外桜田門をスケッチしたときに第一生命保険(株)ビルへ寄り、受付で史料展示室のリーフレットをもらってきました。当ビルの6階にある「マッカーサー元帥の執務室と史料展示室」は非公開となっていますが、GHQによる接収解除と返還から60年の節目を迎えた2012年、第一生命保険創立110周年記念特別企画として、マッカーサー記念室を期間限定で一般公開したことがありました。
敗戦国日本を統治した占領軍の最高責任者。朝鮮戦争で原爆使用を考えたために更迭され、アメリカ大統領選挙には出馬できなかったマ元帥に興味は尽きません。
リーフの一部を転載します。
マッカーサー記念室
第一生命館は昭和20年9月に連合国軍に接収されました。その後、昭和27年に講和条約が発効し、同年7月に市ヶ谷に総司令部が移転するまでの6年10カ月の間、連合国軍総司令部(GHQ)がおかれていました。【注】
「マッカーサー記念室」はその間の連合国軍総司令官マッカーサー元帥が使用した部屋で、当時のたたずまいをそのまま保存したものです。
執務室の広さは約54㎡(16坪)です。周囲の壁は、すべてアメリカ産のくるみの木でできており、床は寄木細工でできています。
机・椅子は、当社の第三代社長石坂泰三が使用していたものをがそのまま使用したものです。なお、机には引出しがありません。マッカーサーはたいへん凡帳面で、何事も即断即決するためこの机を愛用していました。
ほかに、当時のものとして、部屋に2枚の絵があります。英国人画家オルドリッジにより措かれたヨットの絵ですが、マッカーサーはたいへんヨットが好きで、その絵を飾っていました。
また、マッカーサーは華美を嫌い、質素を好んだといわれます。
【使 用 者】
マッカーサー元帥
(昭和20年9月~昭和26年4月)
リッジウェイ大将
(昭和26年4月~昭和27年4月)
クラーク大将
(昭和27年4月~昭和27年6月)
平成5年、第一生命館の改修に際し、マッカーサー元帥の執務室は、当時のたたずまいをそのまま残し歴史を語りつづける部屋として、机や椅子とともに、保存することにいたしました。また隣室は当社の歴史資料室となっております。
【注】連合国軍総司令部(GHQ)は1952(昭和27)年新宿区市谷本村町の大本営陸軍部・陸軍省跡に移転し、この市ヶ谷台一帯をパーシングハイツと呼んだ。転じて米軍将校宿舎、続いてアメリカン・スクールなどとなったが1959(昭和34)年に日本に返還され、その後大部分は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地となり、現在は防衛省となっている。