名古屋駅からも楽々に歩いていける…
名古屋城下を流れる堀川の西に位置する
江戸時代の初めに名古屋城築城とともにつくられた商人の町…
四間道
四間道は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたとか…
四間道の南端にある浅間神社
このことについては、すでにブログで綴ってますので、お時間あればどうぞ!どうぞ!!
五条橋から四間浅間神社まで「四間道(しけみち)」を歩く…
その四間浅間神社の鳥居を挟んだ道路の反対側の建物石垣の上には小さな赤い鳥居が…
もともとは、もっと四間浅間神社の境内は広かった…??のかも知れませんね!!
四間道を歩くと
町家の屋根上に今も残る「屋根神」さま
家屋の屋根の上に祠があるのよ!!!
屋根の上に神様やね…
(あ、ここ大爆笑のところ???ですよ!!)
さてさて、そんな四間道の中で、今回紹介するのが、四間道のメインストリートからちょいと離れた
古民家のカフェ
「茶坊楽座」さん
土日だけ営業してるらしい…この古民家をカフェにしている「茶坊楽座」で、珈琲をば…
なんと珈琲の値段も…ウン十年前にタイムスリップしたみたいに…
ありがたいことに…ありがたいことに…
たった…たったの300円!!
お得感満載!!!
四間道のメインストリートからちょいと離れてるだけで、人混みからは外れて、江戸、明治、大正時代などの歴史を感じさせてくれるこの空間…
もうB級スポットマニアの私にはなんとも居心地のよい空間…
B級スポットマニアであるためか、こういうところを見つける感覚が研ぎ澄まされていると言いましょうか…
グーグルマップに載っていないのに、みつけちゃったんですよ!!
ホントはグーグルマップで調べて、「カフェド サラ」を目指して歩いていたんだけど…そこが開いてなくて…で、そのあたりをぶらぶら歩いてたらたまたま目に留まった訳
中は改装されてて、まさに小さな隠れ家的なカフェになっていて
いい場所みつけた!!って感じ!!
さてさて、店内に入ると
この表示が目に留まる!!
「天井筋交い」
「天井筋交い」ってなんだ???「天井筋交い」ってなんだ???
加齢による「筋」が痛いことはあるけど、それでないことは明らか…
そんな私の疑問を解決すべく…マスターが、興味津々の私を案内してくれました…
筋交いとは、柱と柱の間に斜めに入れて建築物や足場の構造を補強する部材のことで、これにより建物の歪みを防いでいるもので、これが部屋の各天井に設置されてて、めちゃ珍しいものなんだって…
このようにクロスしているものが「天井筋交い」
この「天井筋交い」があることで、古民家といっても頑丈で
これがあることで地震があっても歪んだりすることなく…今日に至ってるんですね…
さてさて、お店の名前が「茶坊楽座」
どこか、織田信長の商人たちに「市」の解放を行った政策、「楽市楽座」に似ていると思いきや
お店の中、とことん織田信長推しなのよ!!
飾ってあるのが…織田信長戦国缶詰武将メシ
ここはカフェなので、ここで織田信長戦国缶詰武将メシが食べれる訳ではありません!!
飾ってあるだけ!!
若き日の織田信長「装束再現」の図
若い頃にはうつけ者、たわけ者だった織田信長…奇抜な格好をしていたようで
言うなれば今のヤンキーのようなもの???
信長の「天下布武」の印は、棚の隙間に挟まれて…
織田信長の肖像画の横には
那古野城主 織田信長と
「那古野城主織田信長」
生誕の地としては那古野城よりも、勝幡城という説が、最近では有力になっているなんて思ってはいけません!!
生誕の地であろうとなかろうと、そんなことは問題ない…
マスターはいい放っていました!!
「織田信長は那古野城、地元の英雄だと!」
織田信長は那古野城で生まれたことは実は曖昧でも
織田信長は、清州城に移るまで、この那古野城で10年ほど暮らしていたのは歴史書で検証されてる確かな情報…
織田信長は那古野城に10年も暮らしていたということ…
さてさて、店内は、織田信長一色
他にも織田信長にまつわる歴史書、歴史的資料がいっぱい!!
武田信玄、勝頼ファンは、ちょいと居心地悪いかも…
でも、織田信長ファンなら開店から閉店までいられるはず???
…ってパチンコ屋さんじゃないんだから
あ、そうそう、比叡山でずっと先祖代々暮らしている方とか、長島城址の近くで先祖代々暮らしている方はパスしてもらった方がいいのかも
ぜひとも、織田信長ファンには訪れてもらった方がいい「聖地」の一つといってもいいこのカフェ
織田信長ファンのみなさま!!ぜひぜひ!!
「桶狭間へ!!」もとい「四間道へ!!」