久間防衛大臣は「原爆はしょうがない」と発言しました。http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200706300275.html
この発言には二つの大きな間違いがあります。
ひとつはなんといっても人類最悪の大量破壊兵器である核兵器はどんな外交上、戦略戦術の理由があろうとも製造・配備・使用は絶対に許されるものではありません。大国の核兵器戦略にも北朝鮮の核開発にも「しょうがない」というのことになってしまい、被爆国日本の大臣の資格はありません。安倍首相は直ちに久間大臣を罷免すべきです。
ヤルタ会談からポツダム会議にかけては米英ソ三国が戦後の東アジア覇権への醜い駆け引きが行われていました。ヤルタ会談でソ連の日本参戦を約束させたアメリカが原爆によって日本を降伏させソ連の参戦を阻止しようとしたと巷間云われていますが、それほど単純ではありませんでした。6日に広島に原爆が落とされても日本は降伏しませんでした。9日に二発目の原爆が長崎に、そして「満州」、樺太、千島、朝鮮にたいするソ連の参戦がありました。
アメリカは冷戦への戦略上から原爆を使用したことは歴史上明らかです。ソ連も対抗上核兵器を持つことになりました。
久間氏のもう一つの間違いはソ連の北海道占領について歴史的無知なことです。
『「幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と強調した。』
ヤルタ会談で参戦の見返りとして千島列島を占領しました。しかし北海道については強欲なスターリンが8月15日にトルーマン大統領に要求しましたが拒否されたのです。
文献をご紹介します。
『日ソ戦争への道 ノモンハンから千島占領まで』
著者ポリス・スラヴィンスキー 1999年8月10日共同通信社発行
第7章ソ連の対日参戦
「スターリンとトルーマン ―― 日本の降伏問題の調整」
一九四五年八月一五日、日本政府は、米国、英国、中国、ソ連などの連合国の勢力に無条件降伏を表明した。これ以上、抵抗しても無意味だと確信したためである。これと絡んで、ワシントンでは日本軍の降伏について詳細を記した命令第一号が早速、作成された。八月一五日、この文書は調整のためにモスクワに送られた。スターリンは、基本的にはこれに賛成したが、文章に次の修正を加えるよう提案した。
1、(略)
2、日本軍がソ連軍に降伏する地域に、サハリンと北海道との間にある宗谷海峡に北で接する北海道島の北半分を含めること。北海道島の北半分と南半分の間に、島の東岸の釧路市から島の西岸の留萌市まで境界線を引く。
上記の市は島の北部に含める。注(31)
注(31)ソ連外務省『一九九四一~四五年の大祖国戦争期のソ連閣僚会議議長と米国大統領および英国首相との書簡の交換』第二巻、「F・ルーズヴュルトおよびH・トルーマンとの書簡の交換』(一九四一年八月~四五年一二月)、第二版、モスクワ、一九八九年、二八五頁、さらにソ連外務省『書簡の交換』