1981年
僕は社会人になっていた。
音楽は街に溢れる
自由で
楽しく
押し付けがましい
メッセージソングは
なりを潜めていた。
当時
僕は
車で通勤するようになったことから
もう1つ
音楽を楽しむ
スペースを持った。
車で音楽を聴くことの楽しさは
カーステレオあってからこそ
なのだ。
カーステレオに
たくさんのカセットテープで音楽を聞きながら
会社までの道や
彼女と聴くために
自分のお気に入りの曲をカセットテープを編集したりして
聞いたものだ。
【愛の世代の前に】
僕達は
愛の世代なのか?
来るべき
世代が愛の世代なのか?
地上に核兵器根絶しない限り
ラブジェネレーションは訪れない
と
メッセージを送る
少し政治的な匂いのするものが
ありながらも
そう感じさせない
浜省の音楽は
逆にその想いを聞き手に
委ねているようだ。
深い意味を持たせた
このアルバムは
聞き手にその答えを投げかけてきた。
全曲
渾身の出来として僕はこのアルバムは
名盤と受け止めた。
リズム・アンド・ブルースあり
バラードあり
ロックティストに包まれながらも
80年代的なメッセージソングに
なっていると思う。
ドラマの主題歌 にもなった
【悲しみは雪のように】
歌い継がれてる
名曲だ。
カラオケでも必ず歌う歌だ。
【土曜の夜と日曜の朝】
ブラスセクションの音の厚みがR&Bティストの名曲
身体がリズムを刻むノリノリの曲だ。
【愛という名のもとに】
と
【陽のあたる場所】
ラブバラードの名曲。
これはスナックで
歌ったら
カウンターの女の子が
うっとり、、
して拍手喝采を受けた
嬉しい思い出の歌。
聴くもの、歌うのも
心地よい名曲だ。
あの頃
浜田省吾はトレンドだった。
次の売れるべき
大きな波が来ていた。
堰をきって勢いよく流れ出す
そんな力強いエネルギーがふつふつと
爆発寸前の存在になっていた。
それは
来るべき
愛の世代の前に
やっておかなければならないこと
一人一人が
平和ボケにどっぷりつかっている
今。
何かテーマを持って生き抜いていくこと
そのメッセージは
浜田省吾さんの出身地
広島
からの
恒久的な平和メッセージでもあったのだろうと思う。

僕は社会人になっていた。
音楽は街に溢れる
自由で
楽しく
押し付けがましい
メッセージソングは
なりを潜めていた。
当時
僕は
車で通勤するようになったことから
もう1つ
音楽を楽しむ
スペースを持った。
車で音楽を聴くことの楽しさは
カーステレオあってからこそ
なのだ。
カーステレオに
たくさんのカセットテープで音楽を聞きながら
会社までの道や
彼女と聴くために
自分のお気に入りの曲をカセットテープを編集したりして
聞いたものだ。
【愛の世代の前に】
僕達は
愛の世代なのか?
来るべき
世代が愛の世代なのか?
地上に核兵器根絶しない限り
ラブジェネレーションは訪れない
と
メッセージを送る
少し政治的な匂いのするものが
ありながらも
そう感じさせない
浜省の音楽は
逆にその想いを聞き手に
委ねているようだ。
深い意味を持たせた
このアルバムは
聞き手にその答えを投げかけてきた。
全曲
渾身の出来として僕はこのアルバムは
名盤と受け止めた。
リズム・アンド・ブルースあり
バラードあり
ロックティストに包まれながらも
80年代的なメッセージソングに
なっていると思う。
ドラマの主題歌 にもなった
【悲しみは雪のように】
歌い継がれてる
名曲だ。
カラオケでも必ず歌う歌だ。
【土曜の夜と日曜の朝】
ブラスセクションの音の厚みがR&Bティストの名曲
身体がリズムを刻むノリノリの曲だ。
【愛という名のもとに】
と
【陽のあたる場所】
ラブバラードの名曲。
これはスナックで
歌ったら
カウンターの女の子が
うっとり、、
して拍手喝采を受けた
嬉しい思い出の歌。
聴くもの、歌うのも
心地よい名曲だ。
あの頃
浜田省吾はトレンドだった。
次の売れるべき
大きな波が来ていた。
堰をきって勢いよく流れ出す
そんな力強いエネルギーがふつふつと
爆発寸前の存在になっていた。
それは
来るべき
愛の世代の前に
やっておかなければならないこと
一人一人が
平和ボケにどっぷりつかっている
今。
何かテーマを持って生き抜いていくこと
そのメッセージは
浜田省吾さんの出身地
広島
からの
恒久的な平和メッセージでもあったのだろうと思う。
