昨日に引きつづき、ティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンの演奏会を聴いた。
ティーレマンを生で聴くのは今宵で4度目だが、ようやくティーレマンの本領を知ることができて本当に良かった。
最初は、2006年、即ちモーツァルト生誕250年の記念の年、ウィーン国立歌劇場に於けるモーツァルト「レクイエム」で、これは国立歌劇場合唱団の出来映えの悪さもあって、どこか余所余所しく、モーツァルトへの愛情の感じられない演奏。
2回目は、当ブログでも触れた、2013年にサントリーホールで聴いたウィーン・フィルとのベートーヴェンで、急アクセル、急ブレーキの車に乗せられているような乱暴な演奏に辟易したのを憶えている。
そして、昨日の横浜に於けるブルックナー「9番」。 昨日、「今は書かない・・・」 としたのは、ご想像の通り印象が良くなかったのだ。SKDが素晴らしいオーケストラであることは伝わってくるのだけれど、ブルックナーは沈黙していた。ティーレマンの指揮が、アッチェレランドやクレッシェンドで力んでしまうので、法悦感が得られなかったのである(もちろん、理由はそのたった一事ではないが、ここでは触れない)。
しかし、今日はプログラム前半、リスト:交響詩「オルフェウス」、ワーグナー:「ジークフリート牧歌」ともに、肩の力の抜けた美しい指揮ぶりで、特にメゾ・ピアノからピアニシモに至る弱音に、無限の階調があって唸ってしまった
そして、後半の「英雄の生涯」の凄さといったら、言葉もない。昨日より良かったというレベルではなく、一生に何度出会えるか? という驚異の演奏であった。
確かなのは、作曲者自身、カール・ベーム、ルドルフ・ケンペらに受け継がれてきたシュトラウス演奏の伝統がそこに息づいていたということだ。エテルナ・レーベルのアナログ盤に聴くケンペのシュトラウス全集と繋がるものが、サントリーホールに鳴り響いた。旧東ドイツが旧西ドイツに編入されてから24年の歳月を経て、このオーケストラに未だ国際化という名の個性の喪失が起こっていないというのは奇跡である。そして、今宵、わたしは、その尊い歴史を聴いたのである。SKDのみならず、ティーレマンの指揮もまた、この伝統の流れの中に立つものであったと言えるだろう。一方、先日聴いたパーヴォ・ヤルヴィとN響の「英雄の生涯」は、そうした歴史に囚われない新しい演奏であり、同じ土俵で較べるべきものではないように思う。
さて、こうなると、明日、もう一度、サントリーホールで、ティーレマンのブルックナーの真価を確かめたい衝動に駆られる。明日なら感動的なブルックナーに出会えるような気がしてならないからだ。しかし、そうそう大オーケストラばかり聴いてもいられない。大いに悩んだ末、予定通り、ミケランジェロ弦楽四重奏団によるベートーヴェン・チクルス初日を選ぶことにしよう。
とまれ、今宵、会場に足を運んだのは幸いだった。昨日のブルックナーで終わっていたなら、もう一生ティーレマンと無縁な人生を送っていたに違いない。4度目にして、ティーレマンを好きになれて良かった。
2月23日(月) サントリーホール 19:00
リスト:交響詩「オルフェウス」
Liszt:Symphonische Dichtung‘Orpheus’ S98/R415
ワーグナー:ジークフリート牧歌
Wagner:Siegfried Idyll
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
R.Strauss:Ein Herdenleben op.40
アンコール:ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲
クリスティアン・ティーレマン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
さて、大きな感動を胸にサントリーホールを後にすると、アークヒルズでは火事騒ぎがあって物々しい雰囲気。その後、ニュースになっていないところをみると、大事には至らなかったのだろう。