アメリカン・ブルーです。
7回目の3月11日です。
東日本大震災は、まだまだ記憶から離れることはなく・・・
今日もその瞬間に、タイムマシーンに乗って、
「あの日」に、多くの心が飛んでゆくことになるでしょう。
ここ数日は、多くの番組で、
この7年の歩みや、当時の様子が映し出されて、
私も、振り返ることが多い日々を過ごしました。
震災の1週間前・・・3月6日。
福島に転勤になった夫は、アパートを借りて引っ越しました。
たまたま会議に休みをつけて、11日は仙台にいました。
風邪を引いていたので、
近所の内科へ行って午後からルナと寝ると二階へ行って間もなくでした。
震災の翌日、
夫は、早朝に福島へ行くといって出かけてゆきました。
ルナが外を見ている、春の陽が家の中まで入ってくるその場所・・・
電気もガスも止まっているので暖房がありません。
差し込む太陽の温かさとルナを抱いて、この場所で過ごしました。
震災の翌日は、3月とは思えない暖かな日となって、
その気温に助かった人も多かったのではと思います。
今でも、この場所に長座布団を引いて、途方に暮れながら、
揺れ返すたびに右往左往した日が蘇ります。
もう一つ、いまでも強い印象が、天井から下がっている照明器具です。
これが、振り子のように左右に大きく振れて、
物理が最も苦手な私は、
「振り子って、180度を超える振幅をするの??」
そう思うほど、今にも天井にぶつかりそうな弧を描いていました。
それを、半分、全てをあきらめるような気持ちで見ていたのでした。
今でも、地震?と思う瞬間に、真っ先に目が行くのがこの照明器具です。
その揺れ幅で、「大丈夫!!」
そんな目安になっているのです。
ルナも、一時は、余震を感じると真っ先に私の膝へ乗ってきましたが、
この頃は、お互いが目線で、
「大丈夫そうだね~」
そんな目配りへと変わりました。
小さな犬にとっても、「あの日」の記憶は確実に残っているのです。
昨夜は、夫がなかなか帰宅せず・・・
ふと、10時ごろにルナと庭へ出て夜空を眺めました。
ついこの前まで真上にあったオリオンが、西の空へ移動しておりました。
満天の星のあの信じられない日の美しい星空はありませんでしたが、
ホッとする目で見つめた春の夜空でした。
間もなく、今日もその時間が迫ってきました。
復興は、昨年から驚異的に進みだしました。
3月11日は、私たちが生きている限り、
毎年、タイムマシンに乗る日です。
3月はずっとその想いが底辺にあって、
東北は、待ちに待った春なのですが、
この日を越えないと本当の暖かい春が来ないと思います。
未だ悲しみを抱いて、いっそ死んでしまった方が~とおっしゃる多くの方の日々やこれからを思うと、
胸がつまりますし、切ないですが、
生きている者の努めを果たして行かなければと、
またここからの時間を大事にしたいと思います。
今年もタイムマシンに乗ってあの日に返りましたね。
後に、あの日の事をぷぅぱぱさんから聞いたとき、
ランが地割れして‼って言っておられましたが、
もし、私もその日同じ時間にそこに居たら、
海岸線を家に向かって帰っただろうなぁ~って思うと、
あり得ないほど怖い気持ちになります。
あれからたくさんの事を勉強したので、
それを留めて生活しないとですね。
しかし、七年の重さは重すぎます
あの凍える日に津波の犠牲になられた方々
何とも言葉では言い尽くせない思いです。
それを胸に未来に目を向ける残された人たちがいる事
まだ立ち直れない人も大勢おられる事を
今年もテレビから教わりました
タイムマシンに乗る日です。
どうやったって忘れることの出来ない日ですよね。
確かに
職場前の公園駐車場に先日突然電話ボックスが設置
されて 皆で今どき公衆電話なんだろう、と話していたけれど
震災に備えてのことだと後日説明がありました。
黙とうをして目をつぶったら
あの夜の星空が浮かびましたっけ。
何度あの日を重ねても、
おっしゃる通り、それを表現する言葉は見つかりませんね。
言葉では言い表せない体験を、日本中の人が同じときにしたと言うことですよね。
被災地のみならず、多くの方が衝撃の時間となったことでしょう。
今年、また公衆電話の設置が増えたとか!
息子が当事、携帯は繋がらないけど公衆電話だと繋がったと言って電話をくれました。
体験を反映しつつ、
二度と大きな悲しみにならないような備えが、心構えが大事ですよね。
タイムマシンに乗る日、それぞれのあの日に思いを馳せて未来を安心な日にして行きたいものです。
親の世代は戦後!と言う言葉をよく使っておりましたが、
私は震災後!と言うひとつの線がそこに出来て、
記憶を辿るときにはその線が現れるようになりました。
そこより前、そこより後、
それだけ大きな事なのですよね。
あの日の三日後からルナを連れて泉と言うところに隠れるように過ごしました。
福島の方々の冷静な日々を見つめていたような気がします。
akaimiさんとの出会いは震災がもたらしてくれた明るいものとなりました。
いつかお会いできれば~♪
密かな願いを大事にして、
ずっとこのメモリアルに共に在りたいと思います。
7年、昨日の事のようでもあります。
今日、早めのもーちゃんお誕生日をお祝いしようかと思いましたが、
あの年も、早く送ったらrikoさんを泣かせてしまったなぁ~って思い出して(笑)
ゆっくり!ゆっくり~(*´-`*)ノって、
色んな想いがありますね。
今日も昨日に続いて多くの関連ニュースが流れています。
風化させずに語り繋いで行くことが大事だと本当に感じます。
↓ありがとう。
3.11。
この日が来ると、いつも何か気持ちをまとめようと思うのですが、
色々な思いが巡り、未だにピタッと来る言葉が見当たりません。
被災の情景もそうなのですが、
やり切れない思いとか、自然の脅威とか、心細さとか
自分のキャパシティを遥かに超えてしまった感覚ばかりが蘇ります。
そして、亡くなった方々のご冥福をお祈りをすると共に、
日々の生活の平穏や心の傷が癒えることを、
心から願うばかりです。
ルナちゃんも小さな体で感じて、
穏やかさを取り戻して来たのでしょうか。
僕も命ある限り、タイムマシーンに乗る日になりそうです。
穏やかな天候の今日の日でした。
あの日のことを考えて話そうとすると
いつも言葉がつっかえてしまって…
難しいです。
何行もの長文を結局消してしまいます(^-^;
あの頃、同じ福島市内にてパパさんとアメブルさん、ルナちゃんと同じ時間を過ごしていたのだと思うと不思議なご縁を感じてしまいます。不安で藁をもすがる想いでネットをさまよって、出会ったのがアメブルさんのブログでした。
実は当時スーパーのアルバイトをしていたので、あの頃の混乱を思い出す時、パパさんのお仕事の大変な御苦労を想像し、改めて感謝の思いを強くするのです。
もうすぐ7年目のあの日が終わりますね。
平穏な日常がどうかどうか続きますように…
明日からまた、よろしくお願いします。
自然災害だからいつ起こるか分からないけど
旦那様がその日お休みだったのは
ママとルナちゃんを2人にしないように
なってたのでしょうね
7年・・・まだ7年ですもんね
↓楽しみですね
息子さん宅に行く回数が増えたりして・・・
フフ
今日は一日、多くの番組で震災関連の話題でしたね。
日本中の人が、同じ驚きと悲しみを共有した日で、
忘れられない記憶の日となりました。
あの日は、もう、この先もとの生活に戻れるのだろうかと思いましたが、
それぞれの努力で今日があると思います。
大雪や洪水、自然災害はどのときも同じように無力感を得ますが、
そんな中でも、あの日からずっと気遣ってもらった事も忘れられない記憶です。
ありがとうね~♪
7年が経とうとしておりますね。
何年経っても昨日のことのようでもあり、
明日、またやって来るようでもあります。
夫は今日は石巻へ行って仕事をしているようです。
あれから、何度か宮城の海岸線を巡りましたが、
今、大きく土盛りされて新しい道路が作られ、
生活は落ち着いていますが、
何かしらその新しさが空しく感じられることがしばしばです。
でも、みんな受け入れながらの7年。
これからもそうなのでしょうね。
静かに犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしたいです。
間もなくです。
本当にあの日の大きな揺れには恐怖だったかと思います。
自然災害・・・本当に怖いですね。
小さなルナちゃんも忘れられない記憶として残ってしまって可哀想でしたね。
いま、こうして元気で過ごせることがどれほど幸せな事かとあらためて感じてます。
そうですね、この日はタイムマシンに乗る日になりましたね。
間もなく地震発生の時間になりますが、今日は私も複雑な気持ちで一日を過ごしてます。