南東からのスゴイ強風になってしまったので、午後から子ども達とお出かけすることにして出発。4月に赤羽根港にオープンしたばかりの新しい道の駅に行き、売店でソフトクリームを食べたり砂浜で遊んだ後、子ども達はまだ遊び足りないようなのでナントナク伊良湖岬に向かったのですが、途中の渥美火力発電所の近くで戦争遺跡として有名(?)な通称『六階建て』を偶然に発見しました。あ~、こんな処にあったんですかこの建物、実物を一度見てみたかったんですよ。この周辺の土地は明治34年(1901年)から『陸軍技術研究所・渥美試験場』という名称で軍の所有地となり、国内で製造したり外地で鹵獲した大砲や新型砲弾の発射試験場だったそうで、海に向けて砲弾を撃っていたんだそうです。
で、この建物は気象観測用のためのものだそうで、高さは約20メートルほどでしょうか。実際の建造日は不明ですが、開設当初に建築したなら100年以上、太平洋戦争前ぐらいとしても70年ほど経っているわけで、当然ながら外観には風化が目立ちます。う~ん、不気味、でも見つけたからには中に入ってみたい、入り口もべつに封鎖されてないみたいだし・・・ということで子供たちと一階に入ってみると、中にはビニール温室用のフレームなどが雑然と積まれており、どうやら近所の農家の人が農具置き場として利用しているようです。真四角の建物の屋内は四方に大きな窓が空いているので明るいのが救いですが、内側も長年の風化で壁面や天井のコンクリートが剥離して床に散らばっており、ホントに廃墟という感じで、これ、夜だったら怖いんだろ~な~。コンクリートの階段が2階に続いているので、通っても大丈夫なのか観察してみると、亀裂はなくて中に太くて頑丈な鉄筋が通っているのも確認、シッカリしているようなので子ども達も連れて上に行ってみると、2階からの屋内は何も置いてない空っぽで、一気に6階まで上がってさらに屋上へ。戦中・戦前はこの屋上に風向風速計などが設置してあったのかな?~、などと思いながら、風に吹かれながらしばらく子供たちと一緒に周囲の景色を眺め、アホな三男が転落したりする前に建物から出て帰途についたのでした。
で、この建物は気象観測用のためのものだそうで、高さは約20メートルほどでしょうか。実際の建造日は不明ですが、開設当初に建築したなら100年以上、太平洋戦争前ぐらいとしても70年ほど経っているわけで、当然ながら外観には風化が目立ちます。う~ん、不気味、でも見つけたからには中に入ってみたい、入り口もべつに封鎖されてないみたいだし・・・ということで子供たちと一階に入ってみると、中にはビニール温室用のフレームなどが雑然と積まれており、どうやら近所の農家の人が農具置き場として利用しているようです。真四角の建物の屋内は四方に大きな窓が空いているので明るいのが救いですが、内側も長年の風化で壁面や天井のコンクリートが剥離して床に散らばっており、ホントに廃墟という感じで、これ、夜だったら怖いんだろ~な~。コンクリートの階段が2階に続いているので、通っても大丈夫なのか観察してみると、亀裂はなくて中に太くて頑丈な鉄筋が通っているのも確認、シッカリしているようなので子ども達も連れて上に行ってみると、2階からの屋内は何も置いてない空っぽで、一気に6階まで上がってさらに屋上へ。戦中・戦前はこの屋上に風向風速計などが設置してあったのかな?~、などと思いながら、風に吹かれながらしばらく子供たちと一緒に周囲の景色を眺め、アホな三男が転落したりする前に建物から出て帰途についたのでした。