日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

遊び疲れ。

2014-12-21 21:42:42 | 日記
仕事以外で、指が冷たくてちぎれる~と思った
バイクの練習でした。

久しぶりの、バイクの練習。
先々、VTR250というバイクはどうだ⁉︎と
思っていたので、その車両を借りて練習

バイクは、傾けるとハンドルが切れます。
切れたハンドルの自然な動きの邪魔を
自分がしなければ良いのですが、
自分が思った以上にバイクが傾き、
結果、ハンドルも切れ込み、
おっと!と思いハンドルを押し返したり、
ブレーキを踏んだり。

バイクを信用して、
自分がいかに手を出さないか‼︎が課題です。

速く走るためにどうするか?
日常では、あまり考えないことに
一日中没頭しました。

昨日のおしゃべり、
今日のバイク。
とても脳みそがリフレッシュした土日でした。


友人雑感。

2014-12-20 20:54:20 | 日記
今日は、ウォーキングの友と久しぶりの再会。
歩いて、喋って、脚が痛いし、喉も痛い。
でも、よく笑った、とても楽しい一日でした。

20数年ぶりに会った友人。
今日会った友人。

どちらの友人も、共通しているのは、
きっと2日でも、3日でも、
どうでもいいくだらない話を、
し続けることができるだろうなぁということ。

どちらの友人も、
「まったくなぁ~」と愚痴を言っても、
悪口を言わないこと。

どちらの友人も、
自分に起こったことを他人のせいにしないこと。

気持ちの良い友人を持てたもんだなぁ~と、
とろとろの梅酒に酔った頭で思うことです。



母の悟り(?)

2014-12-19 19:53:14 | 日記
 寒いので、ウレタンマットを敷き、
更に、ホットカーペットカバーもふかふかにして、冬仕様の居間。
梅ちゃんのおもらしだけが心配です。

 珍しく、母から電話でしゃべっていて、
先日、ブログに書いた幼稚園児代を含む、私の子どものときの話になりました。

 母曰く、「幼稚園の帰りは、私も買い物の荷物重いのもあったけど、
あなたが駄駄を捏ねるから、毎日、タクシーで帰ってたら、
近所の人に小学校入学に向けて、歩かさんといかん!と言われたのよ。」と。

 また、母曰く、
「給食当番になるたびに、マスクなくしてたよね!」

 更に、
「ばあちゃんに書いてた手紙の字、残ってるけどほんと、汚いよね!」

と、でてくるでてくる。
ずっと、大笑いしていました。

 母が言うには、
「私は、そのときそのときで、キィーーーーーってなってたけど、
お父さんが『これは、大器晩成だから~』っていつも言ってたよねぇ~。
子どもの7歳じゃ、15歳じゃなんて、わからん。
そこから、生きてる間中かけて変わるんだねぇ~って、今になってわかったよ~。」と。

 そういう母も75歳でスポーツジムデビュー。
人生初のジャージを買い、トレッドミルも手放しでできるようになったと進化中。

 本当に、生きてる間、人はずっと成長進化していきますねぇ。

指示嫌いと指示待ち。

2014-12-18 14:57:09 | 発達応援
 先日、養生の勉強会でおせちを作りました。
その中で、飾り巻き寿司を作りをしたのですが、
レシピの指示通りパーツを作るものの出来上がるまで、
全体がイメージできず?がいっぱいでした。

 今日も仕事で、4つの山からなるナンバーが混じった荷物を
4つの山はそのままで2つに分けるのに、途中で間違えてわたわた。
こちらも、部分に分けるのに?がいっぱい。

 部分と全体、全体と部分、フォイヤーシュタインでもありますが 
苦手を再認識の今日この頃です。

 時々、指示を受けるのが大嫌いな子どもがいます。
そうかと思えば、指示なしでは一歩も動けない子もいます。

 なんだか、正反対の子どものように感じますが、
実は、どちらも色々とできないことが多くて、
失敗をするのが怖い、嫌だ、と思っていて、
両者の根っこは同じ気がします。

 指示を受けることが嫌いな子どもは、
できないので、先生や友だちのいうことを聞いてやろうとしても、
そもそも言っている意味が分からなかったり、
自分では言われた通りにやっているつもりなのに、
「できていない!」と指摘され、
「言われた通りやってるのに!」との悔しさが募って、
「もう、言われたってやるもんか!」と思っている場合があるように思います。

 この場合、本人の理解できる教え方か?という教える側の反省と
本人の言われた通りやっているつもりの部分を
そのやり方では正解に辿り着かない、ということもちゃんと教える必要があると思います。

 指示なしでは動けない子どもには、
易しいことからでいいので自分で考えた方法で、正解に辿り着く体験をすること。
そういう体験の積み重ねが、自分で考える習慣を身につける一歩かなぁ~と思います。

 わからないこと、できないことは悪いことでも隠すことでもない、ということが
小学1年生くらいの子どもの中では、当たり前の雰囲気ですが、
身近な大人の話を理解し、察知する力がつきはじめると、
できないという事象をとらえて、揶揄しだすように感じます。

 できないことがある人を小馬鹿にするような子どもにしない。
ちょっと小馬鹿にされても受け流すくらいの強い子どもにする。
どちらも必要な力だと思います。

 

登園拒否。

2014-12-17 13:42:01 | 日記
 今朝、仕事からの帰り道、山々が白く薄化粧をしていました。
早朝の時雨が雪になったとニュースでいっていました。
その時雨を「雨だ~」と急いで職場に向かったのですが、雪になろうとは。
雪と知っていたら、バイク怖くて乗れなかったなぁ~と思い、
知らぬが仏の朝でした。

 車のない時代、遠く、山の上にあった団地から、
町中の幼稚園に、父か母かのどちらかとてくてく歩いて登園していました。

 親の記憶と私の記憶で一致しているのは、
朝はさっさと起きるし、ご飯もちゃっちゃと食べるし、
幼稚園の道すがらも楽しく、歌ったり、しゃべったりしていて、
幼稚園の前に来ると、しくしく泣きはじめて行き渋る状態だったということ。

 親の記憶と不一致な点は、
今でもものすごい坂と言われるその団地から、
よくまぁ、幼稚園生の足で歩いたもんだと言う、私の高い評価と
「タクシー、タクシーって、駄々をこねるから週の半分はタクシーだった!」
という親の話。

 私の両親は、
「ああ、この子は小学校にも行き渋るぞ~、大変だ」と思ったそうです。

 しかし、幼稚園は行ったが最後、どんなに泣いても
担任の先生に渡されるので、休んだことは病気以外ではなく、
入ってしまうと、遊んだり、歌ったり、楽しく過ごしていました。

 何が、そんなに悲しかったかと言うと、
幼稚園で父や母と別れるのが辛かったように思います。

 小さい頃、よく、
「ここでおかーさんと別れて、お母さんが交通事故に遭ったら一生会えない!」とか
「もし、おとーさんが鉄砲で撃たれたらどうしよう」とか
想像(妄想?)して、それが現実に起きたことのように、しくしく泣いている子でしたから、
毎朝、そういうネガティブ想像をしていたのです。
なんでって言われても、わかりません。

 もしかしたら、今生の別れとばかり、
毎朝繰り広げられる、私の妄想ワールドのことは知る由もがな。
不思議ですね。

 それにしても、まわりに同じ幼稚園に通う同年代の子どもが居らず、
送迎のバスもない幼稚園だったので、両親のどちらかが、
毎朝一緒に幼稚園まで付き添ってくれていたというのは、
すごいことのような気がします。

 母が専業主婦であったからしてもらえたこと。
父も仕事場の途中にあった幼稚園とはいえ、
朝が弱く、いつもギリギリで通勤していた姿を思い出すと、
朝から面倒な一仕事だったことと思います。
まぁ、かわいい(当時)娘のためにエーンヤコーラ!だったのでしょう。

 まったくもって、箱入り娘です