靖国神社社報5月号のコラム「靖濤」に、「田山花袋の著書『東京の三十年』」を引用している。しかし、花袋が文中で触れている「清朝の狛犬」のことは記述していない。よって〔靖国神社は境内案内図から「清朝の狛犬」を消すぐらいなら中国に返還すべき〕を是非ご参照ください。
「靖濤」 神門を潜り、参道を挟んで立つ青銅大燈籠が一対。年月を経た趣のある緑青の風合い、流線形を描く笠と重厚な御影石の台座、そして赤いガラスが施された火袋は夕方になると明かりが灯され鈍く光る。この燈籠は百四十年前、明治十三年五月に警視局より奉納された。
明治十年、各地で起きていた反乱に国内は大きく動揺しており、政府は内務省下に警視局を置くことで全国の警察組織を指揮し、国内治安の確保に努めた。同年、西南の役鎮圧の為、同局は警視隊を派遣した。同隊は薩軍との白兵戦に対応すべく剣術に秀でた者で編成した抜刀隊を中心にめざましい働きをした。しかし、同時に多くの警察官が戦歿された。明治十三年、靖國神社にて同局の大燈籠の奉納に合わせて戦歿者慰霊の臨時祭が、勅使参向のもと斎行された。
作家の田山花袋の父も警視隊として戦歿され、靖國神社に祀られている。花袋は著書『東京の三十年』の中で、国の為に身を捨てた父親の魂は、其処を通ると、近く私に迫ってくるような気がしたと著している。幼い頃から特別な想いをもち、神社に折々足を運んでいたことであろう。
国家危急の時、我が身を顧みずその第一線に赴く人々がいる。戦後最大級の国難と言っても過言ではない今般の新型コロナウイルス感染症でも同様だ。遂に政府は初めて東京をはじめ七都府県で緊急事態宣言の発令に踏み切った。今この時も医療関係者はもとより公共機関や民間企業等で国民生活の維持のため、日夜献身的な任務を遂行されている人々への敬意をはらいたい。我々は、この鬪いに少しでも早く終止符を打てるよう一人一人が出来る事に力を尽くしてゆくべきであろう。
「几号水準」の刻印
靖国神社は標高26.99㍍
(続く)