ブログ記事『「監獄署の裏」とは「市谷監獄の裏」なのか「東京監獄の裏」なのか』で永井荷風が作品「花火」で『明治四十四年慶應義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走つて行くのを見た。』と述べている場所について作図し「経路図」を示しました。市電3番線は「慶應義塾前」の停留所がありますので「本村町」(その後本塩町に)停留所から乗車したと思われますが、「塩町」(その後四谷三丁目に)停留所から市電に乗り、途中で乗り換えて「慶應義塾前」停留所で降車したのか作品からは明らかになりませんでした。
その後、大逆事件と幸徳秋水ら被告の人生や明治時代の文学者の思想まで詳細に書かれた「革命伝説 大逆事件」四部作 神崎清著を読んでみたところ、「③この暗黒裁判」第十章「目撃した永井荷風」には下記の地図もありました。
著者は、