

水原代官所 俯瞰図(ふかんず) 1745年設置
1995年 復元された 水原代官所
代官所の仕事とは・・・・・・ 江戸幕府は、米や材木が安定してとれる地域を直接の支配地とし、そこに奉行所や代官所をおいた。
代官所には「代官」と「手付」「手代」という役目の人が分担して仕事を行っていた。人数は全部で30人前後が多かった。
代官は、江戸幕府の直接の家来である「旗本」や「御家人」から勘定奉行所が選び、「手付」「手代」は江戸や代官所の地元の優秀な町人を任命。
仕事は大きく分けて「地方 じかた」と「公事方 くじかた」になる。
「地方」の仕事は、年貢米(税)に関すること、家数・人数を調査報告することと、新しい田の検査(検地という)、河川の堤防や道路の修繕、良いことをした人への表彰などがある。 現在の市役所のような仕事である。
「公事方」の仕事には、犯罪者の逮捕や訴えに関すること、火災の原因調査などがある。現在の警察や消防のような仕事。
これらの最終判断は、ほとんどは代官所が属していた江戸の勘定奉行所へ報告して、結論を出していた。
支配した地域は、現在の阿賀野市、新発田市、胎内市、聖籠町と新潟市北区(旧豊栄市)や岩船郡の一部にまで及び、多い時は10万石にも及んだ。
10万石だと現在の米約20万俵。 1俵1.5万円とすると、約30億円くらいの財力があったのかもしれません。
次回、もう1回続きます。 管理人
※ この文は、「郷土史 外城物語」から転写しました。
12月25日、久しぶりに阿賀野市水原地区にある骨董市「やまもく」に行きました。
小さめのテーブルを買いました。 管理人
今朝の新聞で知りました。
今年のNHK紅白歌合戦で、水森かおりさんの歌う曲が
「越後水原」に決まりました。 嬉しいです。
録画しなくては !! 管理人
久しぶりに今日 2016年12月17日(土)、新潟市中央区万代へ。
メディアシップに新潟交通のバス
昼食は 「ベリー ベリー スープ」で (下の写真です)
どちらも 美味でした。
こちらも久しぶりです。 NGT48会場の近くのポスター。
左の写真は、「新潟市」とすぐわかる景色です。 阿賀野市では見られないほど多くの若者たちがいました。
来週は、クリスマスですね。 管理人
2016年12月16日
阿賀野市発久附近でAM8:56分撮影。 あちこちで雪除けしている人がいました。 今冬、初除雪です。
阿賀野市中島町附近 AM9:07分
阿賀野市月崎付近。PM3:31分撮影。
午後から用が有り、新潟市へ。 中央区のビッグスワン附近も積雪10センチでした。 嫌いな除雪の季節です。 管理人
(左) 私が阿賀野市笹神地区の農家から買っている 「コシヒカリの玄米」
(右)旧豊栄市 (株)壱成から買った 妙高産「コシヒカリの玄米」 当然ですが、どちらもコシヒカリなので、同じに見えます。
食べると、どちらがおいしい?。 これは好みというか、日ごろ食べている味と比べることになります。
感想は、 産地により、少し味が違います。 でも、どちらも美味です。 管理人
水原代官所は、誰が作った ?
HPやパンフレットに水原代官所は、1745年にできたとあります。 その時の偉い人は誰 ?
水原代官所を造るように決めたのは、 江戸幕府第8代将軍 徳川吉宗。 あのTVドラマ「暴れん坊将軍」です。
吉宗が征夷大将軍になったのは、1716年~1745年。その後1751年に死去するまで、大御所として実権を握り続けました。
吉宗は、定免法や上米令による幕府財政収入の安定化に努め、新田開発など公共政策や享保の改革を実行。
吉宗は、「米将軍」とも呼ばれました。 米の収量の多い北蒲原や水原の地は幕府からは魅力で、それで代官所を作り
米を管理、幕府のものにしたのでしょう。 吉宗が決めなければ、水原代官所は存在しなかったでしょう。 管理人
11月27日、瓢湖で回収された白鳥の死骸から鳥インフルエンザの陽性反応が確認され、国の検査により、本日(12月7日)、高病原性鳥インフルエンザ(H5N6亜型)と確認された。 瓢湖では12月2日から水際への一部立入制限を実施中。 鳥インフルエンザは人には感染しない。 以上、阿賀野市の広報から
12月10日の新聞記事から ・・・ 県は瓢湖から回収された野生のコハクチョウ2羽とオオハクチョウ1羽の死骸から遺伝子検査で鳥インフルエンザの陽性反応がでたと発表。 高病原性かは不明で環境省が確定検査を進める。 瓢湖で回収された野鳥から遺伝子検査で陽性反応がでたのは、5例となった。
早く騒動が収まることを願います。 瓢湖は一部立入禁止ですが、日中は付近の水田で白鳥の群れが餌を食べています。 立入禁止は白鳥でなく鴨に有効かも・・ 管理人
2015年11月3日 PM4:56分 阿賀野市上高関で撮影
1枚目の写真の赤線部分の拡大写真。 小さなオーブが写っています。
上の写真の赤線部分の拡大写真は、下に表示。
白い何かが写っています。 ところで 「オーブ」の写真51 に、コメントを頂きました。内容は次のようなものです。
「人の死にたずさわる、私達僧侶や葬祭業者の方々も、神秘体験、俗に言う心霊体験、恐怖体験は一生に一度有るかないかというほど、稀なことです。
デジタルカメラ時代です。加工合成を疑われる・・・」というものです。 投稿用の仮名からすると、お坊さんかなと思いますが、実際は確認できません。
実名と住所が書いてないので、確認の方法がありません。 ただ、私はこの4年間で3回、心霊体験を経験しています。
私は僧侶ではありません。 3回のうち、1回目の場所は阿賀野市の観光名所の一つ。首なしの全身像が偶然、景色を撮影した画像に鮮明に写っていました。観光業の方が迷惑するといけないので場所は書きません。私は撮影以来、その場所に行っていません。 2回、3回目は同じ場所で背中が異常に寒くゾクゾクしたことと、白い人影が画像に写ったことです。 僧侶でない私でも3回経験していることが、仏教の修行をされている僧侶が一生に一度有るか無いかというのは、コメントしにくいです。
コメントをくれた方はオーブを「霊魂」のように考えていられるようですが、「霊魂」でなく、未知の生命体のようなもので、「意志」を持っているようです。
私が経験した心霊体験とオーブ撮影経験は、全く別なものです。 経験者だから言えることです。
オーブの写真は、9割の確率で撮影できます。「一生に一度」でなく、日常的に撮影できます。 なぜ、オーブの写真をブログ紹介するのか。
それは、私と同じような人がいて、その人からコメントが届くことを期待しているからです。 まだ、コメントは届きませんが、ネットで私のような人のブログを見つけ、コメント欄で会話しています。 その方も、よくわからない「オーブ」のことを、継続して撮影したオーブの画像を投稿紹介しています。
「日本サイ科学会」という1976年に結成された日本最大の超常現象(サイ現象)専門学会[HPがあります。検索してください]。大学の教授などが関係している会があり、偶然 その役の方と縁があり、ここに投稿した画像を資料提供しています。 又、ある神社の奥さんは「オーブは、家の中に沢山いますよ」と話しています(後日、詳しく投稿します)。
加工合成を疑う・・とありますが、私は画像加工のソフトは持っておらず、その技術もありません。 ただ、カメラのシャッターを押すだけです。
簡単ですが、以上のことから、 その方のコメントを公表するとオーブを知っている人から「愚かな人だなぁ」と思われるので、公表しませんでした。
御理解願います。 オーブの写真が貯まったので、最近は紹介するまで、あまり撮影していません。 それでも、2週間ほど前に不思議な写真を撮影しました。 順次、投稿していきます。 管理人