阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

東京タワーの絵葉書 1965年?

2020年04月30日 | 歴史

                 

4月26日 自宅の蔵を整理。古い紙箱の中から「東京タワー」の絵ハガキが出てきました。カラー写真でなく、着色のスケッチした東京タワーの絵葉書です。いつの時代の製品?

 

この絵ハガキの題名は「飛行機より見えたる東京タワーの偉容」 東京タワーの周りが建物でなく緑色。建物がありません。

 題名「東京タワーの勇姿」。題名が凄いです。

この絵葉書の制作年記載無し。 東京オリンピックの前後でしょうか。値段は、3枚入りで30円。安いです。今の時代、絵葉書は1枚100円~150円。それが3枚紙ケース入りで30円。 本当に いつの年代のハガキでしょうか。未使用なので、価値があるのかもしれません。 ※東京タワーは、1958年12月22日竣工。ネットで調べると、1961年当時の写真では東京タワーの付近に建物は ほとんどありません。 1964に東京オリンピック開催。

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四角い写真 191

2020年04月29日 | 四角い写真

           

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田の耕起・代掻き 2020.4.28

2020年04月28日 | 日記

2020年4月28日笹神地区で撮影。 暑かったり寒かったりですが、そろそろ田の耕起や代掻きが始まってきました。

農家には5月の連休すぎに田植を・・という連絡文書があるようですが、苗が伸びたり連休での田植の手伝い期待など、農作業は難しいです。    阿賀野市農業振興協議会の配布文書では、田植は連休後半の5月5日以降(目標は5月10日以降)。「新之助」は、5月20日ころまでに田植終了を。品質を下げないために。 現在、田植をされている農家もいます。多面積を耕作されている方は、仕方ないです。  4月30日追記 今朝30日、須走集落内で2件 田植していました。

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瓢湖 今昔物語80(平成・2014)

2020年04月27日 | 瓢湖

2020年4月27日再投稿。 2014年5月3日に投稿した記事です。

阿賀野市の瓢湖。あやめ園隣の八重桜の森、桜満開です。 5月3日 午前9時10分撮影。

 

八重桜の花のトンネル。 散歩にどうぞ。  管理人

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阿賀野市 水原八幡宮6

2020年04月24日 | 史跡など

  ← 太い茶色の線は、旧街道

近年、旧水原町の水原城(館)の城主「水原常陸介親憲」が脚光を浴びています。阿賀野市に合併前の南部郷(水原町・安田町・京ヶ瀬村・笹神村)では、水原町の住民数が一番多く、又、水原代官所があったので、水原常陸介親憲が阿賀野市で一番偉い城主と思っている人が多いでしょう。しかし、この水原常陸介親憲がいた時代・戦国時代は、南部郷(阿賀野市)で一番偉かった城主は、笹神村笹岡にあった笹岡城の城主です。詳しくは下記の本をお読みください。

   ← 平成5年に笹神村教育委員会が発行した「笹神村郷土史 第20集」

この時代、瓢湖は まだありませんでした。荒地だったようです。水原城(館)は、水原代官所の場所にありました。この場所に住む水原家や水原常陸介親憲は、笹岡城に用事で行ったでしょう。又、天正9年(1581年)新発田市の新発田重家は、お館の乱後の恩賞を不満として、公然と上杉景勝に反旗を翻しました。新発田重家を攻めるため笹岡城を重視した。水原家も参戦し、笹岡城~月岡温泉(この当時は月岡温泉無し)~国道290号を通り、新発田市の法正橋での激戦で水原城主は討死した。 この後、大関親憲が上杉景勝の命令で水原城主となります。

死亡した水原城主は笹岡城へ行く時、水原八幡宮前の道を通って行った。春日山から来た上杉景勝も水原城に立ち寄り、次に笹岡城に行った。当然、上杉景勝の一行も水原八幡宮前の道を通って行った。戦いの前なので、もしかしたら水原八幡宮に戦勝祈願のための参拝をして行ったかもしれない。 水原八幡宮の神様は、戦いに行き死亡した水原城主や指揮しに来た上杉景勝を見ていたはずです。後から来た水原常陸介親憲も見ていた。

 

 水原常陸介親憲の肖像。祭りの時の行列とレプリカの親憲の兜

上の写真、左側に「水原八幡宮」。この前面の道路を上杉景勝や水原常陸介親憲が通っています。正しく言うと道路の左側約半分くらい。右側は、道路拡張されています。道路の左側に立ち、上杉景勝軍などの行列を想像するのも良いのでは。  次回に続きます。

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綾波レイ 2020-2

2020年04月22日 | フィギュア

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木版画のカレンダー 2000

2020年04月21日 | 絵画・彫刻・書など

 掃除をしていたら、出てきました。

「水俣はんがカレンダー 2000」 阿賀野市・津川町など県内の水俣病支援者の皆さんが制作。

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写真集「上高関 六体地蔵の四季69」

2020年04月20日 | 写真集「上高関 六体地蔵の四季」

2020年4月12日 午後3時5分撮影。

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瓢湖今昔物語79(平成・2014)

2020年04月18日 | 瓢湖

 

 

「2014年2月2日に投稿した記事を再投稿します。 瓢湖白鳥まつり。平成26年2月2日 歌は、恋するフォーチュンクッキ。懐かしいです。」

今日、2月2日。 阿賀野市の瓢湖で上の写真のような祭りが開催されました。 ごずっちょとハクマイちゃん(JA北蒲みなみ)も参加して踊っていました。 

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「オーブ」の写真 99

2020年04月16日 | 「オーブ」の写真

2019年9月25日 伊勢神宮の外宮を参拝。 上の写真、右上の赤い矢印の先にオーブが。

赤い矢印部分の拡大写真が、下の写真です。

上2枚の写真は、外宮(豊受大神宮)正宮の右側「古殿地。20年に一度の移転前は、ここに正宮が建っていた」、緑色の矢印部分から、赤い丸印方向に撮影し、オーブが写りました。外宮地内での撮影なので、何か嬉しくなりました。

 

上の写真は、外宮の入り口 最初の鳥居前で撮影。2019年9月25日 午後2時39分撮影

 上の写真、左図の赤い矢印から撮影。上の写真はレンズのフレアの影響で写りました。オーブの写真ではありません。ただ、鳥居の上に光の線が2本。なにか、ありがたい気分がします。

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新潟ロシア村の記録81(1993-22)

2020年04月15日 | 新潟ロシア村の記録

1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き 「誌名記録無し」

 さらに大森頭取(新潟中央銀行)が構想発表当時から口にした新潟県の参加も宙に浮いたままで、対外的な信用面で不安を残す。大森頭取は「金子清前知事時代に県が資本金の10分の1を出資する話もあった」と言うが、県は今になっても何ら態度を決めていないのだ。

 平山征夫県知事は「県の姿勢は変わっていない。ロシア村の内容、性格、収支見通しなどがいろいろ出されたところで検討することで一貫している。まだきちんとした資料がなく、結論が出せないだけだ」と言う。

 ただ平山知事は「官民それぞれがそれぞれの分野で頑張り、ロシア村も一つの目玉になって全体で環日本海構想が推進されればいい」と付言を忘れない。関係者はこうした点を捕らえ、一様に「県の出資参加の道は事実上既に閉ざされている」と指摘する。  → 以上で、8月31日の新聞記事の紹介を終わります。

 明日、新潟ロシア村がオープンする前日の新聞記事。よく載せたと思います。

取材した新聞記者は、「何か」を伝えたかったのでしょう。

1993年9月1日に新潟ロシア村がオープン。 そして2004年4月に閉園。約10年半の活動でした。

下の写真は、閉園から約16年後の2020年2月29日に撮影した新潟ロシア村の写真。写真中央下部に写っています。

 

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村杉温泉・長生館で夕食 2020.3

2020年04月14日 | グルメ

3月中旬、阿賀野市 村杉温泉の長生館で夕食。数名で行きました。

 

 

 

 

 館内の露天風呂に入り、夕食。こちらの料理は美味です。満足して帰宅しました。

長生館の庭。 着いたときは明るかったのですが、帰りは夜でした。夜景も綺麗でしたが、酔っていたので撮影を忘れました。

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第2次 カメラ一体型VTR戦争 1986年

2020年04月14日 | 歴史

1986年(昭和61年)8月の新聞記事から 「誌名記録無し」

                                  

 家電メーカーが、値崩れしていないハイテク製品として期待を寄せているカメラ一体型VTRに、日本光学工業を除くほとんどのカメラメーカーがこぞって参入してきた。参入メーカーでさえ早くも「遠からず淘汰が起こる」とみている。

カメラメーカーが血道をあげる理由は、カメラの成熟化で、新分野への進出が求められているため。 一社で三方式すべての製造を決めたり、一社で二つの方式を売るメーカーもある。

 カメラの録画方式は3方式で、①VHSーCが製造(一貫のみ)3社、販売7社 ②8ミリが製造6社、販売12社 ③VHSが製造4社、販売5社。 秋葉原の大手量販店では「お客さんへの説明も混乱気味。もはや三方式で争い尽くすしかない」と話している。  ※この頃、新製品が出るのが楽しみでした。

カメラ一体型VTRは、国内で去年40万台を販売。今年は70万台が見込まれている。 過当競争で、年末に向けて値崩れは必至・・という見方が出ている。

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阿賀野市 水原八幡宮5

2020年04月11日 | 史跡など

前回「水原八幡宮4」で、水原八幡宮は荘園公領制確立後の神社・・と書きました。ところで「荘園」とは何?

正確な答えでないのですが、「荘園」とは現在の「新潟市」のようなイメージ、市長が管理・・のようなもの?

阿賀野市は「白河荘 しらかわしょう」と呼ばれた地域。 越後の荘園の多くは、鳥羽院政期に成立したもの。笹神村・安田町・水原町・京ヶ瀬村そして豊栄市の一部は、摂関家領である白河荘の荘園内に含まれていた。

上の図は「笹神村史 通史編」に載っている図面。 図面内の「加地荘」は新発田市付近? 奥山荘は中条町付近? 蒲原津は新潟市付近? 金津保は新津市付近? 菅名荘は村松町付近?

  荘園は、立荘以前は国衙領であった。白河荘は1134年立荘。

白河荘の成立当時は、鳥羽上皇による院政が敷かれており、摂関家はその政治的地位を大きく低下させていた・・等々、学校で習わない歴史の話が続きます。詳しく知りたい方は、前記の本をお読みください。

水原八幡宮の神様は、平安時代・鎌倉時代・白河荘の立荘・戦国時代・江戸時代・水原代官所時代・そして明治・大正・昭和・平成・令和・・と、多くの時代を眺めてきました。もちろん、瓢湖が造られ、桜木が植えられ、白鳥が飛来した等々も見てきました。水原八幡宮の神様が書かれた回顧録という本があれば、興味深い話が多く載っているでしょう。

次回に続きます。

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綾波レイ 2020-1

2020年04月10日 | フィギュア

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