1月20日にtoshiさんから三つの質問が寄せられましたのでお答えします。
(1)靖国神社側ではどんな思想と意図でもって、このように変えたのか。(2)境内に「常陸丸殉難碑」がありますが、戦後三つに切断されて、地下に埋められたということを聞きました。どのように切断されたか、そしてどこに埋められたかがわかれば教えてください。(3)拝殿左手に招魂斎庭があるということですが、靖国には二つあるということなのでしょうか。
(1)靖国神社はペリー来航の嘉永6年から明治元年までの7751柱の「国事殉難者」から始まり、台湾征討、日清戦争、北清事変、日露戦争、シベリア出兵、大東亜戦争における戦死・戦病死・戦傷死者を英霊として合祀してきました。言い換えれば天皇(日本政府)のための戦争は全て正義の戦争でした。アジア太平洋戦争(大東亜戦争)もABCD(米、英、中、蘭)に対する自存自衛の戦争だったのです。
ですからアメリカなどから表現についてのクレームには若干修正しました。しかし大元帥閣下天皇の戦争が間違っているという立場は絶対にたてない思想が根底にあります。現人神であった天皇の行為は侵してはならない絶対的な権威なのです。
(2)一橋大学大学院教授の吉田裕先生から伺ったことですが、軍人会館(現九段会館)広場にあった石碑はGHQの命令で三つに割られ土中に埋められましたが、地下鉄東西線の工事の時に発見されました。ですから現在境内に建立されているものは当時の写真(高さ15㍍)から見ても相当変形していますので割られた石の一部を利用して再建したものと考えられます。
(3)拝殿南側に鳥居と〆縄が張られた浄域があります(画像を参照)が、昭和12年までにあった招魂齋庭跡です。
昭和13年に能楽堂を移転させて新たに招魂齋庭をつくりました。敗戦の年、昭和20年11月19日夜に陸海軍が最後の招魂式を翌日20日は天皇も参列した招魂祭が執り行れました。昭和60年に一部の浄域を残し99台分の月極駐車場にしてしまいました。(画像を参照)現在の駐車料金は月一台4万円です。
ですから「招魂齋庭跡」が二つあるというのが正確な表現になると思います。