発行者 昭和23年24年開成学園卒業生の記録
“ペンと剣の旗の下”刊行委員会
発行2007年11月11日(非売品)
“ペンと剣の旗の下”
「第5章 学徒勤労動員」
東京第一陸軍造兵廠
其のⅢ
造兵廠の思い出六話 T・T
4.第四話「サーベルで殴られるの巻」
末期になると、頻繁に空襲に襲われるようになった。工場が焼けて、防空壕を掘らされた。「やっと、ゆっくり入れるな」と思ったら、「我々は重貴書類の管理という大切な任務がある。従って防空壕に入らねばならぬ。貴様逢は煉瓦35㎝の厚い壁に囲まれ安全である。敵機上空でも安心して働け」と命令された。オッチョコチョイの小生は「大尉殿、壁は厚いが、天井はトタン板であります」と言ってしまった。「馬鹿もん!」一喝と共にサーベルで殴られ、頭がしびれ、目に火花が走った。訓辞が終った後、洗面所に行くと帽子が裂け、頭に血が出ていた。
一~二週間経ったら、大尉の秘書(本女(日本女子大学ポンジョ)の学生)が来て、密やかな声で大尉がサーベル殴打の件を絶対秘密にしろ、もし言ったら開成をただでは置かないと言っているという。ナゼかと聞いたら、他でサーベルで殴られた学生が死んだので、陸軍省からサーベルで打つなという通達が出たという。後年思ったのは、同じ日本人をそのように扱うなら、戦地へ行ったら何をするのかと考えさせられた。後年何時か当時の軍部とは何かを考えたくて、種々の本を読み漁ったが、軍人として立派な人の事例も多々ある。我々はどうも悪い籤を引いたようである。
5.第五話「終戦の日の巻」
特筆すべきは終戦の日である。正午を過ぎると造兵廠の門はトラックでごった返し、すべて貴重品の軍服、米、砂糖などを山と積み、われ先に逃げ出した。「俺は中佐だぞ!」、「何を!中佐もへったくれもあるものか!戦争は負けたんだ!そこどけ!」、これこそまきに戦
場だ。車同士ぶっつけ合いながら、蜘蛛の子を散らすように遁走した。(*)
何をする気カも無く、日本刀(最後の職場が日本刀の柄・鞘作り)で竹を切ってみた。剣道には自信があったが、カーンと跳ね返されるばかりだった。すると刀匠(軍が集めた刀鍛冶の名人が近づいてきて、「坊ちゃん危ないですよ。そんな格好では切れませんよ。こうやるのです」と言って、今思えば据え物切りの要領で腰を落としながらスット腕を振るうと、太竹がスパッと斜めに切れて落ちた。それから手をとり足を取り教えて貰って、漸く竹の三分の一
位切り込めるようになった。「さあ、もう気が済んだでしょう。これからも大変なことになるでしょうが、坊ちゃんも気を確り持って、あんな人達にならないように頑張って下さい」と言われ、ウン、ウンとしきりに領いたことだけが鮮明に浮かんでくる。子供でも「さすが一芸に秀でた人は、このような動乱の時にこそ真価が出るものだ」と感心した。
(*)同様な事は全国的な傾向だったようだ。平成4年8月12日付け朝日新聞
(朝刊)に参謀本部での物資争奪が次のように投稿記事にあった。
「玉音放送の日 軍物資を争奪」