南京利済巷慰安所跡陳列館を見学した。この陳列館は侵華日軍南京大虐殺遭遇同胞祈念館の別館となっている。
ジャーナリスト西野瑠美子さんや元共産党参議院議員吉川春子さんが協力された。
「南京利済巷 慰安所旧跡陳列館」リーフから
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南京利済巷慰安所旧跡陳列館は中華民国時代の八棟の歴史建築で構成され、国民党中将の楊普慶氏によって1935年から1937年にかけて相次いで築かれる二階建てのレンガと木材混合構造物であり、「普慶新村」と名付けられた。1937年末、日本軍が南京を占領後、利済巷2号の建物を「東云慰安所」に、18号のを「故郷楼慰安所」に改造した。利済巷2号の二階にある第19号室は朝鮮籍「慰安婦」被害者朴永心氏が三年間日本軍の性奴隷に強いられたところであり、2003年11月21日、朴氏が南京に来られた際、この場所を確認した。ここもまた唯一の外国籍「慰安婦」被害者に現場で確認された慰安所である。
2014年11月、南京市人民政府が利済巷慰安所旧跡の修復、展示作業を行い、2015年12月から正式に開館した。
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南京を侵攻占領した日本軍第16師団司令部の近くに建てられた。日本人、中国人、朝鮮人の慰安婦が入る建物が同じ敷地にあるのが特徴だ。日本人は慰安婦とは呼ばれなかったろうが、将官、士官は日本人を相手にしたと考えられる。
新宿区には牛込・神楽坂、四谷・荒木町、淀橋・十二社(じゅうにそう)の三業地が、内藤新宿(新宿二丁目)に遊郭があった。
区内の軍事施設の軍人と陸軍諸学校の生徒・学生たちの内、将官は待合で芸者をあげ、下士官以下の兵卒や生徒は遊郭に登廊、軍隊での抑圧された日々を発散させたようである。
この延長線上に中国や東南アジアでの日本軍による現地女性のレイプと「従軍慰安婦」問題が存在するのである。
【注】
芸者街でいう三業とは料理屋、待合、芸者置屋のことで、遊郭では貸座敷、娼妓、引手茶屋をいう。
母が
>順一 お父さんは慰安所に行ったみたいだよ
入り口には白い暖簾が架かっていたそうだよ<
と話してくれたが、この慰安所の各部屋はドアーになっている。
慰安婦の部屋、風呂場が復原され、懲罰のために閉じ込める天井裏部屋もあった。
コンドーム「突撃一番」、性病予防の「星秘膏」、女性器を診察する衛生器具も陳列されている。
女たちの戦争と平和資料館などで展示される有名な「大きなお腹をした妊娠している朝鮮人慰安婦」の写真がある。その慰安婦が韓国からここを訪問し、酷かった生活の様子を証言している。展示写真と部屋を観ながら「性奴隷」にされた女性に大変申し訳ない気持ちで胸が熱くなった。
日本人には是非見学して欲しいということなのだろう。展示パネルに日文があるが、多くの旅行社のツアーもここを見学するコースにしてもらいたい。
(続く)