今となっては市町村合併されて
津市と松阪市に分かれてしまいましたが…
私の生まれた町は「一志郡」
その郷土の偉人は…
…というと…
松浦武四郎さん…
…らしい…???
…汗…
松浦武四郎さん…汗…
誰それ???…汗…
実は…私…
大人になって…
初めてその存在を知った…のでありまして…
小学生の頃は
お隣りの松阪市出身の
本居宣長は知ってても
(知っているといっても、鈴がぶらさがってるお家に住んでたくらいのイメージでしたが…苦笑)
あべ静江さんは知ってても
(なんのこっちゃ!!)
松浦武四郎さん…
…は…まったくもって知らなかった…のデス…
…が…
車を運転するようになって
R23を走らせていれば…
突然目に飛びこんできた案内板!
北海道の名付け親
松浦武四郎記念館
…の案内表示!
え???
なぜ、この片田舎の地、三重県の一志郡に
遥か彼方の
北海道の名付け親???
不思議?
不思議??
不思議だなぁ…と疑問に感じてはいたものの…
今まで、一切それを解明したい…
…とは思わず…笑…
ずっとそこを通り過ぎてきましたが…
この前…松阪MAXAに遊びに行く前に…
ちょいと寄って…
かねてから思っていた
その
疑問をも解決してきました!!
このおじいちゃんが
松浦武四郎さん…
このおじいちゃんが
松浦武四郎さん…
ところが…
ゆるキャラ
「武ちゃん」になると…笑
先ほどの絵や銅像からは…
まったく似ているところがみつからない
この愛くるしさ…笑
そんな「武ちゃん」こと
松浦武四郎さんについて
得た知識を…笑…簡単に紹介すると…
どーも旅が大好きだったようで
若いころには…荒野の蝦夷地を3度も訪れていたようです…
その様子を
書物にまとめたことが世に知れ渡って
政府から要請され
開拓判官に就任
…彼の願いは…
蝦夷地はアイヌ民族の土地であることを
みんなに知らせたかった…
蝦夷地探検の際に出会った人たち…
即ちアイヌの人たちの住みやすい土地になることを願って…
「北加伊道」
…と蝦夷地を名付ける
「加伊」とは…この土地に生まれたものの意…
…アイヌの人たちが自分の土地を呼んでいた名称のこと…
即ち…
松浦武四郎さんの
アイヌの人たちへの敬愛が…
「北加伊道」という名称を名付けた中に
含まれていたのだ…
どんなに
松浦武四郎さんが
アイヌの人のことを大好きだったのかが…
この記念館の展示資料から…
如実に感じることができまして…
たとえば…
この絵…
アイヌの人たちは…
めちゃめちゃ楽しそーに踊ってる!!!
さらに…
アイヌの人たちは…
実にワイルドでステキな人達だ!…松浦武四郎さんの眼には写ったのでしょう??
野草をかじっていたり
さらに
クマと戯れる!!
この様子をみて…
驚きのあまり…目をまん丸にしてた
松浦武四郎さんが…目に浮かぶようでアリマス…
アイヌ人は
踊って
野草をそのままかじって
クマと戯れる!!
なんと魅力的な人達なんでしょう!!
松浦武四郎さんが魅了されるのも
分かるような気がする!!!
たとえば
私が…
大道芸人をみて…
凄っ!!!…と思うのと…
たぶん似てるように思うんだ???
私も…クマと戯れる人達をみてみたい!!…笑
しかし…
国は…アイヌ人と仲良くしようとは…
まったくもって思っていなかった…ようでありまして…
国の政策…
それは和人による北海道支配…
政府の方針との違いを感じとった
松浦武四郎さんは…「開拓判官」の職を辞すのである…
退職後も
旅を続けた松浦武四郎さんであったが…
年を重ねると
旅へ出掛ける体力、気力が失われる…
そーいえば
私も昔に比べると
ホント出掛けなくなったな…
(ほんまかいな…苦笑)
晩年は…
書斎でほとんどを過ごし
籠って
執筆活動を行ったようで…
その際には
自宅の片隅に一畳敷の書斎を造り…
おそらく松浦武四郎さんは
そこに籠って北海道のことを想い浮かべていたんでしょうね!!
その一畳敷書斎が…
この記念館に復元されてました!!
入って…
執筆活動を行う!!!
…のではなく…
寝転がる私…苦笑
いやあ…
学生時代を思い出しますなあ…
これよりちょいと広かったけど…
まあよく似た広さ…笑
4畳半…玄関にガスコンロ付き!
…でありました!!
これで…
松浦武四郎さんのことは…
十分理解した???…笑…私
どーみても…小学生をターゲットにしたような…笑
松浦武四郎すごろく冒険クイズに挑戦!!
見事、連続正解を叩きだし…
(いや、実は数問間違えたけど…笑)
北海道にゴールイン!!
これからは
松浦武四郎さんのことは何でも訊いてね??…笑
…笑…
それと…
もし
今でも、こんなふうにクマとダンスができる
北海道の友人がいたら…
ぜひ紹介してね…笑
私も…北海道に…興味津々!!…笑
津市と松阪市に分かれてしまいましたが…
私の生まれた町は「一志郡」
その郷土の偉人は…
…というと…
松浦武四郎さん…
…らしい…???
…汗…
松浦武四郎さん…汗…
誰それ???…汗…
実は…私…
大人になって…
初めてその存在を知った…のでありまして…
小学生の頃は
お隣りの松阪市出身の
本居宣長は知ってても
(知っているといっても、鈴がぶらさがってるお家に住んでたくらいのイメージでしたが…苦笑)
あべ静江さんは知ってても
(なんのこっちゃ!!)
松浦武四郎さん…
…は…まったくもって知らなかった…のデス…
…が…
車を運転するようになって
R23を走らせていれば…
突然目に飛びこんできた案内板!
北海道の名付け親
松浦武四郎記念館
…の案内表示!
え???
なぜ、この片田舎の地、三重県の一志郡に
遥か彼方の
北海道の名付け親???
不思議?
不思議??
不思議だなぁ…と疑問に感じてはいたものの…
今まで、一切それを解明したい…
…とは思わず…笑…
ずっとそこを通り過ぎてきましたが…
この前…松阪MAXAに遊びに行く前に…
ちょいと寄って…
かねてから思っていた
その
疑問をも解決してきました!!
このおじいちゃんが
松浦武四郎さん…
このおじいちゃんが
松浦武四郎さん…
ところが…
ゆるキャラ
「武ちゃん」になると…笑
先ほどの絵や銅像からは…
まったく似ているところがみつからない
この愛くるしさ…笑
そんな「武ちゃん」こと
松浦武四郎さんについて
得た知識を…笑…簡単に紹介すると…
どーも旅が大好きだったようで
若いころには…荒野の蝦夷地を3度も訪れていたようです…
その様子を
書物にまとめたことが世に知れ渡って
政府から要請され
開拓判官に就任
…彼の願いは…
蝦夷地はアイヌ民族の土地であることを
みんなに知らせたかった…
蝦夷地探検の際に出会った人たち…
即ちアイヌの人たちの住みやすい土地になることを願って…
「北加伊道」
…と蝦夷地を名付ける
「加伊」とは…この土地に生まれたものの意…
…アイヌの人たちが自分の土地を呼んでいた名称のこと…
即ち…
松浦武四郎さんの
アイヌの人たちへの敬愛が…
「北加伊道」という名称を名付けた中に
含まれていたのだ…
どんなに
松浦武四郎さんが
アイヌの人のことを大好きだったのかが…
この記念館の展示資料から…
如実に感じることができまして…
たとえば…
この絵…
アイヌの人たちは…
めちゃめちゃ楽しそーに踊ってる!!!
さらに…
アイヌの人たちは…
実にワイルドでステキな人達だ!…松浦武四郎さんの眼には写ったのでしょう??
野草をかじっていたり
さらに
クマと戯れる!!
この様子をみて…
驚きのあまり…目をまん丸にしてた
松浦武四郎さんが…目に浮かぶようでアリマス…
アイヌ人は
踊って
野草をそのままかじって
クマと戯れる!!
なんと魅力的な人達なんでしょう!!
松浦武四郎さんが魅了されるのも
分かるような気がする!!!
たとえば
私が…
大道芸人をみて…
凄っ!!!…と思うのと…
たぶん似てるように思うんだ???
私も…クマと戯れる人達をみてみたい!!…笑
しかし…
国は…アイヌ人と仲良くしようとは…
まったくもって思っていなかった…ようでありまして…
国の政策…
それは和人による北海道支配…
政府の方針との違いを感じとった
松浦武四郎さんは…「開拓判官」の職を辞すのである…
退職後も
旅を続けた松浦武四郎さんであったが…
年を重ねると
旅へ出掛ける体力、気力が失われる…
そーいえば
私も昔に比べると
ホント出掛けなくなったな…
(ほんまかいな…苦笑)
晩年は…
書斎でほとんどを過ごし
籠って
執筆活動を行ったようで…
その際には
自宅の片隅に一畳敷の書斎を造り…
おそらく松浦武四郎さんは
そこに籠って北海道のことを想い浮かべていたんでしょうね!!
その一畳敷書斎が…
この記念館に復元されてました!!
入って…
執筆活動を行う!!!
…のではなく…
寝転がる私…苦笑
いやあ…
学生時代を思い出しますなあ…
これよりちょいと広かったけど…
まあよく似た広さ…笑
4畳半…玄関にガスコンロ付き!
…でありました!!
これで…
松浦武四郎さんのことは…
十分理解した???…笑…私
どーみても…小学生をターゲットにしたような…笑
松浦武四郎すごろく冒険クイズに挑戦!!
見事、連続正解を叩きだし…
(いや、実は数問間違えたけど…笑)
北海道にゴールイン!!
これからは
松浦武四郎さんのことは何でも訊いてね??…笑
…笑…
それと…
もし
今でも、こんなふうにクマとダンスができる
北海道の友人がいたら…
ぜひ紹介してね…笑
私も…北海道に…興味津々!!…笑