の説明文

「2024年4月2日 追記」 上記の「きんぱちの湯」 2024年3月にリニューアル オープンしました。

下記は2024年3月26日 新潟日報の朝刊に全面広告で載った写真です。日帰り入館料は大人1,000円、子供500円。17時以降は大人900円、子供400円。平日は100円引きだそうです。 ※お食事のみの利用は入館料不要だそうです。詳しくはHPをごらんください。

※名前「きんぱち」について・・・創業者(現取締役会長)山田栄三郎の祖父が営んでいた「金八鮮魚店」が店名の由来。古くは明治時代の戸籍法制定、当時「船大工」を営んでいた曽祖父「山田金八」から屋号となったことがルーツ・・だそうです。

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管理人の旅日記105 (弥彦・寺泊 2)魚のアメ横

2023年11月21日 | 旅行

2023年5月19日、寺泊港へ。魚の市場通り(通称・魚のアメ横)。新鮮な日本海の幸と旬の味がズラリと並ぶ魚の市場通り。

イキの良さと安さに定評があり、品ぞろえの豊富さは港町ならでは。県外ナンバーの車が多いです。

(上)テレビCMでよく見る「角上魚類」の店。看板が立派です。

 ← 市場通りの地図

 ← 市場通りの店舗地図

 

(上左)「寺泊」のパンフレット写真。海に沈む夕日が有名です。買ったのは「鯨大和煮」。美味でした。

 ← 鯨の缶詰、缶横の文字「ひげ鯨の赤肉」

(下)魚の市場通りを見てから車で数分、今夜泊まる「旅館きんぱち」へ。旅館付近の地図です。

 地図の拡大。

 ← 今夜泊まる「旅館きんぱち」

次回に続きます。ここはテレビCMに出る「寺泊きんぱちの湯」の最初の旅館(1号店)

「2024年4月2日 追記」 寺泊 通称・魚のアメ横にある金八の姉妹店・市場通り金八が2024年3月、リニューアルしました。

下記は2024年3月26日 新潟日報の朝刊に全面広告で載った写真です。

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管理人の旅日記104 「弥彦・寺泊 1」弥彦神社

2023年11月20日 | 旅行

2023年5月19日 弥彦神社~寺泊・きんぱちの湯へ一泊旅行に行きました。(上)の写真は弥彦神社の道路横にある祓戸神社。

(下)弥彦神社周辺の地図。下側の赤い矢印先に「祓戸神社」。上側の青矢印先に弥彦神社。中央左端の緑矢印先に昼食を食べた清水屋。

(上)祓戸神社から弥彦神社へ。このから本殿へ歩いて参拝。小雨が降っていました。

弥彦神社は「おやひこさま」の愛称で多くの人々が信仰する越後一宮。樹齢400年を超える杉やケヤキに囲まれたこの地は、一歩足を踏み入れるだけで不思議なパワーが感じられる(観光案内のパンフレットから)。縁結びの神様としても有名。

(上)弥彦神社の拝殿。平日の雨天でしたが、参拝者が、それなりにいました。二礼四拍手一礼し、お参りしました。

pm13:25分、弥彦神社の参拝後、神社の道路前にある清水屋(上)で昼食(下)。美味でした。

昼食を食べたあと、寺泊へ。途中、道の駅国上(みちのえき くがみ)に寄りました。平日なのに多くの車が駐車していました。

駐車場は一般車が224台駐車できます。大型車は5台駐車可。詳しくは道の駅国上のHPでご覧ください。

 ←道の駅国上の店内。 店の外に屋根付きの「足湯」あり。

ここから、寺泊・泊まる「旅館きんぱち」に向かいます。

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管理人の旅日記103 「広島・呉市へ 19」

2023年10月14日 | 旅行

2023年7月4日 帰宅の日。 朝、広島駅で弁当を購入。(上)は、ふく寿司 美味でした。

(上)もう1個は、定番の弁当。でも、美味でした。 飲み物は(下)の「広島レモンサイダー」

4日間、楽しい広島の旅でした。「広島・呉市の旅」 今回で終了です。

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