新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

城内は、豊臣秀吉関連の展示品盛りだくさんの…大阪城天守閣に行く…後篇

2024-09-12 07:00:07 | 歴史史跡

大阪城天守閣に行った話の続き

 

7階は
「豊臣秀吉の生涯」

大阪城を築き天下統一を成し遂げた
豊臣秀吉の生涯をジオラマ&映像で綴っていく
「からくり太閤記」のコーナーがあって、これ、見入っちゃう…


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ホログラムで人物の映像が浮かび上がる
ジオラマとホログラムを組み合わせ、秀吉の生涯を描いたもの

日吉丸誕生


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蜂須賀小六との出会い

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このシーン
五色園に、等身大人形で再現されていましたな

この子供が
後の豊臣秀吉こと日吉丸







蜂須賀小六の槍があたったと
大勢の大男に囲まれても
臆することなく声を掛けたシーン

織田信長に仕える
秀吉の「ぞうり取り」のシーン

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NHKの大河ドラマでみた記憶が…

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「おね」との結婚…
秀吉は「おねがいだから結婚して…」とおねがいしたに違いない??

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清州城割り普請(ぶしん)
僅か3日で城を修復
普請(ぶしん)ならぬ無心(むしん)で働きに働いたことでしょう

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高松城水攻め
作戦は成功して、気分はたかまつ…もといたかまる(高まる)じょー!!

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信長葬儀
その後、秀吉はわずか3歳の三法師を後継ぎに推すんですな


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賤ケ岳合戦
柴田勝家を破る

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大坂城築城

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ホログラムの人物が
巨石を御覧のように運んでる

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小牧・長久手合戦
家康にやられちゃった戦いですな
もう戦いが、ながくて

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北野(きたの)大茶会
多くの人がやってきたの

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聚楽第行幸
天皇を屋敷に招いて大宴会(えんかい)

こんなことをしてて、ええんかい??


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小田原攻め
天下統一の総仕上げですな

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太閤検地
この言葉、歴史の教科書で覚えましたな

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大仏建立
鐘に刻まれた
「国家安康」に徳川家康がいちゃもんをつけて
「大坂夏の陣」に繋がっていったのは有名な話ですな
だいぶつだけに、だいぶ、ぶつぶつ文句を言ってたことでしょう

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朝鮮出兵

今、この大坂城は、多くの韓国人に占拠されていますよ

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関白秀次追放事件
秀次の妻妾子女の殺害の場面は、ホログラムと言えどもカットしてありました…
あ、このカット、斬ると掛けているんよ!気づいてくれたかな…

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醍醐の花見
お花見は、「だいご」で「だんご」を食べたのでしょうか

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臨終…62歳…

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さてさて
バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!

私、そのとおりの性格でして

8階、展望台へと

な、なんと地上50メートルの大パノラマ
秀吉気分で
妄想の中で、姫をはべらかせながら
眺望を楽しむ


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雨も上がってきたので
大坂城御座船も動き出すのかな
これに乗ると、石垣が近くでみえたりするのかな
石垣マニアの私なので、ちょいと気になる!気になる!!

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金シャチと「ミライザ大坂城(旧第四師団司令部庁舎)」

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ここでエリッククラプトンをみた
大阪城ホール

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OBP(大阪ビジネスパーク)のビル群

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曇ってはいるものの雨はすっかりあがって

ところで「台風どこやねん?」

探してみるも、みつからず…

そうそう、展望室は8階の表示だけど、大阪城は、6階の展示がないのよ!

6階は、回廊(かいろう)になっていて

そう、この後は、お察しのとおりホテルにかいろう!(帰ろう)!!

 


城内は、豊臣秀吉関連の展示品盛りだくさんの…大阪城天守閣に行く…前篇

2024-09-11 05:48:32 | 歴史史跡

大阪城天守閣に行く…


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この地は戦国時代は大坂本願寺(石山本願寺)だった場所
織田信長と戦った石山合戦によって、石山本願寺は廃寺に…

その後、その地に豊臣秀吉によって築城、天下統一するも
徳川家康が攻めた大坂の陣によって落城
その後、徳川幕府によって再築される…
しかし、明治維新の動乱によって焼失、明治維新後はこの地は陸軍管轄地
そして戦後になって公園として整備されるも

今、見ることができる石垣や堀、大手門・多聞櫓・千貫櫓などといった古い建造物はすべて徳川時代以後のもの

なんだけど


大阪城天守閣の中の展示の数々は
ほとんどが豊臣秀吉関連のものばかり…
関西人が、とことん、
豊臣秀吉推しであるのが、よーくわかる

大阪城天守閣


令和6年の「大坂夏の陣」???
そんな豊臣一族が籠ってた城に
徳川家康ではなくて、「外国人」がどどっと攻め寄せていました!!
中国人、韓国人多め…
秀吉の朝鮮出兵の仕返しかと思えるほど…笑
大阪城天守閣は、アジア系外国人に占拠されていました

とにかく…日本人少なめ
この日は、台風10号で大荒れの天気予想だったのに…
(実際は、しとしと雨が降ってる…そんな天気でした…)

さてさて雨の濡れない
大阪城天守閣の中へと

その前に…大阪城天守閣の入り口の前に…

号砲(ごうほう)が…
このドラッグは…ごうほう(合法)だから大丈夫やー!!ということではありません!
明治時代にはお昼をつげる号砲として使われ、大阪市民の時報として親しまれてきたものであるよう

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さて、まずは2階の
「お城の情報コーナー」へと

大阪城巨石の所在地のマップ
先程、桜門の「蛸石」は眺めてきて
デカっと思ったけど
他にもあるんですね…
藩主が、我が藩の石が一番でかいぞ…
と自慢したいがために、必死になって競い合って運んでいる姿が目に浮かぶよう
あ、さすがに藩主は自ら巨石を運ばないか
大坂城公園は、ホント広くて、そしてこの蒸し暑い雨の中
巨石を完全制覇しようとみて廻りたいとは思わないけど

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大阪城内刻印石所在地図のパネル
暇だったら…雨も降ってなくて、蒸し暑くなかったら
散歩がてら
刻印石探しウォーキングも楽しいかもね
私は、今、空調のよく効いた大阪城天守閣の館内から、一歩も外に出たくありません…

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大阪城の刻印石の解説パネル

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南側から見た豊臣・徳川大坂城本丸の比較

同じ所には建立してないんですね

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…ということで「謎の石垣」がみつかったとのことで
「地上から消されている豊臣大坂城の謎」

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豊臣大坂城のいこう(遺構)をみつけにいこう…なんてね

 


「早わかり大阪城史「幕末・明治以降の大阪城」」の映像をここで眺め…

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兜・陣羽織の試着体験コーナー

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豊臣秀吉にも
真田幸村にも

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黒田官兵衛にも
後藤又兵衛にも
加藤清正にもなれちゃう
私は、武将(ぶしょう)にならなくても、不精(ぶしょう)に、すでになっているので、なりませんけど


多くのアジア系外国人が
豊臣秀吉や真田幸村などの武将になってました!

ここには
天守閣で使われている

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「伏虎・鯱」の原寸レプリカが

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頑張れ!阪神タイガース!!
本能的に、そう思っちゃいますなあ…苦笑

続いては
エレベーターに乗って
一気に5階

「大坂夏の陣図屏風の世界」のコーナーへと

ここでは、驚くほど精巧な
真田幸村隊と松平忠直隊との激戦がジオラマとなって再現されてる
「ミニチュア夏の陣」

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戦いの先陣をきる
真田大助

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そして、騎馬で向かう
真田幸村

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こちらも
騎馬に乗って攻める
松平忠直

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この背後に展示してある
図屏風に基づいてミニチュアで再現されているとのこと

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一体一体動きが違ってて、つい、この大坂の陣の世界観に没頭してしまうほど…

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そして
「大坂夏の陣パノラマビジョン」

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この屏風図に描かれている各場面のストーリーを絵解きしていく優れもの…

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豊臣大坂城も5層だったことが、この図からもよーくわかる!!

そして、大阪城の天守の窓から顔を出して泣いているのは
淀殿か???



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「大坂夏の陣図屏風」より
真田幸村と真田大助


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一方、こちらは
松平忠直隊

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各武将の解説パネル
徳川方


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豊臣方


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大坂夏の陣参戦武将の旗印

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「早わかり大阪城史「豊臣秀吉の大阪城」」の映像をここで眺め…

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続いては
4階に降りて
4階では企画展示「豊臣水軍-海で躍動した武将たち」

この階は写真撮影禁止でした…
九鬼嘉隆関連の展示品がいっぱい!!

九州攻めや小田原攻めでも水軍が活躍してたんですね

「早わかり大阪城史「徳川幕府再築の大阪城」」の映像をここで眺め…

階段で下って
3階へと

3階は「燃える!大坂城史」


大坂夏の陣で大坂城焼失
戊辰戦争で大坂城焼失
それにまつわる資料がどどんといっぱい…

さらには「黄金の茶室」が復元されていたり
豊臣時代の大坂城のジオラマも…

この階も撮影禁止でして

「早わかり大阪城史「江戸時代の大阪城」」の映像をここで眺め…



その後は、階段で…健康のためにいいと信じて、階段でよじ登る…6階には展示品がなく…というよりも、そもそもフロアがなくて
そのまま7階へと上る

そう6階がないのよ…

6階は回廊(かいろう)になってまして

だからといって、帰りませんよ!…「かいろう」と言われても…笑

この続きは、また明日…


大阪城、桜門のそばにある大阪豊國(ほうこく)神社を参拝する…

2024-09-10 05:21:55 | 歴史史跡

大阪城、桜門のそばにある
大阪豊國(とよくに)神社
じゃなくて…


大阪豊國(ほうこく)神社


そう、今回は、大阪豊國(ほうこく)神社の参拝記を
ほうこく(報告)しよう!


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豊臣秀吉のみを主祭神とする京都の豊国神社は、「とよくに」と訓読みをするのに対して、ここ大阪の豊国神社は、「ほうこく」と音読みで、豊臣秀吉、秀吉の子、秀頼、秀吉の弟、秀長を御祭神とする神社

神社の由緒は1868年、明治天皇・大阪行幸の際に豊臣秀吉の功績を称え、大阪の地に奉祀するようにと仰せられる…明治6年徳川家によって京都の豊国神社の社殿が造営され

ここ、大阪には
明治13年、別格官幣社豊國神社の別社として中之島に創建され、昭和36年に大阪市の要望により移転し、現在の神域になったそうな

表鳥居はコンクリート製


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手水舎
柄杓はなく、センサーで人感を感じ、水がでる最新型?



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さて
この神社で、一番インパクトのある像がこれ

豊臣秀吉公銅像

それにしても顔が険しくて険しくて
死後、お空から、大坂夏の陣の行方を眺めていたからでしょうか!?


実は、この像は、秀吉の小田原征伐時の、いでだちをモデルにしたらしい
ってことは、天下統一の時の像
攻めているときだから、顔が険しかったんですね!

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拝殿横にあった
出世開運絵馬
大阪の地なのに
「「虎」じゃなくて、「龍」なのね!?」と


一瞬思ったけど
今年は、辰年だったんだ!

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拝殿では、最後に手を合わせることにして

拝殿が本殿と繋がっていることを確認???した後には、境内の散策をば
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石灯籠の奥には
鳥居(とりい)があったことを
とりいそぎ紹介して




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この鳥居から境内に入るときは、石灯籠(とうろう)の横を、とーろう!!


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石碑もありまして
「岡田平蔵招魂碑」
全然知らない方なのでググってみました…

岡田平蔵さんは、大阪の商人…
大阪豊國神社…豊臣秀吉とは、なんの関係もない方でした…
この石碑は江戸時代、中之島に建てられたもので、蔵屋敷の名残であり、大阪豊國神社への遷座より早く、この位置に立っていたのだそう…要するに、遷座する前に大阪豊國神社より先に、この地に岡田平蔵招魂碑があったよう…


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もう一つ
卓叟追思碑
1881年(明治14年)に木村重成の子孫が建立

「大坂夏の陣」で討ち死にした、豊臣方の戦国武将、木村重成

こちらは、秀吉の忠臣・木村重成と、秀吉に尽くした
大阪豊國神社…豊臣秀吉とは、深い関係のあった方でして…

「大坂夏の陣」での木村重成の最後の戦いは、激戦となった「八尾・若江の戦い」

木村重成隊は、未明より大坂城を出発…大坂城から東南8㎞ほどの地点の「八尾」を目指したが、沼地に阻まれたため、その北の「若江」で徳川方の河内方面隊を迎え撃つことに…八尾には、豊臣方の長宗我部盛親が陣を構える…
一方、徳川方の河内方面隊はというと、藤堂高虎、井伊直孝が先鋒であり当初は、八尾で長宗我部隊が藤堂高虎隊を圧倒、若江でも木村重成隊が激しい銃撃で藤堂右翼隊を迎え撃ち、藤堂隊は兵の半数を失って敗走…その後、井伊直孝隊が、藤堂高虎の右翼隊の敗走を知ると、今度は井伊隊が木村重成の隊と激突!
最終的に、木村重成は、井伊隊の安藤重勝に討ち取られた…

こうして、石碑もググってみると、なかなかおもしろいものだな…
神社に深い縁のある方は分かるんですけど、全く関連性のない方の石碑も境内に建立してたりして

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さて、境内社は
手水舎のそばには、

若永神社

宇迦之魂神を祀る神社
火難除の守護として淀屋の屋敷内に鎮座していたが、街の発展に伴って、豊国神社境内に遷座したとのこと

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もう一つ境内社がありまして
白玉神社や七夕神社、玉春神社、玉繁神社などが合祀された境内社


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この、二つの境内社をニ礼二拍手一礼した後には
豊臣秀吉、秀頼、秀長が御祭神の
拝殿へと


第二鳥居をくぐった正面が
拝殿



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左右の狛犬&獅子は青銅(せいどう)製で
かなり個性的
どうせいっちゅうねん!」
そんな声が、聞こえてきそう

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ではでは、
拝殿にて
ニ礼ニ拍手一礼


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でも、神様は
この日、
台風10号を徳川勢力のように思ったのか
大坂夏の陣の豊臣勢のように
籠城?しておりました…

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そんな「夏の陣」ならぬ
「夏のシーン」で、ございました!

大阪城公園を散策する…後篇

2024-09-09 05:00:07 | 歴史史跡

大阪城公園散策

レポの続きをば、早速…

 

天守閣を支える石垣
石垣をみるたび、いくらテコの原理と言えども
重機のない中、よくぞ、ここまで運んだな…よくぞ削ったなって
古の偉大な功績を妄想してしまう城マニアの私

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ところで
天守閣の近くに転がっている石は

「残念石」といって、この天守閣の近くまで運ばれたものの
石垣には利用されなかったようで
この石のようなこと、私の人生にもあるあるですな…

徹夜で準備したプレゼン、お披露(ひろう)めもなく終わってしまって…お疲労(ひろう)だけ残ってしまったこととか

とったと思った万馬券、鼻差で1着、3着とか…

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「残念石」の気持ちがよーくわかる???

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さて
ここが本丸御殿跡であることを示す案内看板

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そして、桜門の方に足を進めば
桜門の近くにある驚くほどデカい
巨石の石垣


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桜門枡形の巨石


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石と呼ばれ、城内表面積第一位!!
下の写真の左下の黒ずんでいるところがタコにみえるから
石なんだって
「あなた、こい(恋)しい…」といったセンチメンタルな「た、こ」からきているネーミングではないようで
そもそも…
こい(恋)し小石ではありませんからね!!


もう…デカい!デカい!!!
私が立つと、そのデカさがより分かりやすくなるかな


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そして
桜門
本丸の正面玄関
桜門の名称は豊臣秀吉が築いた時からのもの
当時は二ノ丸の桜の馬場にあったため、近くの桜並木に因んで命名されたんだとか

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門の両脇にある石は「龍虎石」と呼ばれ、雨が降ると、江戸時代には右に龍が、左に虎が現れると言われていたんだとか…


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桜門から入ろうとすると、丁度目の前に大阪城天守閣が顔を出すよ!!
絶好のフォトスポット!!

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銀明水井戸の井筒


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手水舎みたいになってました!!

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桜門の横の内堀は空堀…


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「石山本願寺と大阪」の案内解説板

ここ、大阪城のあった場所には
もともと
石山本願寺がありまして



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石山本願寺は、1496年に、蓮如によって建立
やがて本願寺派は「一向一揆」と呼ばれる武装集団となり、政治的影響力を増していく
1570年、本願寺は織田信長軍に向けて蜂起

およそ10年にわたって信長と戦い続ける…
信長軍優勢の中、やがて、信長は加賀にある本願寺の領地を返すことを条件に、和睦に応じる…

このとき、信長は、石山本願寺を解体せず、教団の存続も許可したものの…明け渡しの直後、原因不明の出火で建物はすべて焼失してしまったとか


その石山本願寺を建立した
蓮如上人真蹟の碑「南無阿弥陀仏」


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その後は、雁木坂の方へと

 大阪城の本丸を取り囲む二の丸、その内堀の東にあたるこの通路は
南から北にかけて急な下り坂になっていたよう…
今は、盛り土で勾配はゆるやかになっていまして

雁木(がんき)坂を往復すればげんき(元気)が保てる!!??

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その雁木坂から内堀を眺める…


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市正曲輪
豊臣秀頼の後見人として重要な地位を占めた片桐東市正且元の屋敷がここにあったと伝えることから「市正曲輪」と呼ばれていたよう

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いやあ、大坂城…
なんどみても見飽きない、ホント石垣が壮観だよね…

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いやあ、夏に半周するだけでも、くそ暑くて、タイヘンなのに、徳川家康は、よくぞ、こんなクソ暑い夏に、大坂夏の陣、豊臣側に戦いを仕掛けたものだ!
そのとき、家康、74歳…

絶対、私だったら、扇子片手に、城の中で、セミの鳴き声を鬱陶しく感じながらも、戦いなんぞせず、ゴロゴロしてるぞ…


さてさて、大坂城をぐるっと半周した後に
立ち寄ったのが
大坂城本丸にある

旧第四師団司令部庁舎
昭和6年建設の洋館

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これが、
新たな、にぎわい拠点である

ミライザ大坂城

というハコモノに生まれ変わっていまして
中は、空調が効いてて、めちゃ涼しいの!
もう、外の蒸し暑さと比べたら、月とすっぽん!

どうりで、忍者も、ここに涼んでいるはずだ(笑)
これ、リアルに人だと思っちゃった!
さすが、忍者、騙されちゃったよ!
煙玉も使ってないのに!

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ここでは、徳川、豊臣の大坂夏の陣ではなくて

「名探偵コナン大阪城本陣2024」

との平ぺったい武将の格好をしたコナンが
立っている

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そこには、
新作

「名探偵コナン 100万ドルの五稜星」


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をPRしつつ


「名探偵コナン 大阪城本陣 SPECIAL SHOP」が期間限定でOPENされていまして

いくつかのフォトスポットも


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ぶしょう(武将)の名探偵コナン
ぶしょう(不精)な迷探偵コンナン(困難)と…

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いやあ、ここは涼しくて快適…
つい、コナンだけに、コンナ、ドリンクが目に留まると
飲みたくなっちゃいますなあ

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「服部平次の抹茶ミルク」
ちょっとお高めの値段設定なのに
大阪にきたなら、やっぱ「服部平次」でしょう???

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空調の効いた中、おいしゅうございました!
「幸せ一時、ブタ一生」かも知れんけど

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えっ、アクリルコースターを買うと、またコースターがついてくるの??


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と、コンナ感じで、コナンに踊らされて
財布から小銭が消えていく…

ところで、台風10号は、コナン?…もとい、コナイのかな?

えっ、ぐぐってみると、紀伊半島の南の方だって

「そーナン」

台風10号こそ
「名探偵コナン」
ならぬ
「迷台風コナイ」
って、いいたくなっちゃうじゃないか!…苦笑



大阪城公園を散策する…前篇

2024-09-08 07:36:44 | 歴史史跡

2024年8月31日

この日は、台風10号の影響で、特に午前中は関西地方は大雨予報
名古屋~東京間の新幹線は、終日運休と
台風10号と重なった大阪旅行
さすがに、この日は、大雨、下手したら暴風雨でホテルに缶詰めかなと思っていたら、風も全くなく、優しい雨が降っているだけの大阪の繁華街

それどころか、雨もあがってきた…
ので、出掛けをば
JR大阪城北詰駅で、降りて
向かったのが

久しぶりの大阪城

30年前に、エリック・クラプトンの公演で、大阪城ホールへ出掛けた際、寄ったことのある大阪城
それ以来の大阪城

なんか、さすがに、30年前とは、イロイロモロモロ変わっていたような
そもそも、今回アクセスで利用したJR大阪城北詰駅もなかったんじゃないかな

おお、外堀に架かった橋、新鴫野橋から

大阪城がみえる!

模擬城だと分かっていても、テンションのあがる瞬間

この天守閣の廻り
大阪城公園の散策のレポをば

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大阪城公園案内図
城跡マニアの私にとっては、眺めていて実に楽しい図

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新鴫野橋の説明板
この橋は、豊臣秀吉時代の絵図や大坂の陣を描いた古絵には描かれていないことから、徳川政権時、大坂城の修築以降にこの新鴫野橋の元となる鴫野橋が架橋されたらしい…


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新鴫野橋の奥に天守閣

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外堀、その奥にみえる高層ビルとが、時空を超えて、一枚の写真におさまってる感じがして、なんかいいよね!
秀吉が、この光景をみたら…
「大坂夏の陣」同様に驚いてることでしょう

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外堀と石垣

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青屋門

大阪城には四つの出入口があり、その一つが青屋口…そこの桝形にある門が青屋門

立派な青屋門があるけど、残念ながら復元されたもの

「青屋」の名前は、戦国時代この地にあった大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来するようで

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青屋門をくぐって、みえる堀は内堀

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この石垣、高さが日本一なんだそうな
高さ32メートル

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桝形の石垣かな

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二の丸と山里丸を繋ぐ
極楽橋


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豊臣秀吉が1583年に築造を開始した大坂城のときに、すでに、この付近にかけられた橋を極楽橋と呼んでいたそうな

大阪夏の陣で、落城後、豊臣大坂城は埋められてしまったけど

徳川幕府が再建した時に、この極楽橋も、架けなおされたよう

江戸時代には幅8mの木造だったが、明治維新の大火で焼け落ちてしまう

その後1965年に再架橋

長さが54m、幅5.4mで橋脚と主桁は鉄筋コンクリートで造られているけど

擬宝珠高欄が歴史的な江戸時代の雰囲気を醸し出していまして

 

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大坂城をバックにインスタ映えする写真がとれちゃう!絶好のフォトスポット

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極楽橋より、内堀を望む…

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極楽橋を渡ると
山里丸

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そこは、今は刻印石広場になっていて、刻印入りの巨石がゴロゴロ放置されてる

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こうやって、刻印探しをすると楽しいかも…この日は、小雨も降って足元悪く、蒸し暑いので、すぐやめたけど

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大阪城天守閣を、みあげるくらいに近づいてきました!

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内堀の遠くには高層ビル群


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山里口出枡形

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徳川家による再建で設けられたよう

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天守閣を見上げる!

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エレベータのくっついたこの光景

昔の鉄筋コンクリートでできてた名古屋城が思い出される

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天守閣のある場所は本丸

そこにある
豊臣秀吉手植えの樟

大坂夏の陣、あるいは、明治の大火で、残っていないのでは…といった
名探偵コナン?…もとい…迷探偵コンナン(困難)こと、私の推理は的中でした!

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どうやら、陸軍第四師団の師団長の小川又次さんが、1898年に改めて樟を植えたらしい…

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金明水井戸屋形
大阪城天守閣に入場する直前に、目に留まる…

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小天守台の中にある「金明水 井戸」
井戸を覆う屋形は徳川期から残った建造物
秀吉が水を清めるためにこの井戸に黄金を多数沈めたという伝承もあって

ずっと豊臣秀吉が関係している井戸だと信じられていたんですが、調べてみるとそうではなくて、徳川大坂城時代のもので
江戸時代のときのネーミングは「黄金水井戸」

天守閣に一番近い井戸なので「黄金水」、少し離れたところにある井戸が「金明水」、続いて「銀明水」との順で名前が付けられていたようで


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…と随分、ブログが長くなっているので

今回は、この辺で終わった方が…い井戸…もとい…いいど


復原された平城宮のシンボル「朱雀門」に行く!!

2024-09-02 06:23:53 | 歴史史跡

1998年(平成10年)に復原された

現時点での平城宮跡のシンボル

平城宮の正門「朱雀門(すざくもん)」へと…

 

 

平城宮の正門「朱雀門」

奈良時代前期の建築なので、様式を同年代の薬師寺東塔や、規模が大きいため、それに近い条件を持つ東大寺転害門を参考にしたそうな

また鴟尾については唐招提寺金銅といった奈良時代のその他の現存する建築も参考にしたとのこと

「朱雀門」は平城京の入口である羅城門から、メインストリートである道幅約75mもの朱雀大路を北へ4km進んだところに、建立されていたそうな

 

朱雀門の左右には、高さ6mの築地塀がめぐり、約1km四方の広さを持つ平城宮を取り囲んでいたとのことで

この朱雀門は間口約25m、高さ約20mの入母屋二重構造

 

奈良時代には、奈良の街全体である「平城京」において、この門は天皇や貴族の空間である「平城宮」の玄関口であったため、衛士により厳重に守られ、常に開門がなされていた訳ではなかったとのこと

なので、この開放されてる門は、奈良時代ではほとんど閉じていたんですね…

 

 

解説パネルと

 

当時の想像図

近鉄奈良線の電車からもよくみえそう…

そう、第一次大極殿との間、朱雀門の目の前を近鉄電車が通る…史跡の敷地内を近鉄電車が走る…みようによっては、めちゃシュールな光景

ここに駅ができれば「朱雀門」に行くのに、めちゃ便利だと思うけど、平城宮の歴史史跡のど真ん中の敷地内に「駅」

電車が停まって、この写真の景色の目の前から、人がどどっと降りてくる光景を思い描いたら…奈良時代の風情を感じるにはほど遠くなってしまうような…

やっぱ、今のように近鉄電車は通り過ぎるだけがいいかな

近鉄電車が通りすざくもん(朱雀門)」??

もとい、通りすぎるもん!!!

 


平城宮跡にある、「すいている宮内省」じゃなくて「推定宮内省」に行く!!

2024-08-29 05:49:39 | 歴史史跡

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年

「なんと(710)立派な平城京」に行ってきた話の続き

 

ここまで紹介してきたとおり

「「なんと(710)広い平城宮」

広すぎて…広すぎて…北東の外れにある平城宮跡遺構展示館には、ほとんど人がいなかったんですが…

 

もっといない…誰もいなかったのが

平城宮跡遺構展示館のすぐ近くにある

 

平城宮跡推定宮内省

 

今回は、ここの紹介をば

 

かつてこの地に設けられていたと推定される「宮内省」の建物が、ここに復元されているんだな…

平城では、二官八省と呼ばれる役所がありまして

今と同じ仕組み、律令制における中央行政組織でありまして

二官というのは神祇官と太政官

その太政官の下に左弁官の中務、式部、治部・民部の4省と、右弁官の兵部 、刑部、大蔵、宮内の八省があって

その中の「宮内省」がここにあったと推測され、このように建物が復原されている訳

推定宮内省」とあるので、絶対ここにあった…と言い切れるものではないけど、たぶん、ここにあったんじゃないかな…といった感じなんでしょう

発掘調査の結果、奈良時代の間にも何度も建て替えられている事がわかっていて、これらの建物は奈良時代後半の「宮内省」を再現したものらしい…

宮内省は現在の宮内庁と同様、天皇家の身の回りに関わる業務を行う役所であったよう…

築地塀…どうやらこの塀で「宮内省」を囲っていたよう…ここでは、全部囲われず、一部の塀が復原されてる

 

この築地塀の門をくぐって、敷地内へ

 

「すいてい(推定)宮内省」「すいている宮内省」じゃないかと思えるくらい誰もいない…

敷地内には檜皮葺の脇殿や倉庫などの建物が復原されていまして
 
 
一部、中が覗けるようになってまして
内部にかつての役人の執務で用いられたと推定されている椅子・机・書類を置いた棚厨子などが再現されておいてありました
 
 
役所の仕事についての解説パネル
 
 
机は正倉院宝物(多足机)を参考に復原されたとのこと
 
 
役所の道具の解説パネル
 
 
ここは、ぜひとも当時の雰囲気をより醸し出す「役所にお勤めの人々」の等身大人形が欲しかった…
 
 
まあ、イラストはあったけど…
 
 
奥の方の建物は倉庫なのか…扉はしまっておりました
 
 
 
 
この建物、(南殿だと思われる…2つ連なっていました)は、日陰になってて、風が吹き抜けて、実に気持ちいい
 
 
 
 
 
風通しがめちゃよいのよ!!
 
 
さて、この宮内省の中心的建物であると思われる
 
「正殿」については復原されておらず、礎石のみが置かれていました…
 
 
 
 
いやあ、礎石だけ残っていて建物がないだけに、風が通って気持ちがいい…
 
ホント、風通しがよいのよ!風通しがよいのよ!風通しがよいのよ!
 
 
それに比べたら、今の政治家のみなさんの「風通し」の悪いこと…
 
新興宗教との関連性、オリンピック関連の後だしじゃんけん的に露わになった、お金にまつわるキタナイ話…国民の反対を押し切ってやっちゃう国葬に莫大な税金を投入…
 
もう、政治をこの青空のこの礎石の上に腰かけて、国会とかやったら…さすがに、居眠りする国会議員はいなくなると思うよ…
真夏は熱中症の危険性があるから、水分補給だけは忘れずにして…真冬は、防寒をしっかりしてもらって…
ここでやれば、国民の苦しみがよくわかるはず???
 
ホント、日本の政治はよくない…よくない…よ宮内(くない)
 
はい、お後がよろしいようで…

奈良時代をリアル体感…平城宮東院庭園に行く!

2024-08-27 05:52:25 | 歴史史跡

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年

「なんと(710)立派な平城京」に行ってきた話の続き

平城宮跡資料館に立ち寄って、その後「第一次大極殿南門」「第一次大極殿院正殿」「平城宮跡復原事業情報館」などを歩いて廻ってみた後には

同じ平城宮跡にあるのに…歩いてではなく、一旦、平城宮跡資料館そばの駐車場に戻って…軽四で…車を走らせて

平城宮東院(とういん)庭園を訪ねました…

平城宮跡資料館から平城宮東院(とういん)庭園までは、同じ平城宮内にあるといっても西の端から、東の端ですから…とおいん(遠いん)です!

 

さてさて、東院庭園そばの駐車場に停めて

歩いて、東院庭園を散策

…とその前に…駐車場のそばに、基壇が復元されている光景が目に留まる

ここは小子部と呼ばれるがあったらしい…「ちいさくべもん」と読むらしい…おそらく門は大きくなかったと思われるって、読んだそのまんまやないか!でも、ドラえもんよりは大きかったんじゃないかな…って、ドラえもんの大きさを知らんけど…なにか「もん」題でも??

この門の跡がみつかったことで平城宮が正方形ではなく東に張り出した形であることが判明したらしい…

さてさて

特別史跡「平城宮」の案内看板

この奥の連なる大垣の右に見える門が

東院南門(建部門)

平城宮東院の南中央に開く門で、平城宮の十二門のうちの一つ

今回のブログで綴りたい…東院庭園

写真、右奥が東院南門(建部門)


東院庭園は、昭和42年に平城宮東張出し部の南東隅に発見された庭園跡のこと…

奈良時代を通じて「東宮」と呼ばれたようですが、孝謙・称徳天皇の時代には特に「東院」と呼ばれていて

称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、よく宴会や儀式を催していたそうな…

称徳天皇は女帝…聖武天皇を父とし、母は光明皇后…738年に皇太子となり、749年に即位した天皇

「続日本紀」に記される平城宮の「東院」にあたることから「東院庭園」と名付けられまたそう…発掘調査の結果、東西80m×南北100mの敷地のなかに洲浜敷の池が設けられ、その周囲に建物が配されていたことが判明したそうな…

復原整備が進み、2010年特別名勝に指定されたとのこと

 

この東院庭園の手前の建物は、受付とちょっとした資料館となってまして…

受付があるといっても、検温及び手指消毒…

あ、そうそう、平城宮のこういったハコモノに入るごとに、何度も検温及び手指消毒はお願いされちゃいますよ!!

 

でも、この庭園も入園無料!!私の大好きなタダ!タダ!!なんですよ!!コスパ最高!!の平城宮であります…

さて、この資料館の展示物を紹介

東院庭園には、我が国最古の築山石組がみられたそうで

その遺構模型

遺構の模型なので、さっぱり凡人には伝わらない展示品

「東院」の説明解説パネル

称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、よく宴会や儀式を催していたとの記述はもちろん、光仁天皇の「楊梅宮」はもとより、聖武天皇の「南苑(南樹苑)」もこの場所を中心に営まれていたと考えられるとか…

「東院庭園の発掘調査」の解説パネル

「庭園内の建物跡」の解説パネル

いやあ、このセピア色の写真が古めかしさを感じていいですなあ…って、観る視点が違うって

「東院庭園の

「庭のはこうだったんじゃないか」…いろんないけん(意見)がでたのでしょう!!…発掘時「勝手にいじってはいけません」と叱られる発掘調査員もいたかも??

鳳凰文鬼瓦…でかっ!こんな鬼瓦、初めて観たかも…

そもそもこの瓦の図が鳳凰で「鬼」じゃないやん!

 

獣面文鬼瓦…

こちらは鬼瓦っぽいですなあ…

 

平城宮東院庭園の遺構(いこう)のジオラマ…

このような遺構(いこう)の平城宮東院庭園が昭和42年に庭園の遺跡が発見された以降(いこう)…どのように復元されているのかをみに行こう(いこう)!!

正直…無料では申し訳ないくらいの…まるで奈良時代にタイムスリップしたかのような美しさでした…

おお、妄想の中で、私を待っている???女帝称徳天皇がみえるかのよう…

まるで、貴族になったような気分…

池の奥が、この東院庭園のメインとなる中央建物

まるで舞台のような構造の建物

中央の建物には、池泉東岸から架かる平橋が繋がっています

私は貴族じゃないから…渡ることはできません!いや、私に限らず…一般観光客は渡ることができません!!…あの建物の中にいるかも知れない女帝称徳天皇に会うことはきません???

背景に一枚、記念写真をば…まあ、妄想の中では、称徳天皇とのツーショット???

 

隅楼…2階建てであったと推測され、復原されたとか

 

この隅楼(この日はクソ暑い夏)…日陰がありがたい…笑

 

そこから、中央建物を池越しに眺める…

 

反橋から…眺める…

あの建物の中に称徳天皇がいらっしゃるのでは、と妄想しちゃうので、ついつい、何度も眺めてしまう…

中央建物前、反橋の右が、先ほどジオラマで眺めた我が国最古の

築山石組

 

 

東院(とういん)庭園は、平城宮東張出し部の南東隅にあるため、「第一次大極殿南門」「第一次大極殿院正殿」からも「朱雀門」からも「とおいん(遠いん)」ですが、絶対足を運び価値あり…

貴族になった気分で「奈良時代」を心底体感できちゃうから…

え??貴族…というよりも「き(気)」が、すっかり「ぞく(俗)世間」に揉まれちゃってる…「貴族」とは程遠い存在だということに

「きぞく(貴族)」…もとい…「きづく(気づく)」

私なのです…


「なんと(710)立派な平城京」…「第一次大極殿 南門」「第一次大極殿院 正殿」に行く!

2024-08-25 01:09:52 | 歴史史跡

「なんと(710)立派な平城京」のゴロ合わせで覚えた平城京が、

「国営平城宮跡歴史公園」「県営平城宮跡歴史公園」となって、どんどん、いろいろなものが復原されている2022年

「朱雀門」、「第一次大極殿院 正殿」さらに、この2022年3月には「第一次大極殿 南門」も復原されている…

ということで

「なんと(710)立派な平城京」を観に行ってきました…

 

先に平城京資料館に立ち寄って「なんと(710)立派な平城京」について、知ったかぶり??になった私は、そこから歩いて

「第一次大極殿 南門」及び「第一次大極殿院 正殿」へと

 

だだっ広い…平城宮内

 

遠くに見えるのは平城宮の正門である

「朱雀門」

 

目の前を電車が走ってますなあ…近鉄奈良線…近鉄電車のようで…

 

もちろん、朱雀門まで、この何もない平城宮内を一直線に歩けば「朱雀門」へ行けますが、まあ、行っちゃうと、平城京資料館近くの駐車場に停めたので、またこの夏の炎天下の中、戻らなくちゃいけなくなるってことで、朱雀門は、後で、軽四で向かうことにして

じゃーん!今から向かうのは

2022年3月に完成した…私が訪ねた時は、2022年夏のことだから…

比較的出来立てほやほやの

「第一次大極殿 南門」

開門時間は10時から…この門の目の前についたのは9時50分ごろだったから10分ほど、炎天下の中で待ちました…

 

間口22.1m、奥行き8.8m、高さ約20mと朱雀門よりやや小さい礎石建ちの復原建造物であるとのこと…

でも、そばに立てば十分デカいけど…

この門が10時になれば、開くようで、それまでの時間潰し

南門復元の見どころの解説パネルを読んだり

「南門のかたち」

入母屋造の二重門

意味もなく…いや記念にと…朱雀門をバックに、腕が痛くて上がらない腕を精いっぱい上に上げての「バンザイポーズ」をしたり

10時になりました…開門~

 

「平城宮第一次大極殿院」の正門に当たる「大極門(南門)」

屋根には、金ぴかの名古屋城の金のシャチホコを彷彿させる「鴟尾」が…

この門の正面奥に見えるのが「平城宮第一次大極殿院」

その裏側…

奥にみえるは朱雀門…

 

もう風通しがよくて昼寝できそうなほど??気持ちがいいのよ…

その後、「西楼」、「東楼」、「築地回廊」、「内庭広場」を順次整備していくことが決定しているようで、お隣りの「東廊」は、これから工事に差し掛かるよう…

さてさて、「大極門(南門)」をくぐった後には「平城宮第一次大極殿院」へと…

柵があって、奈良時代の貴族のように、一直線にはいけませんが…

向かう途中にある

解説パネルを眺めながら

「国営平城宮跡歴史公園」…広い…広い…

これを眺めながら、歩いてではなく…軽四でぐるっと廻ろうかと思った私

「第一次大極殿院」の復原整備事業

ぐるっと回廊ができて囲われるようになるには、あと何年かかるんだろう??

「第一次大極殿院」の荘厳な正面

また、東廊、西廊ができると…「第一次大極殿 南門」を眺めるこの雰囲気が変わるかもね…

案外、この何もないところに、ポツンと建ってる「第一次大極殿院」のこの光景は、「今」じゃなければ見れない光景かも知れないな

 

「第一次大極殿院」というからには「第二次大極殿院」もありまして、東側に位置するもうひとつの「大極殿」の大規模な遺跡があって、その遺跡は石の基壇のみが復元され、建物は一切ない状況…そのうち「第二次大極殿院」も造っちゃうかもしれないな…

写真は、もちろん、「第二次大極殿院」は跡地だけですから…「第一次大極殿院」

あれれれ、一瞬、中には入れないのか…外から眺めるだけか…と思いきや…

 

裏側から、中に入れるようになっていました…

中に入るのは、入場無料ですよ…タダ!タダ!!ありがたや!ありがたや!!まあ、税金で賄っているのでしょうが…この時、話題になってた「国葬」にウン十億円使っちゃうことを思えば…ウンと「正しい税金の使い方」だと思えちゃう!!

 

おお、外回廊から、先ほど眺めてきた「第一次大極殿 南門」がみえる!

こんな立派なお殿が建立されていたらしいのに、奈良時代にこの「大極殿」が実際に平城京に存在した期間は、わずか30年ほどであったらしい…

ここで、30年ほど使用された後、平城京が「恭仁京」に遷都された際に移築されてしまったとのことで、わずか5年で恭仁京から、再び平城京に遷都した後も、「恭仁京跡」に残り、「山城国分寺」の金堂として用いられたため、第一次大極殿が再び建設されることはなかったよう…その後の「大極殿」は、現在基壇のみが復元されている、今は建物のない「第二次大極殿」に場所を移したとのこと

ここでは、「朝議」の空間、すなわち天皇の即位式や、外交使節に対する謁見を行うなど、国家機構を支える最も重要な儀式を行う場所であったらしい

貴族(役人)は炎天下の中、立たされて、このイラストをみただけでも、暑そうです

「鴟尾」…出土品はないものの…おそらく…金銅製であったと推定されていることから

「鴟尾(しび)」の輝きは、しびれるほど…汗

屋根の中央に設けられている「大棟中央飾り」の模型

 

 

このような「宝珠型」に変化していったと言われる飾りは、実は平城宮跡では発見されていないそうだけど、当時の技術水準などを踏まえ、復元大極殿では法隆寺の「夢殿」の宝珠を参考に製作、設置されることになったそうな…時空を超えれるなら、元明天皇や元正天皇に聞きたいぞ…屋根の中央に設けられていたのは、これが正解か否なのか

 

さて、この建物、大極殿の中央には

八角形の「高御座(たかみくら)」と呼ばれる天皇がお座りになる場所が…ドドンと…

「なんと(710)立派な平城京高御座(たかみくら)」でしょう??

これをみたか!みくらべてみよう!!!って、何と見比べたいのか、さっぱり意味不明ですが(ただ高御座(たかみくら)のオヤジギャグを言いたかっただけですが…

これをみれば「なんと(710)立派な…」と言いたくなります!!」

 

廻りには四神・十二支図が描かれているよう…高御座が八角形であるのは、中国の八方位陰陽説の影響かな

 

最後は貴族…万葉歌人になったつもりで

高欄から内庭を眺める

「大極門(南門)」よりもインパクトがある工事現場…

 

左奥の山は春日の三笠山(御蓋山)で

 「あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 」

阿倍仲麻呂がこの和歌を詠ったのは、明州(現在の寧波)で開かれた餞別の宴でのことだったらしいけど…ここからみた三笠の山のことを思い出して詠ったのかも??…そうではないかも…とは、ボランティアスタッフのおじさんの解説

ここは、遣唐使の阿倍仲麻呂がここで詠んだことにしちゃった方が??歴史の妄想ロマンが広がりますよね…

広々とした大空を仰ぎ見れば、今まさに帰ろうとしている故郷平城・春日の三笠山でかつて見た月と同じ月が昇ってきている…との意

しかし、仲麻呂の乗った遣唐使船は難破し、当時は唐の領内であった安南漂着…都の長安に戻った仲麻呂は帰国を断念し、再び唐で官吏としての道を歩んで、二度と平城京に戻ってくることはなかったとか

ここは、私も、万葉歌人になったつもりで

阿倍仲麻呂のように一首、詠もうじゃないか…

 

「あんまりだ ふりさけ見れば かすってる 馬群のヤマに 沈むツキかも 」

 

 

競馬をやれば、馬連で買えば、1着3着…かすってるけど、全然当たらず、ツキなくどんどん沈んでいく…の意…

お粗末っ!!夏の札幌競馬なんか…大嫌いだ!!??


奈良の春日大社を参拝する…本殿の「特別参拝」篇

2024-08-22 06:06:16 | 歴史史跡

約1300年の歴史を持つ世界遺産

奈良の春日大社を参拝

今回は、春日大社の拝殿、本殿の「特別参拝」(500円)のレポをばだらだらと…

 

春日大社の「南門」

その前に玉垣に囲われてあるのが「出現石」

若宮の神様をあらわす赤童子がこの石から出現したという言い伝えがあるとか…

20メートル先の「如意石」まで、目をつむって歩くなんて…この参拝客の多さ、実行すれば、間違いなく人にぶつかってご迷惑をおかけすると思われます…

ご祭神と由緒の案内看板…

ご祭神は
・第一殿 武甕槌命さま
・第二殿 経津主命さま
・第三殿 天児屋根命さま
・第四殿 比売神さま

では、この南門をくぐって

幣殿・舞殿と呼ばれる「参拝所」から

二礼二拍手一礼

 

おお、この奥、中門の手前にある、御神木、杉の木の圧倒的な大きさに驚かされる…

御神木の中の御神木って感じ…

だって、お賽銭を受ける奥、果てしなく本殿、神様のいる場所のめちゃ近くに、樹齢700年を越す巨木が立っているのよ!!

 

参拝所(幣殿・舞殿)向かって右側にみえる境内社は

青榊神社…写真左…と辛榊神社…写真右

青榊神社のご祭神は青和幣さま

辛榊神社のご祭神は白和幣さま

その奥に見えるは、中門、御廊

もう朱の社殿が青空に映えて、また、緑とのコントラストも素晴らしく…なんとも言えぬほどの美しさ

 

南門を入ってすぐ、近くにある青榊神社、辛榊神社とは参拝所(幣殿・舞殿)挟んで反対側にある

「砂ずりの藤」

「砂ずりの藤」は、樹齢800年に及ぶともされる「藤」

5月上旬ころにはさぞ、美しいのでしょうな…この「砂ずりの藤」は鎌倉時代後期に描かれた絵巻物である「春日権現記」にも記されているそうな

それをこえると「西回廊

 

かいろうをとおってかえろう!!

いや、まだかえりません!

「釣燈籠」が古の風を運びつつ…実に神秘的で…これは、西回廊の内側にあたる場所の光景…

 

西回廊沿いには3つの門が並んでおり

南側の「慶賀門」が、かつては春日大社への正式な参入門となっていたとのこと

西回廊の中央部にあるのが「清浄門」

西回廊の北側にある門が「内侍門」

 

西回廊

下の写真は「内侍門」

かつて宮中から春日大社に派遣され、神様にお仕えしていた「斎女」・「内侍」の通用門として用いられていたそうな

 

西回廊のそばには

「桂昌殿 」

将軍徳川綱吉の生母桂昌院が「天下泰平之御祈祷」のために寄進した祈祷所

四脚門

明治時代に桂昌殿の後方部分が増築され、社務所として使用されていたときの正門

 

酒殿

酒弥豆彦神さまと酒弥豆売神さまがお祀りされているお殿

ここは、神前にお供えする「お酒」を醸造する「酒造場」で、現在もここで醸造しているらしい…

再度、春日大社の「幣殿」「舞殿」の方に戻る…

その途中

「清浄門」から「移殿」「直会殿」そして奥の「中門」を覗く…

「幣殿」「舞殿」の方に戻った理由

それは、神様のいらっしゃる春日大社の本殿へ近づこうと…「特別参拝料金」500円を払ってでも、神様に少しでも近づきたいと思った訳

特別参拝は、した方がいい!「春日大社」にいくなら「特別参拝」を…神様にお近づきになれるし…「幣殿」「舞殿」からでは見れない、イロイロなものが拝観できるから

 

さて500円をお支払いして

まず目に留まるのは「奉神獻鹿」の石碑

その横には井栗神社

ご祭神は高御産霊大神さま…

安産の神様…アンザンならぬ「サンザン」な目に遭ってる私…

ここは手を合わせて二礼二拍手一礼

中門、御廊

この奥には、写真撮影禁止の本殿が

本堂のすぐ南側にある小さな広場のことを

「林檎の庭」と呼び

その名前の由来は端に植えられている平安時代に高倉天皇が献木したことにちなむ、この「林檎の木」(現在は2代目)に由来するものだとか

 

さて、もうめちゃ木になる…もとい…気になる「大杉」

御廊と比べても、いかに巨木かがよくわかるでしょう…

「社頭の大杉」と呼ばれるこの御神木は、春日大社本殿の南西側に建つ巨大な杉の木で、幹回りは8メートルほど、高さは約25メートルにも及び、樹齢は800年以上だとか…

青空と御神木と中門と…

 

さて御廊、中門の近くには

「手力雄・飛来天神社遥拝所」

ここには、本殿の近くにあり直接参拝できない勇気と力の神様である手力雄神社と「空の旅の安全を守る神様」飛来天神社

 

写真は、順路に沿って

東回廊

あまりの朱の美しさに思わず…撮りたくなっちゃう

回廊の途中で「二礼二拍手一礼」

 

さらに進むと

御蓋山浮雲峰遥拝所は、春日大社の本殿近くに伸びる「東回廊」の外側に設けられている遥拝所

この遥拝所は、春日大社の「裏山」でありかつ「神の山」である「御蓋山」へ向けて崇拝することのできる場所で、この「御蓋山」は「禁足地」であり原則一般参拝者は立ち入ることが出来ない…そんな御蓋山に「最も近づける」場所

「鹿島神宮」の神様である武甕槌命さまが白鹿の背に乗り奈良へと旅立たれ、「御蓋山」の頂上である「浮雲峰」に天から降り立たれたという話が春日大社の「創建神話」に残されているとのことで

 

 

向きを換えれば、回廊東北角の築地

春日大社の大宮は東・西・南・北回廊に囲まれているが、この東北角だけが、板葺の築地塀になっていて、古代春日大社の大宮は四囲を築地塀で囲まれていたが、平安時代の1179年に築地塀は現在のような回廊に改築されたとのこと…


ただ、御本殿からみて東北(丑寅)の方角にあるこの部分は鬼門にあたるため、回廊への改築を免れたと伝えられている…
尚、この築地塀は御本殿に属するもので、御蓋山浮雲峰遥拝所は、御本殿から東南東となり鬼門とは関連しない…との案内解説板

再度、東回廊をちょいと進んで

「桂昌院」奉納の灯籠

「桂昌院 」は徳川五代将軍綱吉の生母

いやあ、歴史を感じますなあ

御廊に、ぶ…奈良だけに「ならぶ」…「釣燈籠」

これは直江兼続奉納の釣燈籠

灯籠に書かれた「越後国直江山城守息女敬白」の文字などから、兼続は1588年、主君の上杉景勝らと春日大社を参拝し、1600年、娘の「於松」の名で釣り灯籠を奉納したらしい…

宇喜多秀家寄進釣燈籠

関ケ原の戦い(1600年)での負けちゃった西軍副大将

藤堂高虎奉納釣燈籠

藤堂高虎は、黒田孝高、加藤清正と並び、「築城三名人」の一人と称された伊勢津藩の初代藩主

徳川綱吉寄進灯籠

 

「館林宰相正三位 源綱吉御 室」と刻まれていて

将軍になる前は館林藩主だった徳川綱吉…最後の「室」は正室の信子のことを指しているそうな

さて、中門へと…中門奥に「本殿」…

この本殿は撮影禁止…

最初、この中門が、本殿だと私は、勘違いしてましたが…

ここにて、再度「二礼二拍手一礼」

先程、幣殿・舞殿と呼ばれる「参拝所」で「二礼二拍手一礼」したけれど…ここの方が、ウンと神様に近いので…

「クズ」とも「カス」とも思われていそうな私が神社で参拝…

これぞ「カスが神社」???…と参拝後、ついしょーもないオヤジギャグを思っちゃうところが、まさに「カス」そのものである私

でも、少しでも、心温まる日々が多く続きますようにと…たいしたことが何も起きない日々が続きますようにと…

「カス」である私が…そう…「イカす」私??が…そう願掛けをして…

 

その後は、触れてみたかった

御神木!御神木!!御神木!!!

「本社大杉

 

いやあ、心底、御神木からパワーをいただけた気がしたよ…

パワーが漲って、このいただいたパワー、おおすぎる!!…苦笑

この「本社大杉」には

岩本神社

ご祭神は、「住吉三神」の表筒男命さま、中筒男命さま、底筒男命さま

その後、移殿にても「二礼二拍手一礼」

移殿は春日大社本殿・若宮社の式年造替時には一時的に神様をお祀りする場所…今は若宮様が遷座された御仮殿である「移殿」

そう、参拝したときは若宮神社は20年に1回の修理、「式年造替」中なので、このお殿の中には、若宮神社の神様が

殿内は写真撮影禁止

御廊と移殿を挟む場所は「捻廊」と呼ばれていて

「捻廊」は、御廊を移殿を結ぶ渡り階段のこと

さて、「内侍門」の近くには

風宮神社

ご祭神は級長津彦命さま、級長津姫命さま

罪や穢れを「風」によって吹き流して下さるお祓いの神様

ぜひとも、新型コロナウイルス感染症も吹き流してほしいものだと手を合わせつつ

椿本神社

ご祭神は角振神さま…

全くもって、存じ上げていない神様だけど、魔物・天狗・災難などから春日大社をお守り下さってる攘災神(守護神)さまなんだって

この奥は、後殿になっていて

末社の近くまではいけないものの、後殿の前から拝むことができます

後殿は門に近い場所から「佐軍神社」・「杉本神社」・「海本神社」の3社が並び、高台には「栗柄神社」が、そしてそのそばには「八雷神社」がみえました…

左から順に「佐軍神社」「杉本神社」「海本神社」

「佐軍神社」のご祭神は布津之霊大神さま

「杉本神社」のご祭神は大山咋神さま

「海本神社」のご祭神は大物主神さま

左に「栗柄神社」と中央に大きく「八雷神社」

「栗柄神社」のご祭神は火酢芹命さま

「八雷神社」のご祭神は八雷大神さま

 

多賀神社

ご祭神は伊弉諾命さま

鎌倉時代に東大寺の復興に尽力した重源上人が近江多賀神社の御神託により長寿でありながらも復興を成し遂げることが出来たという伝承があり、「延命長寿」にご利益があるとのこと

宝庫

「内侍門」から賽銭箱越しに、外を撮影

その横、西回廊の内側には、釣燈籠がずらっと

 

 

さて、その後、参拝路に従って進むと

私のような「虎党」…阪神タイガースファンにとっては、テンションのあがる、まさに「ご神域」が…

それが、ここ

藤浪之屋」

いやあ!藤浪晋太郎くんを祝うようなお殿じゃないか!!

節分の日と8月14日・15日に行われる春日大社の一大行事である「万燈籠」の風景が常時再現されているといった、阪神タイガースの藤浪晋太郎くんとは、何の関係もなさそうな「藤浪之屋」ですが…

もう入ってみてびっくり…実に幻想的で…

もう…これだけでも「特別参拝」500円分の価値はあるといってもいいくらい!!

テンションがあがる!あがる!!

バンテリンドームナゴヤで、藤浪晋太郎くんが、勝利投手になったときくらいにテンションがあがる…

 

「春日大社」とはなんの関係もないけど

このブログも、お時間あればどうぞ!どうぞ!!

藤浪くんの復活が「生」で観れた幸せ…2022・8・27 …バンテリンドームナゴヤで中日・阪神戦!

万燈籠再現、藤浪之屋

この黒い幕の奥には

実に幻想的で…

 

しばらく…ここでボーと、立ちすくんでいました…

藤浪くんが優勝勝利投手になった、その瞬間を脳裏に浮かべながら??

その後は、直会殿に「本殿の大杉」の樹木が建物に突き刺さっているのに驚いたり…

御神木なので、痛めないように、屋根に穴をあけてまで木を生かしていることに、ちょっとした感動を覚えたりと

 

「本殿」一帯のエリアの「特別参拝料金」は、十分に価値あり…

見どころいっぱい!!

そして、これは中門、本殿ではありませんよ!!

私のように…勘違いしないでね…

あ、別に勘違いしてたからって、困るようなことは、なにも起きませんけどね…

以上、参拝を終え、回廊をとおって、かえろう!

それにしても、朱が眩しい春日神社は、めちゃめちゃ、いかすが!「かすが(春日)」!