アメリカン・ブルーです。
6月10日、11日 東北絆まつりが仙台で開催されました。
昨日のニュースによれば、二日間でおよそ45万人の人出になったそうです。
東日本大震災の犠牲となった多くの方の魂を弔い、
東北の復興の狼煙を上げるため、2011年7月に仙台から始まった東北六魂祭・・・
震災からわずか4か月後のことでしたが、
互いの「絆」を確かめ合って、6県を一巡して、
今年、震災から7回目の夏、「絆まつり」として、
再び仙台市での開催となりました。
夫は、盛岡の「さんさ踊り」が一番好きで、
そんな祭り好きの夫に促されて、今回も出かけて行きました。
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前回の時には、初めての開催で、
37万人の人出を予想できなかったため、
ねぶたや竿燈が動けず・・・私も、現地までたどり着けなかった記憶が残っています。
一昨年、開催5回目の「六魂祭」を秋田で見たときには、
それまでの経験が生かされたことからも、
素晴らしい感動を貰った記憶に変わりました。
そのビル街に揺れる秋田の竿燈は、風の通り道、仙台の強風に苦戦しておりましたが、
私にはその頃の思い出に一気に灯りがともるようでした。
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5月の青葉祭りの時と場所は一緒で東二番町~勾当台~定禅寺通りでしたが、
前回は片側封鎖、今回は、全面封鎖で行われましたが、
人垣がすごくて、写真は背の低い私にはさっぱりでした。
少しだけ雰囲気をお知らせできればと思います。
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一番町アーケードには、仙台七夕も8月を思わせるように飾り付けられて、
多くの観光客、地元に住む私達にも喜びになりました。
東北のお祭りを一度に見られる祭典です。
ただ・・・
やはり、本物は、その土地へ出かけて行って、
その土地ならではの雰囲気や工夫、体験など、
そこに参加して復興の応援をしたいものだと思いました。
福島のわらじまつりの写真だけは撮れていませんで、ごめんなさい。
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昨日は11日だったので、この記事を投稿予定にしていましたが、
「絆まつり」へ出かけて疲れてしまって・・・・
「絆まつり」とはまた違う角度から東日本大震災を振りかえります。
6年の月日を経て、津波被害を受け、閉校になってしまった仙台市立荒浜小学校。
この4月から震災遺構として、学校が公開されています。
先日、荒浜の復興植樹へ出かけた帰りに立ち寄りました。
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2011年3月11日に発生した東日本大震災において、
児童や教職員、地域住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた荒浜小学校。
犠牲者を出すことなく、真っ暗な中で一夜を過ごしたその話を聞くことができます。
中でも、当初避難場所に予定していた体育館。
校長先生はそこに納得がゆかず、屋上避難を考え、その方向で訓練をしていたそうです。
危機管理能力に助けられた、貴い体験だったと思えます。
汚れたままの大きな時計・・・
まさに、その時間がそこで止まっている。。。
大地震から、およそ1時間後の時間が残されておりました。
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校舎の3階から見た景色です。
画像真ん中奥に、白っぽいアーチ型の橋が見えます。
私の家はその近くにあります。
周辺に建物がなくなって、もし、次に同じような規模の津波が押し寄せてきたら、
この辺りも・・・・
消防の防火訓練時にそんな話がされております。
震災遺構には、いろいろな立場で、今も賛否両論があります。
「津波はまた来る」
忘れないために・・・
危機意識を残すために・・・
祭りのあとさき、ここへも立ち寄ってほしいと思いました。