akubiののほほん日記

のほほんとした日常の一コマを綴っています。

あれから30年・・・

2025年01月17日 22時52分57秒 | 雑記

近畿地方中部のお天気は、

寒い・・・と言えば寒い一日でした。

彼の震災から30年目の今日は、鎮魂、祈りの日。
校区の学校では、半旗が掲揚されていました。

1995年1月16日、その日は、「成人の日(1月15日)」の振替休日。
私の実家へ夕方から行き、帰宅した後、テレビをつけたら流れてきた地震速報。
その時は、大きな地震で棚から物が落ちるシーンの話題になって、「関西には大きな地震は来ないもんね」と言っていました。

なんで、そんなことを話題にしたんだろう?
その数時間後、ゆ~~らゆら揺れたかと思ったら、ドン!と突き上げられ、ゆさぶられている間、食器棚から食器が飛び出し、床に落ち、割れる音が響くとは・・・

音を聞きながら、「地震って英語で”earthquake”って言うんだっけ?」等、しょうもないことを考えていた私。
ある意味、逃避していたんだろうか?

揺れが収まった後、台所では食器などが散乱、和室ではタンスが倒れ、押し入れに突っ込んでいました。

当然、電気は付かないし、ガスが漏れているような臭いが外でしているし・・・
社宅という集合住宅なので、孤立することがなかったのが幸いでした。
倒れた家具などを起こすのに、助け合うことができました。

夜が明け、明るくなってくると、道路1本違うところでは全壊・半壊の住宅、火事になっている住宅などが目に入ってきました。
また、実家に連絡しようにも、電話は繋がらない。
その頃には、停電が解消され、掃除機が使えたので、割れた食器の片付けをし始めましたが、食品や水の確保などに考えが行かなかったです。
なんでコンビニに並んでいるのだ?と不思議に思ったくらい。
何も備蓄していないのに、災害に対しての知識がゼロでした。

停電はすぐに解消されましたが、水が出るのには時間がかかりました。
出始めは、汚れた水しか出ず、4月頃に水道管の洗浄だったか、水道管の取り替えをしてもらえるまで、飲み水としては利用できなかった。
ガスも、ガス漏れをしていたので、こちらも工事するまで出なかったので、何ヶ月か必要でした。
その時に役に立ったのが、カセットコンロと電子レンジ。
電子レンジは電気がきていなきゃどうしようもないけれど・・・
なので、カセットボンベは、今では備蓄しています。

でも、本当に悲惨な現場を見るのは、もう少し後。
一部損壊判定の住宅では想像できない世界が、広がっていたんですから。

また、親戚では自分の家は何にも被害がなかったけれど、近隣火災に巻き込まれ全焼した人もいます。また別の親戚は、一見何ら問題無さそうな家だけど、基礎がずれてしまい、全壊扱いになった家、全壊になって子供家庭を頼って地方に移住した親戚と、情報が集まってくるのは、もう少ししてから。
というのも、しばらくの間は、電話が通じないし、通じても混線している。
うちにも、全く知らないところから電話がかかってきたことがあります。
「やっと繋がった!と思ったのに・・・」と言う声も記憶に残っています。

公園やグランドに仮設住宅が建ち並び、やがて住宅や災害復興住宅が建ち始めると同時に仮設住宅が消えていき、やがて公園やグランドが復活する。
倒れた阪神高速の橋脚も元に戻ったり、駅ビルが新しくなったりと、地震の痕跡はないかも知れないけれど、防災意識だけは少しだけ身についているかなと思う今日。

 

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