端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

テネシーワルツ

2013-01-04 | Weblog

お正月に 歌手のパティペイジさんが なくなったと 新聞が伝えていました。 85歳だったそうです。

若い頃 青春真っ只中の頃 厳しかった父から 勤めの帰りに 夜間の洋裁学校に行くように強く言われ 仲良しの友達と 通っていました。

洋服は 仕立てるもの 着物は自分で縫うもの といわれる時代でした。 

事務の仕事は すべて手書きの 複写でしたし そろばんと タイガーの手回しの計算機でした。

沢山の印刷は 油紙の原稿用紙を ヤスリ版に乗せ 鉄筆で原稿を書き 謄写版で手刷りの印刷をしていました。

一寸 綺麗に仕上げるときは 和文のタイプライターを 使っていました。 今 パソコンで 文書を 作るのとは 大違いの仕事でした。 楽しみは映画くらいでした。

そんな洋裁学校の通学 ネオンの町の中に あるので 身に付くはずもありません。

何時しか ダンスホールに通うようになりました。 土曜日の半ドンの日は もっぱら社交ダンスのレッスンの日でした。

其の頃 ホールに繰り返し繰り返し 流れていたのが あのバティペイジのテネシイワルツでした。洋裁学校で 半分かじった洋裁で ワンピースを縫い いそいそ出かけていました。

まさに 青春でした。  今でもダンス音楽 ワルツやタンゴは大好きです。 足腰弱った今 踊れそうな気で居ますが 足がもつれてステップは無理でしょう。

パティペイジさんの 訃報を聞き 私の青春が本当に消えたような気がしています。 


秋刀魚

2012-09-15 | Weblog

まだまだ 残暑厳しい 毎日ですが 暦の上で 秋の気配を感じると 秋刀魚を心まちにしています。

冷凍技術が 進み塩秋刀魚は 一年中 スーパーの魚売り場に 並んでいますが 生の秋刀魚はやっぱり 時期のものです。

スーパーの魚売り場を通るたびに 眺めていましたが 私の財布と折り合いがつかず 横目で眺めていました。

が 昨日は安くなっていました。

コレだと 4匹買って 生姜を沢山入れて 圧力鍋で煮ました。  箸を当てると ほろほろ崩れます。

私の大好きな 一品です。  


唐辛子

2012-08-20 | Weblog

穴熊さんが 唐辛子の収穫を始めました。 毎年この時期の 仕事です。

赤く色づいたのを 収穫して 干して 保存します。 我が家の食卓に 欠かせません。

小さなポシェットが 出来上がりました。

幅20cm 深さ20cmです。 

暑い 暑いといいつつ 昨夜は エアコンもつけず 開け放した 窓の網戸からの 風は心地よいものでした。 季節は 少しづつ 秋に近づいているようです。 


言 葉

2012-08-17 | Weblog

オリンピックが終わり メダリストたちがそれぞれ ふるさとや職場に報告やお礼に 帰郷している 様子が テレビに出ていますが 皆さん感心するくらい挨拶が上手。

私の世代では 学校で 読むこと 書くこと は習いましたが 話すことは教えられなかったような気がします。

いつも 女の井戸端会議や 雑談は言いたい放題に言葉を発している私 人様の前で かしこまって 言葉を発するような 機会はありません。

親の気持ちを子供に伝える 妻の気持ちを夫に伝える 御礼を友達に伝える などいつも言葉で 喋っていますが 本心が伝わっているか 気にかかります。 

そんな中 オリンピックの 選手達 応援していただいた方々への 感謝の気持ち 指導者への感謝 そして自分の努力をさりげなく 言葉にしてインタビューに 答えているのには 感心してしまいます。

長年 連れ添った二人で生活していても 近頃は 意志の通じないことばかりです。歳を重ねるのも 難儀なことです。

気分転換に キーホルダーを 作りました。


納涼祭

2012-08-14 | Weblog

私の地方 お米作りが 早期の稲作りになって 八月のお盆は収穫時期と 重なるために 役所が音頭をとって お盆は七月にしていましたが お米作りも段々早くなり 都会に出て行った子供達も 夏休みに帰省とかで 近頃は 八月の お盆が多いようです。

私の集落も 毎年八月のお盆を 前に 11日の夕方から納涼祭が 行われました。 小さな小さな 納涼祭です。 子供達の為に 輪投げ ヨーヨーつり 無料の カキ氷 と用意され お墓に向かって まず黙祷です。 

子供が毎晩特訓を受けた 盆おどりの太鼓を叩き 昔からの 踊りを 輪になって皆で 踊ります。

其の後は 焼肉や 焼きそば 冷たいビール と準備され にぎやかな子供達や 帰省の見違えるほど色気の出た 娘さんを冷やかしたり それはそれはにぎやかな 納涼祭です。

私も今年は 集落の行事の助っ人の当番でした。   やりましたよ。かき氷の係りを。

キューブの氷を ボックスクーラーに一杯 確保して電動のカキ氷機の スイッチを入れたり切ったりして オレンジ イチゴ ミゾレ レモン の蜜を用意し どれがお好みか聞いて かけますが カキ氷を手に 悩む子供は十人十色です。

それぞれ 田舎を出て行った息子や 娘の子供達 つまり集落の孫達です。 顔を見れば大体どこの孫だか 察しが付くから不思議です。 遅くまでにぎやかだった 納涼祭でしたが疲れました。 

猫のポシェット もう一個出来上がりました。


研 修

2012-07-23 | Weblog

ようやく 九州地方の<梅雨明け>が  今日宣言されました。 

朝から久しぶりの 晴天の中 生涯学習の研修に出かけました。

バスで出かけた先は県北のかまぼこ工場 水産加工の工場 そしてお昼を皆で楽しんで

土木建設会社の経営する焼き物工房でした。

この土木建設会社 私の町で 高速道路の工事中に 地中を掘ったら粘土層に遭遇し 普通の人間なら そのままなのでしょうが この会社の社長は違っていました。

その粘土の 質の高さを感じ 陶芸の専門家 県の工業試験場 焼き物の本場など 足しげく通い 粘土を生成し 質の高い陶芸用の粘土として 市販されているのです。

そして奥さんは 一合のお米を電子レンジで 炊飯する容器を完成させ 市販にこぎつけられたのです。

常滑焼のような味のある色と 仕上がりは なんと優しい焼きあがりです。デザインの専門家の指導の下 型枠に粘土をいれ 成型して焼く 素焼きですから 安心な器です。

ガラスより 温度を保つことが出来ると聞いて私も 穴熊さんに コップを一個 購入しました。

ご主人の 熱い粘土の話に耳を傾けながら ニコニコ顔で この一合炊飯の器の苦労話をニコニコしながら語られる 奥様  私の心まで 洗われる想いでした。

粘土の 産出した地層は我が家から そんなに遠くないところです。 我が家の裏の畑も掘ってみたら 何か出そうな気がしています。


告別式

2012-07-12 | Weblog

 

     頑張って 頑張って 

               逝きし人   梅雨晴れ間        女房

 

人生は 本当にはかないものです。 昨年の10月半ば 体調を崩していた 穴熊さんの妹がとうとう 逝ってしまいました。 71歳でした。

昨夜の お通夜には 沢山の方が 会いに来てくださいました。

まだまだこれからの 人生だったのにと思うと 悔しくてなりません。 明るくて お人よしでいつも にこにこして お店に立っていました。

穴熊さんも 親しくしていた 同窓の方を 見送ったばかりで 元気がありません。

今朝は 身内でお別れの 朝食を兼ねる 旅立ちのお膳を囲み その後告別式が始まります。 

そして本当のお別れをして  その日のうちに 忌明けの意味の膳を囲み 故人とは お別れです。

明日は お寺さんに お参りしたり 色々な行事が続きます。残されたものが本当のさびしさを 感じるのは 其の後でしょう。

三人の子供達は それぞれ家庭を持ち 孫も7人 そしてこの秋には ひ孫も誕生する予定でした。 本人の残念な気持ちを察すると 涙があふれます。

葬儀は 地方よって 違います。 同じ町内でも 昔の武士の時代の 藩の領地の支配によっても 違うようですし 葬儀屋が取り仕切るようになっても 又 違うようです。

時代によって 若い人たちによって 次々と 姿を変えていくのでしょう。

私達の夫婦も 人生の幕を閉じる日も近いのに 自覚が足りません。 大いに反省しています。


個包装

2012-07-09 | Weblog

昭和の時代 豆腐はお店の水の中に浮いていて 入れ物を持って買いに 行っていました。

味噌は 竹の皮を台量りの上に敷き それに味噌を入れ 量っていました。 お米も塩も量り売りが主流でした。

さすがに 醤油 お酒は 瓶入りでしたが お酒や焼酎は チャンと量り売りもありました。

昨今は 何もかも個包装で 店頭に並んでいますが 食べ物に毒物を混入した犯罪が発生して以来 個包装が 厳重になったような気がします。

袋の上のぎざぎざを 互い違いに 引っ張っても破れず 袋の後ろの部分を引っ張っても 空かず 結局 鋏を使うことになるのです。

 高齢者に人気の 黒飴 よく見たら 開け口が目立つように表示してあります。 コレなら年寄りにも 簡単に開けられそうです。

弁当に 添えてある小さな醤油 ソース マヨネーズなどの袋を開けるのも いつも 難儀している私です。 

人生 アチコチ明け口を見つけていますが いまだ見つけることが出来ず 小さな開け口から 金平糖を出すように すこしづづ出して 沢山残したまま 人生終わるような気がしています。


2012-07-08 | Weblog

私より 若い縫い物友達の具子さんは 新米バアバアです。  

東京のど真ん中に住む娘さんが 先日 孫と二人で 里帰りして 我が家にも顔を見せてくれました。 丸丸と太って にこにこしていました。

     

ハンサムな 男の子ですが 足首にリボンをつけていました。

何だろうと 子育てに無縁の私聞いてしまいました。 「虫除けです。」とママが 教えてくれました。  アレで田舎の藪蚊が逃げてくれるのでしょうか。  

寝かせたら 太ったお尻を 右左に振って寝返りの練習を していましたが 里帰り中に 寝返りをマスターして 一週間ほど じいじいとばあばあを 楽しませて 飛行機で 東京に帰ってしまいました。

キャリアウーマンの娘さん 職場復帰が待ち受けています。 仕事 子育て 主婦 と沢山のわらじを はかなければなりません。 

近くなら 少しでも 手助けが出来るのに と 助けられることの多くなった私 は案じています。

そんな 可愛い孫の為に 具子さん可愛い<ジンベエさん>が出来たと 見せてくれました。

コレを着て りりしい姿で 都会の花火を見物に行くのでしょうか。 私も今度 会える日を楽しみに 

 ♪♪ 「どんぐり山の狸さん」♪♪を 練習しておかなければ。


研 修

2012-06-15 | Weblog

天気予報どうり 朝から雨です。 今日は朝から6月の生涯学習で 小一日の バスで移動の研修でした。  29席の座席は 満席 8時半に出発です。

研修先は県南の 都城の島津邸です。 其の旧家は昭和天皇も 植樹祭にお見えになったとき一泊の 宿となった旧家です。  其の部屋も大部分が 公開されています。

一度は 行って見たいものだと 思っていた場所です。室内は 和風の作りですが 今では 入手困難な 銘木がふんだんに使われ 家具はケヤキが多かったようです。

雨の中 沢山のボランティアの方々が庭の手入れをしていました。

         

地元のボランティアの方の 丁寧な説明で より楽しく 見学できました。

お昼は うどん屋さんで うどんのランチ。

午後は 帰宅の途中 人形浄瑠璃を伝承している 山之口の人形の館の見学でした。

素朴な 人形浄瑠璃は 一度途絶えていましたが 色々な方の努力で国指定の 重要無形民俗文化財に 指定されているのです。

今では地元の子供達にも受け継がれているようです。

素朴な 人形が物語の主人公になって 動き回るのを 見たいものだと 思いました。

遠い昔 新聞紙をぬらして 指人形の頭を作り 母に衣装を縫ってもらい 人形劇をしたのを思い出しました。 遠い昔の話です。

傘の離せない 一日でしたが 心充実した 一日でした。