運が欲しい

心の貧しさが運を下げる。もしもこんな方程式があったとしたなら。
知恵と勘を磨きながら、心の動きを探求。

ミスったとき

2020年11月05日 13時14分35秒 | 日記

「あ~また忘れた」
最近、買い忘れが多くなって来て、思わず冷蔵庫の前で叫んでしまった。

マグロの生姜煮を作ろうと思い買い物に行ったのですが、特売のオンパレードに目が行き、肝心の生姜を買い忘れてしまった。

「時間があるのにミスをする、もう最悪や」と反省しながらも、ひとりで親の世話をしているんだし疲れも出るさと。

ミス、失敗で検索すると、これまた勉強になる記事がありましたので。

「誰かのせい」にすると心地がいい 不必要に傷つかない生き方(古市憲寿)
2020/11/05 05:55                 デイリー新潮
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-676674

(前略)
 たとえば、本当は届いているはずの郵便物が、家に見当たらなかったとする。その場合、僕はまず先方を疑って、「きちんと送ってくれましたか」と確認する。それが確認できたら次は日本郵政を疑う。いくら郵便事故率が極めて低い日本でも間違いはゼロではない。

 そして最後の最後で、自宅を探す。そうすると大抵、見つかる。他人からしたらいい迷惑だろうが、こちらの精神衛生上、心地がいい。

 もちろん「自分のせい」と思ったほうが楽だという人もいるだろう。物事の責任を追及していくと、「社会」や「時代」「遺伝」といった、自分では手に負えないような大きな存在に行き着いてしまう。「時代のせい」と思って心が晴れるならいいが、その次のアクションが難しい。だったら「自分のせい」と納得してしまったほうが対処はしやすい。

 だけどその時も、「自分」を高く見積もり過ぎないほうがいい。この世界を生きていく上で、自分一人の力でできることは知れている。独裁者でさえ腹心の動向や世論には気を遣うものだ。そういえば自信満々に「死ぬこと以外かすり傷」と言っていた編集者も「かすり傷でも致命傷」になることを身を以て示していた。自分への期待はほどほどに。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

「週刊新潮」2020年11月5日号 掲載


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