この清須市は豊臣秀吉の生母の出身地
なんでも、この日吉神社に祈願し、豊臣秀吉が授けられたそうで
だから、秀吉の幼名は「日吉丸」
ホントかどーか、わからない話ですが…実にそれっぽい…
そんな「清州山王宮 日吉神社」
歴史を感じるご祭神と由緒書きの案内板
これ描かれてるんじゃなくて、彫ってありますなあ
ご祭神は
大己貴命さま…人造り、国造り、縁結びの神様
素戔嗚命さま…病気平穏、厄除けの神様
大山咋神さま…日吉大社の御鎮座の神様
光仁天皇の御世、宝亀二年(771年)、尾張地方に疫病が流行したので、人々が素盞嗚命さまを大己貴命さまと合わせて祀り、病災除去の氏神としたのが発祥…
その後、大同二年(807年)、平安時代の官人、橘逸勢が社殿を建立、また、伝教大師による天台宗の布教とともに神仏習合の説が広まり、山王宮と称されるようになったそうな…
1580年、清州城代織田信張公が近江の日吉大社より大山咋神と摂社21社を勧誘したそうな…
太鼓橋(神橋)
川や池はありませんが…
神門
不浄除けと称する蕃塀が
不浄なものの侵入を防ぐために造られた
「蕃塀」
私は、煩悩だらけで心が「不浄」かもしれませんが
境内に足を進めますっていうよりも
この写真を撮ってる時点で境内にすでに入ってることは明白…
そして、なんか高校の文化祭を思い出させるような
立て看板
「厄をさる 福を招く 天下随一 お申神社」
まずは手水舎で手を浄めて
久しぶりに見た柄杓…懐かしい
勢いよくは水をはかない龍
まあ、柄杓で手を…洗った…もとい…浄めた後は、持参した手指消毒液でも念入りに
お申神社というだけあって
この拝殿や拝殿の廻りをよーくみると
狛犬じゃなくて、狛サル!!
狛犬じゃなくて、狛サル!!
ちゃんと阿吽になっている
ではでは、困難は「サル」…「病気」は「サル」
そう願いつつ、二礼二拍手一礼
参拝後は境内を散策
御神木…どうか腐る(くサル)ことのないように…と手を合わせ
参拝したのは、初夏
夏らしく、風鈴が…
涼し気な音は聞こえてくるけど、実際はクソ暑い!!
どうか、この尋常じゃない暑さこそ「サル」といいのに…
拝殿の奥の本殿
この本殿の左右には「サル」じゃなくて
フツーの狛犬でした!
立ち並ぶ石碑
小山の上には祠が…境内社と思われるが
何の神様を祀ってあるのか、確認できず
神馬像
どうか、新馬戦で万馬券が獲れますように…??
つい、そう願いながら二礼二拍手一礼したくなっちゃう…
「はきだしまいり」
「はきだし皿」に吐き出したい思いを封じ込め、ここで割って捨てるところ…お皿は1枚300円…
「吐き出したい思い」が多すぎるので、なるべく細かく…とは思うんですが…力がいるので、途中で、まあ、今日はこのくらいで勘弁しておいてやるわ!!…みたいに、皿に向かって、毒を吐きたくなります…「はきだしまいり」だけに…笑
「子産石」
この石に女性が触れると立ちどころに懐妊するんだって…
また、豊臣秀吉の生母がこの石に触れ授かったとも伝えられているんだって…
秀吉が生まれたのは、この石のおかげ…
たしかに女性の陰部に男性の「ARE」がくっついているようにもみえますなあ…
そして、神様大集合の図
境内社がずらーと、横一列に並ぶ…
左側、瓊瓊杵命さま、右側は、仲哀天皇
左側、鴨建角身命さまと琴御館宇志丸さま
右側、市杵嶋姫命さまと湍津島姫命さま
左側、玉依彦命さま
右側、奥津彦命さま、奥津姫命さま
左側の境内社
その左側には三女神さま
右側には鴨玉依姫神荒魂
右側の境内社は
神武天皇
右側 山末之大王神荒魂
左側 鴨別雷神さま
左側の境内社
その左側には 大年神さま
右側には 素戔嗚神さま
右側の境内社
その左側には 下照姫命さま
右側には 天知迦流水姫神さま
右側の境内社
左側は 大己貴命さま
右側は 大山咋神さま
左側 田心姫命さま
右側 鴨玉依姫神さま
左側 大山咋神荒魂
右側 白山姫神さま
そして
神楽殿
境内で目立つ
連なる赤い鳥居
山王稲荷社
ご祭神は宇迦之御魂神さま
五穀豊穣の神様
ここに鎮座するのは、さすがに「サル」ではなく「キツネさま」
奥宮はすぐお隣りに
こちらでも二礼二拍手一礼
最後に紹介するは
巨大絵馬
拝殿の横の壁面に…
サル!サル!!サル!!!畳8畳程度の大きさなのよ…
いやあ、サルがいっぱいで、実にほほ絵馬しい…もとい…ほほえましい…
凄い迫力で、これにまサル(勝る)絵馬は他にないんじゃないだろうか…
「アイアイ」の替え歌で
♩サンパイ サンパイ お猿さんだよ~
と歌いたくなること、間違いない…笑