現代中国成立の礎となった孫文による「辛亥革命」は歴史教科書で習ったことを覚えている方は多いと思います。
百人町二丁目大久保スポーツセンターの隣にあった梅屋庄吉という人物の屋敷で孫文と宋慶齢が結婚披露宴を挙げたことが日中友好条約締結の機運昂まった30年前に出版された伝記「国父孫文と梅屋庄吉」で明らかになりました。
慶齢(ケイレイ)は当時、中国随一の財閥「宗家」の次女で、長女靄齢(アイレイ)は銀行家孔祥煕と、三女の美齢(ビレイ)は国民党総統となった蒋介石と結婚し、三人が三人とも、中国近代史において欠かすことのできない女性だったのです。あまりにも劇的すぎる境遇を生きた三人の姉妹ですが、これがれっきとした史実であるというから驚くばかりですね。
さて孫文や蒋介石は知ってはいても歴史教科書には載らないし、一般書物でも見たことがない「梅屋庄吉」なる人物を私たちが知らなかったのも無理はありませんでした。
『支那の革命について、自分が尽力したことは、自分と孫文との盟約に基づいてしたことである。自分の死後、このことを明かしてはならない・・・』と遺言していたからでした。
名誉のためにやったのではないという日本男児の心意気には惚れますね。