映 画
2023-06-06 | 趣味
やっぱり 6月です。 満開のアジサイを喜ばせて 小さな雨です。
貧乏暮らしですが 高価な宝石も骨董もありません。
が 私には捨てがたいものがいっぱい。
文鎮 代わりの 小石に書いたスズメ。
この古雑誌。
昭和32年9月号です。 高校を無事卒業し親の小言も注意も聞かず
3本立で120円の 映画に夢中でした。
ひと月 2000円親からもらい 月謝を納め 残りが小遣いでした。
いまだに 日本の戦後は終わっていないと 叫ばれている時代でした。
ホッチキスも 電卓も まだなくて 紙縒りやタイガー社の手回し
計算機でした。
かたずけていたら この雑誌が出てきました。
ヘップバーンの若い頃の表紙です。
目次には なつかしい映画 がいっぱいです。
西部劇の大ファンだつた父は 封切館にいつもいつていました。
父の勤める会社の 大きな浴場の脱衣所には 封切ごとにポスターが
何枚も張られていました。
おばさんたちは 三益愛子の母もの映画に夢中でした。
それより 雑誌の後ろに 若い日の向田邦子さんが 向田の署名で
編集後記を 書いているのです。
物書きになった初めの頃でしょうか。 上野さんの名前もあります。
胸を熱くして 見ていますが 捨てられません。
東映、日活、新東宝、大映、洋画等々。大きな看板は
おじさんが手書きで、俳優さんそっくに書き、はしごの下から、首を見上げてず~とみてましたよ。
あれから何年過ぎたのかしらね?はっきりと覚えて
いますよね。あの頃昭和30年代かしら?
かいていましたね。
俳優さんに 似ているようで似ていない。
学校帰りに 道草の一つでしたね。
10万都市の真ん中を 通学していました。
学習の大部分は あの町で勉強したようです。