葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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東京母親だより「靖国レポート」

2008年11月23日 | 歴史探訪<靖国神社>

東京母親大会が来たる12月7日に開催されますが、それに先だって見学分科会①「靖国神社と遊就館フィールドり-ウ」と②「東京大空襲「戦災資料センター見学と早乙女勝元さんのお話」が10月26日に行われました。

①「靖国神社と遊就館フィールドワーク」のレポートを「東京母親だより」№137から転載します。

 雨も上がり清々しい日、10時に靖国神社の高さ25mもある大鳥居に集まりました。講師の長谷川順一さんに続いて28人が拝殿への真直ぐな道を、他の人々から注目されながら歩きました。
 靖国神社の生まれは、明治天皇が明治2年に東京招魂社を「忠君愛国の至誠と献身殉国の大節に尽くす」ための神社として、12年に別格官幣靖国神社と改称しました。
社号標の石碑は戦後、宗教法人になったため「別格官弊」の字がカットされたことが判るものでした。
陸軍・海軍の戦闘場面のレリーフがある大燈籠などなど見学。
 たくさんの絵馬が飾られていましたが、そのほとんどは、家族の健康や受験の成功などの願いが書かれていてほっとしました。
 午後1時20分から入り口にゼロ戦がある遊就館に入りました。展示室は、戊辰戦争から支那事変まで5室、大東亜戦争(第二次世界大戦)だけで5室と、豊富な資料が展示されていました。77年間の戦争の歴史がよく解かりました。3時20分から近くのさくら館で交流しました。
 長谷川さんは、「父親が30歳で上海・南京・徐州に出征したが、8月15日は黙って何かを焼いていた。父が中国で何をしてきたか知りたかったので、ここのガイドをしている。今まで約300回、6千人を案内している。」と話されました。
《 参加者の感想 》
『反発心で行きたいと思わなかったが、内容を知ってショックだった。右翼色が強く、異様な神社だが、説明を聞いて、歴史、意味、背景がよく解かった。戦争む美化し、正当化しつつ、国民をだましつづけ、たくさんの人を死に追いやったのは天皇をトップとする、帝国主義だったことを子どもたちに伝えたい。戦争の遺跡として、政府や政治家に利用させないよう私たちの運動を強めたいと思う。』

講師の説明がよかったと大変好評でした。(今村享子)  

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