明治神宮外苑【その三】 日清戦争時に青山軍用停車場にのために開通し、現在も総武線下り線の旧御所トンネルとして使われています。
明治天皇一年祭を機に発足した明治神宮と聖徳記念絵画館の造営は、大正4年に着工しました。しかし、第一次世界大戦がはじまり、その影響で物価・賃金が急騰し、造営予算に支障をきたしました。そこで造営局造営課長の発案で全国各地の青年団が上京し、労力奉仕という形でこれに協力しました。工事の際、工事材料の搬入のため、鉄道院に対し千駄ヶ谷駅より外苑に分岐する鉄道引込線の敷設を交渉し、青山軍用鉄道と青山軍用停車場敷地を利用して、大正8年10月に軌道延長1045メートルが完了。「造営局千駄ヶ谷側線」と呼ばれました。
聖徳記念絵画館の裏側に回ると駐車場の隅に「明治天皇葬祭場址」と銀杏並木の裏側に青山練兵場での観閲式記念樹である「明治天皇御観兵榎」を見ることができます。
さらに絵画館前庭には表面は菊の紋章、裏面はロシア帝国の紋章が刻まれた「樺太日露国境確定石碑」が(レプリカ)置かれています。樺太は明治維新後、樺太・千島交換条約でロシアに譲渡。その後ポーツマス条約で北緯50度以南を日本が領有しました。 このように神宮外苑も戦争遺跡として見ると沢山ありますね。
裏側のロシア帝国の紋章「双頭の鷲」は普段は見ることが出来ません。絵画館の受付にお願いをすると植え込みの門扉を開けてくれますの見ることが可能です。