靖国神社の社報「靖國」令和3年10月第795号が配達されました。その中に、テレビでお馴染みの竹田恒泰氏が重要な論考を書いていますので転載します。
管理人は、>明仁天皇の「譲位」(生前退位)は男系天皇を続けるために熟慮に熟慮を重ねた。<と、考えてBlog記事にしました。
天皇研究家の友人からは『相変わらず素晴らしい記事ですね。「立皇嗣の礼」と明仁天皇の「生前退位」を結び付けた着眼点が鋭い。明仁天皇が秋篠宮家に男子が誕生したことで、「生前退位」を決断したという長谷川さんの見立ては正しいと思います。しかし、明仁天皇の「おことば」は象徴天皇としての違法行為です。これは、昭和天皇の「二・二六事件討伐命令」と「ご聖断」に匹敵する政治行為です。』とのコメントがありました。
悠仁親王が、お茶の水大学付属小・中学校では「天皇学」を学びませんでしたので、思春期になってスンナリと天皇になる心の準備ができるのか、姉の眞子内親王の婚約・結婚を見ていると自分の婚約者についても考えざるを得ない心境になるのではないかと考えてしまいます。「象徴天皇制」という「迷妄」から目覚めましょう。
英雲たらは何を護ろぅとしたのか 〜「国体護持」と「万世一系」の関係
先の大戦における日本軍人ほど勇敢に戦った人たちはいない。戦争も終盤となると、日本軍人の多くは、日本を存続させることが、愛する家族を守ることと信じ、特攻し、あるいは玉砕し散華した。彼らの戦う様は、連合国の日本占領政策にも大名な影響を与えた。その姿がなげれば、日本は今存続していなかったと思われる。
戦局が好転せず終戦へ向かうなか、政府と統帥部の首脳は「国体護持」を終戦の必要十分条件としたが、その「国体護持」こそ、日本を存続させることを意昧する。これは、国家の存続が、最終防衛ラインとなつたことを意味する。
では、「国体護持」=「日本の存続」とは何を意味するのだろうか。ただ「日本」という国が存在していればよいということではない。国体とは、国柄を指すとされる。日本の国柄の中枢にあるのは天皇であり、天皇の存続なくして国体護持はあり得ない。
しかし、天皇が存続していれば、それだけで国体が護持されたことになるかといえば、そうでもない。たとえば、国民のなかから天皇を選ぶ天皇公選制に移行したら、それは天皇が存続したとはいえないし、国民の多くが皇室に敬愛の心情を持たなくなったら、あるいは、天皇が国民を顧みなくなったら、日本の国柄は変質したことになり、そもそもそのような国は日本ではない。
国体とは、天皇と国民の関係性にあり、それは、天皇と国民の間にある強靭な「絆」のことを指している。天皇と国民の絆は、三つの強い縁により結び付けられている。それが、血縁、心縁、治縁である。
血縁とは、日本民族の血縁大系の中枢に天皇があるということを意味する。心縁とは、天皇と国民が心の縁で繋がっていることで、具体的には、天皇が国民一人ひとりを我が子のように愛してその幸せを祈り、また国民はそのような天皇を我が親のように慕って国を支えるという縁を意味する。故に日本人は、統治の中枢として万世一系の天皇を仰いできた。それが治縁である。
天皇と国民は、これら三つの縁により固く淳れ、その結果「天皇」という日本民族の伝統的地位が「神聖である」という思想が、歴史的に共有されてきた。このような天皇と国民の繋がりを「国体」という。
日本の統治原理は、天皇が統治し国民が翼賛することにある。天皇の統治にまつろい、翼賛することで、国民の幸福が保障されるのが国体の本義である。我が国は「祭り主」である天皇が統治の中枢を占める「祭政一致」(政教一致とは別の概念)の、天皇がしらす国であり続け、現在に至る。終戦を経ても国体は護持されたのだった。
この三つの縁のなかで、血縁について掘り下げていきたい。天皇が日本民族の血縁大系の中枢に位置するのは単なる概念ではく、歴史の事実である。大和朝廷は婚姻政策を軸に列島を統合していった。古事記には、第十二代景行天皇までの記事に全国の一六三の豪族が天皇の親戚であることが記されている。
具体的には、天皇の娘の多くが全国の豪族に嫁ぎ、また全国の豪族の娘が皇室に嫁いでいった。また、天皇の息子の多くが行政官として地方に赴任し、地方の豪族の娘と結婚して地元の豪族となっていったのである。このようにして、大規模な戦争を経ずに全国に点在していた約百力国を統合していった。
このことは、古墳時代を通じて、日本人の血統を再統合したものと評することができる。飛鳥時代以降もそのような婚姻政策は継続され、それは昭和時代まで続いた。
昭和天皇の弟宮でいらっしゃる秩父宮が旧会津藩主松平容保の孫娘を、また同じく高松宮が末代将軍徳川慶喜の孫娘を妃としてお迎えになったこともその名残と見られる。
また、古事記によると、高天原から降臨した邇邇芸命が大山津見神(山の神)の娘と結婚して、火遠理命が生まれ、火遠理命が綿津見神(海の神)の娘と結婚して鵜葺草葺不合命が生まれ、鵜葺草葺不合命が綿津見神のもぅ一人の娘と結婚して神倭伊波礼毘古命が生まれ、初代天皇に御即位になった。邇邇芸命が即位せず、伊波礼毘古命まで待つ必要があったのは、日の御子が未だ血縁大系の中心を占めるに至っていなかったからといえる。
天皇の正統性は天照大御神の御子であるといぅ大前提があるが、もしそれだけで十分な正統性を得られるであれば、邇邇芸命が即位していなければおかしい。初代天皇の成立を伊波礼毘古命まで待ったことから、天皇の正統性は、天照大御神の御子であるだけでなく、日本民族の血縁大系の中枢となることで備わると見ることができる。日本民族を一つの家族と見た際に、天皇は家長のような存在であるといえる。
そして、このような天皇に相応しい血統を、歴代天皇が代々受け継いできたのが「万世一系」なのである。
さて、先の大戦で日本軍人が守ろうとした「国体」がどのようなものであったかは、すでに明確になったであろう。歴代天皇の男系の血筋を受け継いだ者しか天皇に即位することはできなかった。長い我が国の歴史のなかで、歴代天皇の男系の血筋を受け継がない者が天皇に即位した例は一例もない。男系継承の皇位継承原理が途絶えてしまったら、それは国体の破壊である。もし現代を生きる我々が「女系」天皇なるものを成立させてしまったら、先人たちが命を懸けて守り抜いた国体を、日本人自ら破壊する愚を犯すことになろう。
もし将来において、男系の血筋を受け継がない者が天皇に即位(いわゆる「女系」天皇)した場合、その天皇は、日本民族の血縁大系の中枢を受け継いだことにならず、それ以降の天皇は、天皇の正統性を失ってしまう。そして、一度失った正統性を再び取り戻すことはできない。
異質な血統の者が天皇に即位する違和感は、そこから来ている。もし、男系の血筋を受け継がない者が即位したら、一定数の日本人はその天皇に違和感を抱くことになるのは避けようがない。そのことが最大の問題といえる。
つまり、現在の天皇陛下を天皇として認めないという国民はほとんどいないが、男系継承が途切れた場合に、一部の国民は認め、また一部の国民は認めない天皇に成り下がってしまう。そのような天皇は「日本国民統合の象徴」(日本国憲法第一条)として相応しくないといわねばならない。男系継承を継続したら、そのような問題は起き得ない。
安定的な皇位継承策を議論する政府の有識者会議(座長清家篤元慶應義塾長)は、六月三十日に行われた八回目の会合で、女性皇族が婚姻後も皇族に残る案(女性宮家創設案)と、旧宮家の男系男子を皇籍に復帰させる案(旧宮家養子案)の二案に絞って方向性をまとめることを確認したという。
小泉政権での有識者会議では女性天皇「女系」天皇を容認する方針が示され、野田内閣ではパブリックコメントが出されたが、これまで男系継承を保つための方策が政府で検討されたことはなかった。そのため、現在有識者会議で議論が進む旧宮家養子案は、極めて画期的な展開といえる皇位継承が不安定となった唯一の原因は皇位継承資格者の減少であり、それ以外の理由ではない。皇位の安定的継承を確保するのは、資格者を確保することに尽きるといえる。
伝統とは、歴史の中で取捨選択を繰り返しても、なお人々によって選択され続け、守られてきたものである。これは、長い間風雪に耐え蓄積された先人たちの叡智の結晶ともいえるものである。保守主義とは、人間は不完全であるという前提に基づき、物事を急激に改変することを嫌う。人間の不完全さを直視するが故に、伝統を重んじることになる。現代の日本人は、天皇の原理を変更することに、畏怖の念を抱かなければならない。
少なくとも、靖國神社を崇敬する方には、英霊たちがどのような日本を残そうと思っていたか、その思いに意識を向けて頂きたいと思う。
先の大戦における日本軍人ほど勇敢に戦った人たちはいない。戦争も終盤となると、日本軍人の多くは、日本を存続させることが、愛する家族を守ることと信じ、特攻し、あるいは玉砕し散華した。彼らの戦う様は、連合国の日本占領政策にも大名な影響を与えた。その姿がなげれば、日本は今存続していなかったと思われる。
戦局が好転せず終戦へ向かうなか、政府と統帥部の首脳は「国体護持」を終戦の必要十分条件としたが、その「国体護持」こそ、日本を存続させることを意昧する。これは、国家の存続が、最終防衛ラインとなつたことを意味する。
では、「国体護持」=「日本の存続」とは何を意味するのだろうか。ただ「日本」という国が存在していればよいということではない。国体とは、国柄を指すとされる。日本の国柄の中枢にあるのは天皇であり、天皇の存続なくして国体護持はあり得ない。
しかし、天皇が存続していれば、それだけで国体が護持されたことになるかといえば、そうでもない。たとえば、国民のなかから天皇を選ぶ天皇公選制に移行したら、それは天皇が存続したとはいえないし、国民の多くが皇室に敬愛の心情を持たなくなったら、あるいは、天皇が国民を顧みなくなったら、日本の国柄は変質したことになり、そもそもそのような国は日本ではない。
国体とは、天皇と国民の関係性にあり、それは、天皇と国民の間にある強靭な「絆」のことを指している。天皇と国民の絆は、三つの強い縁により結び付けられている。それが、血縁、心縁、治縁である。
血縁とは、日本民族の血縁大系の中枢に天皇があるということを意味する。心縁とは、天皇と国民が心の縁で繋がっていることで、具体的には、天皇が国民一人ひとりを我が子のように愛してその幸せを祈り、また国民はそのような天皇を我が親のように慕って国を支えるという縁を意味する。故に日本人は、統治の中枢として万世一系の天皇を仰いできた。それが治縁である。
天皇と国民は、これら三つの縁により固く淳れ、その結果「天皇」という日本民族の伝統的地位が「神聖である」という思想が、歴史的に共有されてきた。このような天皇と国民の繋がりを「国体」という。
日本の統治原理は、天皇が統治し国民が翼賛することにある。天皇の統治にまつろい、翼賛することで、国民の幸福が保障されるのが国体の本義である。我が国は「祭り主」である天皇が統治の中枢を占める「祭政一致」(政教一致とは別の概念)の、天皇がしらす国であり続け、現在に至る。終戦を経ても国体は護持されたのだった。
この三つの縁のなかで、血縁について掘り下げていきたい。天皇が日本民族の血縁大系の中枢に位置するのは単なる概念ではく、歴史の事実である。大和朝廷は婚姻政策を軸に列島を統合していった。古事記には、第十二代景行天皇までの記事に全国の一六三の豪族が天皇の親戚であることが記されている。
具体的には、天皇の娘の多くが全国の豪族に嫁ぎ、また全国の豪族の娘が皇室に嫁いでいった。また、天皇の息子の多くが行政官として地方に赴任し、地方の豪族の娘と結婚して地元の豪族となっていったのである。このようにして、大規模な戦争を経ずに全国に点在していた約百力国を統合していった。
このことは、古墳時代を通じて、日本人の血統を再統合したものと評することができる。飛鳥時代以降もそのような婚姻政策は継続され、それは昭和時代まで続いた。
昭和天皇の弟宮でいらっしゃる秩父宮が旧会津藩主松平容保の孫娘を、また同じく高松宮が末代将軍徳川慶喜の孫娘を妃としてお迎えになったこともその名残と見られる。
また、古事記によると、高天原から降臨した邇邇芸命が大山津見神(山の神)の娘と結婚して、火遠理命が生まれ、火遠理命が綿津見神(海の神)の娘と結婚して鵜葺草葺不合命が生まれ、鵜葺草葺不合命が綿津見神のもぅ一人の娘と結婚して神倭伊波礼毘古命が生まれ、初代天皇に御即位になった。邇邇芸命が即位せず、伊波礼毘古命まで待つ必要があったのは、日の御子が未だ血縁大系の中心を占めるに至っていなかったからといえる。
天皇の正統性は天照大御神の御子であるといぅ大前提があるが、もしそれだけで十分な正統性を得られるであれば、邇邇芸命が即位していなければおかしい。初代天皇の成立を伊波礼毘古命まで待ったことから、天皇の正統性は、天照大御神の御子であるだけでなく、日本民族の血縁大系の中枢となることで備わると見ることができる。日本民族を一つの家族と見た際に、天皇は家長のような存在であるといえる。
そして、このような天皇に相応しい血統を、歴代天皇が代々受け継いできたのが「万世一系」なのである。
さて、先の大戦で日本軍人が守ろうとした「国体」がどのようなものであったかは、すでに明確になったであろう。歴代天皇の男系の血筋を受け継いだ者しか天皇に即位することはできなかった。長い我が国の歴史のなかで、歴代天皇の男系の血筋を受け継がない者が天皇に即位した例は一例もない。男系継承の皇位継承原理が途絶えてしまったら、それは国体の破壊である。もし現代を生きる我々が「女系」天皇なるものを成立させてしまったら、先人たちが命を懸けて守り抜いた国体を、日本人自ら破壊する愚を犯すことになろう。
もし将来において、男系の血筋を受け継がない者が天皇に即位(いわゆる「女系」天皇)した場合、その天皇は、日本民族の血縁大系の中枢を受け継いだことにならず、それ以降の天皇は、天皇の正統性を失ってしまう。そして、一度失った正統性を再び取り戻すことはできない。
異質な血統の者が天皇に即位する違和感は、そこから来ている。もし、男系の血筋を受け継がない者が即位したら、一定数の日本人はその天皇に違和感を抱くことになるのは避けようがない。そのことが最大の問題といえる。
つまり、現在の天皇陛下を天皇として認めないという国民はほとんどいないが、男系継承が途切れた場合に、一部の国民は認め、また一部の国民は認めない天皇に成り下がってしまう。そのような天皇は「日本国民統合の象徴」(日本国憲法第一条)として相応しくないといわねばならない。男系継承を継続したら、そのような問題は起き得ない。
安定的な皇位継承策を議論する政府の有識者会議(座長清家篤元慶應義塾長)は、六月三十日に行われた八回目の会合で、女性皇族が婚姻後も皇族に残る案(女性宮家創設案)と、旧宮家の男系男子を皇籍に復帰させる案(旧宮家養子案)の二案に絞って方向性をまとめることを確認したという。
小泉政権での有識者会議では女性天皇「女系」天皇を容認する方針が示され、野田内閣ではパブリックコメントが出されたが、これまで男系継承を保つための方策が政府で検討されたことはなかった。そのため、現在有識者会議で議論が進む旧宮家養子案は、極めて画期的な展開といえる皇位継承が不安定となった唯一の原因は皇位継承資格者の減少であり、それ以外の理由ではない。皇位の安定的継承を確保するのは、資格者を確保することに尽きるといえる。
伝統とは、歴史の中で取捨選択を繰り返しても、なお人々によって選択され続け、守られてきたものである。これは、長い間風雪に耐え蓄積された先人たちの叡智の結晶ともいえるものである。保守主義とは、人間は不完全であるという前提に基づき、物事を急激に改変することを嫌う。人間の不完全さを直視するが故に、伝統を重んじることになる。現代の日本人は、天皇の原理を変更することに、畏怖の念を抱かなければならない。
少なくとも、靖國神社を崇敬する方には、英霊たちがどのような日本を残そうと思っていたか、その思いに意識を向けて頂きたいと思う。
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竹田宮系図(ウイキペデアより)
初代当主恒久王の妃は明治天皇第六皇女昌子内親王。
現在の当主は、恒徳王の長男第3代当主竹田恒正。1940年10月11日(80歳)。息子は恒貴(1974年生)がいる。
第2代当主竹田恒徳の男系子孫は次の通り。
次男恒治王には2人の男子(恒昭 1979年生・恒智 1980年生)がいる。
三男恒和(皇籍離脱直後に出生したため身位を持たない)には2人の男子(恒泰 1975年生・恒俊 1978年生)がいる。
初代当主恒久王の妃は明治天皇第六皇女昌子内親王。
現在の当主は、恒徳王の長男第3代当主竹田恒正。1940年10月11日(80歳)。息子は恒貴(1974年生)がいる。
第2代当主竹田恒徳の男系子孫は次の通り。
次男恒治王には2人の男子(恒昭 1979年生・恒智 1980年生)がいる。
三男恒和(皇籍離脱直後に出生したため身位を持たない)には2人の男子(恒泰 1975年生・恒俊 1978年生)がいる。
「入り婿」「婿養子」の事だと思われますが、「皇室典範」第九条は養子を禁じています。
(了)