東北楽天ゴールデンイーグルスがプロ野球日本一に輝いた。星野監督自身も「生涯の宿敵」読売巨人を打ち破っての胴上げだった。
管理人は、判官贔屓(ほうがんびいき)から、球団創設時代からの隠れたフアンであり感慨も一入(ひとしお)である。同時に、アンチ巨人ファンであったので二重の喜びと、被災地東北へのエールを送った三重の喜びとなった。「巨人・大鵬・卵焼き」と「大読売新聞社」への反発もあり「アンチ読売巨人軍」となっていった。
東京六大学野球は、敗戦後間もなくは、杉並区にあった上井草球場で公式試合が行われていた。桃井第四小からは近かったので友達とよく観戦をしたが、小川善治投手(大学野球投手名鑑)、杉下茂投手が活躍した明治大学野球部が好きだった。その後、秋山登投手と土井淳捕手のバッテリーが大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団し、三原修監督のもとで日本一になったことから長年大洋ファンでもあった。
一方長男は、中学校時代には土曜日の夜になると、オレンジ色の応援団法被を持ち自宅から後楽園球場(東京ドーム以前の)まで自転車で、そして徹夜組のおじさん達に混じって外野席のチケットを手に入れる程、大の巨人ファンである。どんなに悔しい思いでテレビを見ていたのだろうか。
【東京ドーム敷地も戦争遺跡】
「旧日本帝国陸軍砲兵工廠跡の基礎用レンガ」
【説明文から】
明治4年(1871年)に建設された旧日本帝国陸軍砲兵工廠基礎用レンガ。昭和12年(1937年)、旧後楽園球場建設の際は、基礎のあまりの強固さにグランド部分は取り除くのを見合わせていたが、平成12年(2000年)竣工の東京ドームホテル建設を進めるにあたり、地下5mの深さより出土採取。現在地は旧後楽園球場のセンターにあたる。
2006年管理人は、東京の戦争遺跡(葵から菊へ )である「水戸徳川家屋敷跡」を調べるために、JR飯田橋駅から神田川沿いを歩き、東京ドームホテルの裏側に来たときに、このレンガの塊と説明文を見つけた。ホテルに電話をして聞くと「陸軍砲兵工廠の敷地」と「後楽園球場」の由来は、歴史上から大事なことだと考えて自主的に設置したとのことだった。管理人は、文京ふるさと歴史館学芸員に伝えると共に、毎日新聞社の友人にも知らせた。