昭和39年(1964年・新潟地震と新潟国体のあった年)5月、新発田市赤谷駅から三川村(現阿賀町)の白崎駅を結ぶ新線「新白線」を新設しようとする計画があった。 同年、東京都千代田区衆議院第一会館で「新白線建設促進期成同盟会」の結成会が開かれた。同盟会は、新発田市・津川・鹿野瀬・三川の四市町村で組織し、事務局が新発田市企画課に置かれた。
この頃は全国で新線建設の要望が相次いだ。同盟会結成も運動をアピールするため、東京で開催するのが流行した。四市町村代表や地元選出代議士・県議らを結集、国鉄や運輸省にデモンストレーションを展開した。