3月31日にサンタの絵柄は変ですが、投稿します。
(左)1990年12月1日 東京支社発行 (右)、(左)と同じ 明日から、4月ですね。 管理人
3月31日にサンタの絵柄は変ですが、投稿します。
(左)1990年12月1日 東京支社発行 (右)、(左)と同じ 明日から、4月ですね。 管理人
2016年3月31日 午前11時30分 阿賀野市七石集落で撮影
暖かい日です。 七石集落の、集会所の桜の蕾が、ふくらんでいました。 管理人
「オーブは希望のメッセージを伝える」という本を買いました。 ダイヤモンド社 1600円+税 2011年7月28日発行
著者はクラウス・ハイネマン(物理学者・ドイツ生まれ・チュービンゲン大学で実験物理学の博士号を取得。長年にわたりNZSA、UCLAで材料工学の研究に従事し、スタンフォード大学では研究教授を務めた。サンフランシスコ在住) グンディ・ハイネマン(前者の妻・現在は代替療法の指導にあたっている。カリフォルニアで健康やヒーリングにおけるコーチングやセラピーを行っている)
この夫婦は2004年にオーブを発見して以来、オーブの研究に取り組んでいるそうです。
この本には65枚のオーブのカラー写真が載っています。 この本によると ●オーブはスピリットそのものでなく、スピリットからの放射であると思われる
●オーブは自らの意思でデジタル写真に現れる。写真に現れるには、ごくわずかな物理的エネルギーしか必要としない ●オーブはデジタル画像に記録される為に、フラッシュあるいは他の光源やエネルギー源から物理的エネルギーをほんの少し利用しているようです。 ●オーブは写真に現れてほしいという要求に応える
●人と一緒に写るオーブと自然の中で写るオーブは、多分違うタイプのスピリット。自然の中で写ったオーブは、あまり進化していない。 意識の高いオーブは、特別な理由をもち、人間の写った写真の中に現れようとする。
●デジタルカメラにはCCDのセンサーを使っているものと、CMOSのセンサーを使ったものがある。CCDを使ったものが良く写る(私のデジカメはCMOSセンサーのカメラです。それでも、投稿画像のように写ります)
●この本の内容が全て正しいか知りませんが、一読する価値が有ります。
2015年9月16日 PM6:21分 笹神地区で撮影
上の写真の赤矢印先の拡大写真
(左)上の写真・上の赤矢印先の拡大写真 (右)上の写真・下の赤矢印先の拡大写真
上の写真の赤矢印先の拡大写真
◎ 上の阿賀野市で撮影したオーブの写真。 実は私が撮影したのでなく、家族の一人が撮影したものです。 最初は写りませんでした。
ただ、私の撮影している姿をみて、私も写せるかな? と何度も撮影しているうちに、撮れるようになりました。 今後、このブログに投稿するオーブの写真は、私と家族(一人)の写したものになります。 もしかすると、貴方にも写せるかもしれません。
オーブの写真は本物 ? と思っている方、ぜひ 撮影に挑戦してください。 写った時、私の写真も理解してもらえると思います。 管理人
益子焼の花瓶と花、阿賀野市 最上屋の菓子「三角だるま最中」、その横にお菓子のオマケのバイクのミニチュア。
「絵」になると思いませんか ? 管理人
1992年(平成4年)2月7日の新聞。 何新聞か記録していないのでわかりません。
北蒲南部森林組合有志の会(十数人)が、笹神村役場・村議会・北蒲南部森林組合に対し、「新潟ロシア村構想」について、構想の撤回の申し入れた。
申し入れ書によると、同森林組合や笹神村など四町村が平成1年に策定した北蒲南部林業振興地域整備計画書では(予定地の一部山林が)振興地域に指定されている。この地域に村民、地権者から意見を聴かず、営利企業を侵入させることは「民意無視で、ゆるされないこと」としている。
結局、新潟ロシア村は、完成しました。 両者、和解したのでしょうか。 手元に記録がありません。 管理人
今朝、2016年3月25日 雪が降っていました。 写真のように地面が白くなっていました。 午前10時頃には消えましたが、
彼岸が過ぎても雪は降るんですね。 管理人
2016年3月30日(水)まで、阿賀野市出湯 ギャラリー恵で 「書票展と実用書道展」開催中です。
3月25日と26日は定休日です。 佐藤巌さんの書票コレクションと渡辺萩月さんの実用書道作品等が展示されています。
書票には、このブログで紹介している (片桐正英 木版画)の書票も額に入って展示されていました。 佐藤巌さん作の書票もありました。 管理人
1992年(平成4年)1月22日の新聞(何新聞か記録していません)。
新潟ロシア村開園1年半前の記事です。 笹神村議会は21日、臨時会・全員協議会(20人の村議全員)を開催、 「新潟ロシア村」構想に協力する「建設促進対策協議会」を設置する方針をきめたそうです。
構想主体の「ロシアホテル」が1月26日、建設予定地の9集落地権者を対象に地元説明会を開く予定。本格的な用地交渉を前に、村を挙げての支援体制が固まり、構想推進に弾みがついたと書かれています。
協議会では「笹神村が過疎からの脱却には これ以外の方策はない」などの促進派の意見が大勢を占める一方、 「自然破壊が心配」「(リゾートマンション急増で諸問題を抱える)湯沢町と同じ結果になっては困る」などの慎重派の意見も続出。・・・。過疎の脱却、マンション乱立などを考えていたんですね。
それにしても翌年の秋には「マーロイホテル」や「スズダリー寺院」が完成し開園したのに、この時点でまだ用地買収が終わっていなかったんですね。急ピッチで建設工事が完成したんですね。 この時点での予定では、総工費12億円を投じホテル(20室)と寺院と水族館に温泉施設などをこの年の11月に完成予定で、翌年の3月に開園・・とあります。 テーマパーク部分を第三セクター方式で開発するため、県側の対応も問う意見も出たそうです。
新聞には、県企画調整部長の話も載っています(経済交流に加えて、ロシアとの文化交流を進める先進的な事業と評価している・・などと載っています)
経済交流と文化交流、そして過疎脱却・・・効果はあったのでしょうか。 次回に続きます。 管理人
長岡市・宝徳稲荷 本宮
2016年3月21日 知人に長岡市の宝徳山稲荷大社(ほうとくさんいなりたいしゃ)のお参りは、奥宮の小さい祠をお参りしなければいけないと教えられ、行ってきました。捜したのは、下の写真の祠だと思います(稲荷社のパンフレットには場所が書いていないので)。
鳥居の奥、階段の上にあるのが祠。 宝徳稲荷の歴史は、遠く縄文時代までさかのぼるそうです。持統天皇の時代に社殿を造営し、「越後総鎮守一ノ宮」格式を賜ったそうです。
後白河天皇の時代に日の宮を中之岳へ遷宮。文政年間に再び現奥宮に遷座。 その場所がここだと思います。 祠は古く、小さいです。
奥宮の この建物の奥に、上の写真の祠が有ります。 鳥居への参道は、この建物と反対側にあります。
宝徳稲荷は、昭和28年に奥宮から現中の宮に遷座。 昭和49年に内宮が建立。昭和54年に本宮が建立。 平成5年に朱塗りの奥宮大聖堂が完成したそうです。 管理人
2016年4月4日まで阿賀野市水原公民館 1階 市民ギャラリーで 「梁取幹雄 スケッチ展」が開催されています。
60年前の阿賀野市の風景と花、の絵です。 年配の方には懐かしい風景かと思います。
梁取幹雄さんは、昭和4年(1929年)小千谷市に生まれました。その後に転居し、水原町で青春時代を過ごしました。新発田高校(旧制新発田中学校卒業)。昭和25年(1950年)と昭和28年(1953年)県展で奨励賞を受賞。
この個展は、展示作品の撮影禁止でしたので、絵の画像は添付していません。
2020年12月18日追記 阿賀野市水原公民館で梁取幹雄さんの絵が寄付され、壁に展示されていました。
水原公民館入口の壁に、梁取さんの絵が。額のガラスに電球などが反射し、絵を綺麗に撮影できませんでした。何とか反射の少ない一部分を撮影。白鳥が多く描かれています。実物を公民館でご覧ください。
(下)2023年10月20日~24日 新発田市で市展が開催されました。日本画のコーナーで梁取幹雄さんの絵を見つけました。
風景画でした。絵の脇には黒いリボンがあり「遺作・元顧問 梁取幹雄」とありました。ご冥福をお祈りします。
絵は撮影可能でしたが、ネット投稿禁止だったので、名札の一部分を投稿。最後の展示だったので、「絵」が投稿できないのは残念。
阿賀野市上下水道局で 「阿賀野の水道水」というペットボトルの水を作っています。イベントや研修の時に無料で配布しています。 非売品です。 これ、我が家で飲む水道水と同じですよね ? 管理人