秋の旧米沢街道・・・
一句、秋晴れの裏磐梯に紅葉を・・・
今の裏磐梯は秋の観光真っ盛り県外ナンバーが続々、渋滞・・・
○ 紅葉の裏磐梯と檜原湖・・・
観光道路から離れ旧米沢街道へ・・・
旧米沢街道は、会津より出羽の国へ通ずる唯一の街道であり、
大塩温泉(北塩原温泉)より萱峠(大塩峠)、蘭(あららぎ)峠、桧原峠の三峠を通り
米沢領の綱木宿へ向かう路線である。しかし、
桧原峠から綱木まではけもの道となって近づけない・・・
会津若松から米沢まで約100㌔・・・いろいろな歴史が埋まっている。
旧米沢街道に入ると時折車は通るが静かだ・・・
今も残っている旧街道
雄藩伊達、上杉、松平の武士たちにとっても痛恨と哀切の街道である。
伊達は念願だった会津の地を奪ったが
秀吉の命によって無念の思いで出羽永井庄(米沢)へ・・・
また直江兼続は米沢と会津を往来している。
そして、後に米沢に減封移動する上杉家臣団がこの街道を埋めた。
外人も、イスパニア人・セバスチャンスピカノス、伊達と密約 ? ・・・
会津藩祖保科正之も出羽から・・・
山形より多くのお寺が会津に僧とともにこの街道を・・・
会津藩悲劇の幕末には、
吉田松陰や会津藩の要人の往来が激しくなる・・・
中の七里の一里塚跡・・・若松から7里、米沢まで7里・・・
萱峠の松並木…伐採されて今は・・・500年前から街道を見ている・・・
冬でも桧原から大塩へ歩いて買い出しに行っていた。
豪雪の中、松並木はその目印にもなっていた。
萱峠、蘭峠を越えて下がれば桧原村・・・
昔の村は湖の中・・・
明治の磐梯山の大噴火で水没・・・
湖底から現れた樹林、今は朽ち果てている・・・
今、何もなく静御前・・・まもなく雪が降ってきて湖は凍る・・・
次回会津の街道は・・・