
ルナです。
きょうから、12月・・・・
今年も、残すところ一ヶ月になったね。
多くのことがあった今年だったけど、今年の総決算、
楽しいことで締めくくりたいから、みんなで笑って過ごそうね。
ところで、今日は、どうやら、ママさんにとって、特別な日・・・・らしいんだよ。
少しだけ、ママさんの話を聞いてくれる?

アメリカン・ブルーです。
夫の今年の誕生日にも少し書きましたが、
今日は、ルナに代わって、もう少し、書かせていただきたい想いがあります。
長くなりそうですが、良かったら、お付き合いくださいませ。


1992年12月1日は小学校に入ったばかりの息子の初めてのマラソン大会の日でした。
あいにくの曇り空・・・・今にも雪でも降りそうな、
そんな空の日だったことを覚えています。
一年生は、校庭を一周走って、学校の外側を更に一周走るコースでした。
当時、あまり運動が好きではなかった息子でしたが、その日は、良く頑張りました。
なぜなら、夫が、息子の傍を掛け声をかけながら、一緒に走ったからです。
もしかしたら、これが息子と一緒に過ごす最初で最後のマラソン大会になるかもしれない・・・
そんな想いがあって、元陸上部のエースだった父親は、
回りの目も気にせずに、しっかりと、息子へエールを送りながら完走したのでした。
順位は、真ん中から少し遅れる辺りでしたが、私にはとても良く頑張ったと思える走りでした。
彼にとっても、今日、入院する父親を見送る応援歌のつもりだったんのかもしれません。


マラソン大会を見届けて、私達夫婦は、そこから、仙台市内の病院へ・・・・
36歳・・・その日が夫の闘病生活の始まりの日となりました。
9時までに手続きをしなければならなかったのに、マラソン大会を見届けてから行ったので、
すでに10時を回っていたことへ、看護婦さんからお叱りをもらいつつ、
8階内科病棟へ案内されました。
パジャマに着替えると、心電図を撮るからと、
看護婦さんが迎えに来て、夫は病室を出て行きました。
入れ替わるように、別な看護婦さんがやって来て、私を手招きするのです。
呼ばれるままに着いて行くと、そこには、主治医の先生と婦長さんが待っていました。
この時の主治医の先生が、あの、石巻で被災されたE先生なのです。
私はここで、初めて夫の病気の説明を受けることになりました。
現在は、病名は本人にきちんと告知して、そこから治療方針を決めるのでしょうけれど、
当時は、まずは家族への告知・・・そして、そこからどうするかという選択肢が一般的だったのです。
そこには、私が、それまで聞いたことが無かった病名があって、
それが何を意味しているのかも全く解らない、未知の世界への入口でした。
夫は、血液性のがんでした。
先生は、病名を伏せようか?と言いましたが、その時すでに、夫は、書店で医学書を読みあさり、
しっかり自分で病名を決めての入院だったので、
「隠し通せないので、はっきり伝えて、そこから頑張りたい」
私はそう話しました。
それでも、先生は、「悪性」という言葉は、今は外しておこうか・・・・
そう言って、私もそれにうなずきました。
決してここでは泣いてはいけない・・・・しっかりしなくてはいけない・・・
本当の悲しみや、驚きや、心が壊れそうな時は、人は涙が出ないものだと思いました。
最後に、私は、生存の確率を先生に聞きました。
少しの沈黙の後に、60%・・・と先生はおっしゃいました。
きっと、本当は5分5分、と言いたかったと思います。
まずは、2年を目標に頑張ろう!!
2年頑張れたら、5年、頑張れる・・・・そう信じて。。。
先生とそう話して、立ちあがった私を、
ずっとそこで付き添っていてくれた婦長さんが、ぎゅ~っと抱きしめてくれました。
その時、ようやく、私の目から、とめどなく涙が流れて止まりませんでした。
「私達は、患者さんの家族の心も看護しますよ。一緒に頑張りましょう!!」
そう言ってくださった婦長さんの優しさがこらえていた私の心の蓋を開けてくれたのかもしれません。


外は、もう、細かな雪が舞い始め、12月の寒さが身も心も震えさせるようでした。
泣いた顔のまま、病室へは戻れない・・・・
30分ほど、病院内をウロウロしてから病室へ戻ると、夫はもうベッドに横になって待っていました。
「先生はなんて言っていた?どれくらいの生存率だと・・・・」
こわばった顔で私にそう尋ねた夫に、どう答えようか・・・・一瞬の判断で、
「70%だそうよ!!大丈夫。必ず私が助ける!!」
夫に少し、嘘をつきました。
五分五分がいつしか7割まで上昇したことで、夫も、いくらか穏やかになってくれました。
「お前は運が悪かったとあきらめてくれ。
でも、息子は、そうはゆかない。。。
せめて、中学生か高校生なら、あきらめもつくが・・・・」
それから、私は、病院から歩いて20分ほどの電気屋まで夫に頼まれて、
小さな液晶TVを買いに、病院を出ました。
広瀬川にかかる大きな橋を渡って行くのですが、橋のたもとから見た景色が、
全くの彩りを失った、無彩色の広がりだったことは、今でも忘れることが出来ません。
生きてきた中で、一番辛いと思った瞬間でした。
まるで、私達の前途を見るようだったからです。


その日から、8ヶ月・・・5ヶ月・・・4ヶ月・・・1ヶ月・・・・
4回の入院と、数えきれないほどの外来治療。
症例少ない最新治療や治験にも参加し、
決してあきらめない夫の闘病生活は、ひたすら息子への父としてのすべてでした。
時は、そうして、いくつかの波を乗り越えて、
きょう、私達は、その日からなんと20回目の12月1日を迎えることが出来ました。
翌春に「最後の花見」をしようと、船岡へ一目千本桜を見に出かけてから、
来春には、20回目の花見を予定しております。
今年も、震災や原発の不安の中も、福島の花見山で休むことなく「最後の花見」を決行した私達です。
夫の体は、おそらく、私が想像する以上に壊れていると思います。
でも、その精神力とゆるがなかった息子への責任感と、
「決してお義母さんより先に逝かないで・・・」
私の願い通り、頑張り通した夫は、今年1月、母を見送りました。
毎年、この日が来ると、あの荒涼とした景色と壊れそうだった想いが蘇るけれど、
もう、そこから解放されて、
20回目の12月1日を、笑って過ごしている事として、
今できること、今だからやっておきたいことに気持ちを置き替えて、
明日から、数える事のない未来へ繋げて行きたいと思います。
私の心の整理にお付き合い頂いて、ありがとうございました。
息子にも、あの日のことを話した事がありませんでした。
こういう形でも、ここへ気持ちを書き込んで、
長い年月の苦しかった記憶をそろそろ閉じようかと思っています。
もう、笑った記憶の方が絶対多くなったから。


ママさ~ん そんな遠い記憶がずっとママさんの中にあったんだね。
でも、2年頑張ったら5年過ごせるんだったら、
20年頑張ったら50年過ごせるんじゃないの?




パパさんの病気の根源、ガン細胞さんも、もう、20年もパパさんと一緒に暮らして、
成人するくらいになったんだから、今まで見たいにやんちゃなことせずに、
落ち着いて、人に迷惑をかけず、大人としての慎みある行動を期待したいよね。
パパさんは、もう、疲れた~
もう充分生きたし、今が一番幸せだから、これで良い・・・・
そんなこと言っているけど、ルナは、まだまだ、パパさんに遊んでもらいたいし、
いろんな所へ行きたいなぁ~

パパさんは、400mの中距離ランナーだったらしいけれど、
それって、どこで全力疾走するか、考えながら走るのかもしれないね。
お兄ちゃんのマラソン大会の日から始まったパパさんの大きな大きなマラソン大会は、
定年は延長されるし、新薬は開発されるし、
二代目ルナの真打登場でますます距離が伸びそうだね。
パパさん、毎日お疲れ様・・・・
今日から、少しゆっくり仕切り直し、よろしくね~


私は今日これを読んで はじめてブルーさんから私がいつも感じさせて頂いていた強さと優しさがどこからきているものなのかがわかったような気がしました。
私はぜんぜんクリスチャンではないのですけれど、小さい頃から賛美歌を聴いて過ごし
幼、高、大とキリストの教えを学んできた都合上?今年ももうすぐクリスマス礼拝に行ってきます。
とはいっても今まではなんとなく参加して、クリスマス気分に浸るのみでしたがいろいろな意味で特別な年となった今年は、沢山のお祈りと、それから沢山の感謝をしてきたいと思っています。
私のようなものが今日のコメントをお返しするのは恥ずかしく、うまく書けなくてごめんなさい。
あっというまに12月ですね。
ブルーさん、パパさん、おにぃちゃん、ルナちゃん♪今年も楽しい素敵な、そしてあたたかな
クリスマスシーズンをお迎えください。
★そんなわけで、そうおっしゃらず?(笑)
今年はお祝いもこめてクリスマスケーキはド派手に!!
責任感の強いパパさんはどんなにか辛かっ事でしょう、そして一緒に歩んでこられたママさんも本当に大変でしたね。
病気を抱えての生活は家庭も暗くなりがちですよねっ!なのに、ここまで頑張ってこられたお二人には、今年のあの地震も大きな出来事でしたねっ!毎日身体も心配しながらのママさんのご苦労は計り知れないものかと思います。
医学は進歩してるようですし、これからもパパさんは頑張ると信じてます。
ママさんが告知をされた、その日の記憶を鮮明に覚えてると同じく、私は15歳でしたが父の生存率を告知された記憶は忘れる事は出来ません。
優しいお兄ちゃん、この記事を読んで”何か”を感じてくれると思います。
どうぞ、これからもパパさん、ママさんが明るく笑って暮らせますように私もお祈りさせて頂きます。ママさん頑張ったわね。
何故か安心できるHPです。
パパさんはお疲れかもしれませんが、もう大丈夫なのでは?悪さする病気も根負けしてると思います
次は「孫」が待ってるから
最初にお二人にお会いした時に、この方達は強い絆で結ばれていて、お互いを大事にしていると感じた理由がわかった気がします
これからもたくさんの時間をお二人と共有させていただきたいです(●^o^●)
この記事を読んでいると主人と重ねてしまいます
パパさんは優しくて強い方ですね。これからも
マリンママさんが言うように今度はお孫さんの顔を見なくては
でもお兄ちゃんのマラソン大会で、一緒に走ってるパパさんの事想像したら、涙が止まりません。
どんな思いで走ってたのかと思うと。
婦長さんも優しい方ですね。
でも二人で築いてきた道のり、これからも一緒に歩んで行ける幸せ、
じっくりかみしめてると思います。
二人はとっても強いですね。
感動です。
こんな私達夫婦の20年ですが、
ルナを介して、ぷぅちゃんご家族と仲良くさせて頂けて、そんな生活が出来るようになって良かったです。
今年は、いろんなことがあったからこそ、
賑やかなクリスマスを考えるのも良いかもしれませんね。
明日あたり、クリスマスの演出を考えて、
ちょっと楽しく過ごしてみようかしら。
子供が大きくなると、
豪華な
ぷぅままさんをうならせる? (笑)
ところで、今日、例のもの、食べました。
未だかつてない、なんだこりゃー
毎年、この日が、私にとって、もうひとつのパパさんの誕生日でした。
あの日の気持ちを、そろそろ忘れようかと思っています。
もっと楽しいことがたくさんあると信じて、
また、50年に向かってね。
パパさんは、もう良いよ・・・って言うでしょうけれど、そうは勝手にさせないわ(笑)
みちみちさんのお父さまへの想いも伺って、息子もきっと心に秘めた気持ちがあったかも・・・・って思いました。
昨夜、二人で電話で話していましたが、
二人とも、健康を大切に、いつまでも話が出来る親子であってほしいものですね。
免疫力UPの笑いはお姉ちゃんの特許だから、
これからも提供してくださいね~(笑)
私達は、とても多くの方々にご心配をかけて過ごして来ました。
最も悲しんだのは、言うまでもなく義母だったと思います。
私が、自分に置き換えても、それ以上の悲しみはないと思うから。
20回目の12月1日
仙台は、今日、初雪を観測したそうです。
もう、雪を見ても悲しい景色にはならなくなりました。
また、お花見を楽しみに、この寒さを乗り越えましょうね。
そうそう、気を抜くとがっくりくる人なので、要注意です
お会いしたことはありませんが
純粋な夫婦愛で結ばれているご夫婦だな~と
思っていました。
そして憧れでもあります。
色んな想いを乗り越えてきたからこそ
素敵なご夫婦になれたんだと思います。
パパさんママさん ファイト
今日からまたスタートです。
パパさん ゆっくり走ってくださいね