運が欲しい

心の貧しさが運を下げる。もしもこんな方程式があったとしたなら。
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開眼

2010年03月13日 19時00分00秒 | 日記
【十字路】実物大の大仏半身像難波宮跡公園にお目見え(産経新聞) - goo ニュース

4月放送のNHK古代史ドラマ「大仏開眼」のロケ撮影で使用された実物大の大仏半身像が12日、難波宮跡公園(大阪市中央区)にお目見えした。

 高さ・幅約9メートル、奥行き約4・5メートル、重さ約2トン。史料を基に、聖武天皇が建設した奈良・東大寺の大仏を再現。主な材料は合成樹脂と発泡スチロールだ。(以下略)

NHKの古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」の予告編を、今日初めて見た。

平城京遷都1300年にあたる今年。
大阪放送局が制作した古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」。

放送はNHK総合
4月3日(土)前篇、
4月10(土)後篇の2週連続
時間は19:30~21:00 


予告編を見ていると、オイラの悪いクセが出てきた。
本が好きで、すぐ欲しくなる。
アマゾンで検索すると、このような本がありました。

平城京全史解読―正史・続日本紀が語る意外な史実 (学研新書)
大角 修
学習研究社

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内容(「BOOK」データベースより)
日本書紀に続く第二の正史・続日本紀とは、どのような書物なのか?意外に知られていない正史のさまざまな謎と問題点、そして、中央集権国家の成立、大仏開眼、鑑真来日、長屋王の変、道鏡事件など、奈良の都に展開された大事件の数々を今、総検証する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大角 修
1949年、兵庫県生まれ。東北大学文学部宗教学科卒。出版社に勤務後、地人館を設立し、同社代表として仏教書・児童書を中心に編集および執筆活動を行なう(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次
大君は神にし坐せば―『日本書紀』から『続日本紀』へ
文武天皇即位―『続日本紀』の開幕
大宝律令と養老律令―国家の法典をめぐる動き
平城京遷都―奈良の都のはじまり
女帝二代―元明・元正天皇のころ
仏と神の都―平城京の寺々と神社
遣唐使と新羅・渤海―奈良時代の外交
長屋王の改革―百万町歩開墾計画と三世一身法
聖武天皇即位
長屋王の変―皇族勢力と藤原氏の争い
藤原広嗣の乱―橘諸兄の権勢拡大
皇都のさまよい―聖武天皇の遷都
大仏開眼―鎮守国家の熱狂
鑑真来日―尼僧急増の背景
橘奈良麻呂の変―天下太平のまぼろし
恵美押勝の乱―淳仁廃帝と孝謙天皇の重祚
道鏡事件―皇位を奪おうとした僧
光仁老帝―天智系皇統の復活
桓武天皇の改革と遷都―奈良時代の終焉




以下 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
「聖武天皇」

経歴
(前略)天平9年(737年)に疫病が流行し、藤原四兄弟を始めとする政府高官のほとんどが死亡するという惨事に見舞われて、急遽、長屋王の実弟である鈴鹿王を知太政官事に任じて辛うじて政府の体裁を整える。さらに、天平12年(740年)には藤原広嗣の乱が起こっている。

天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、天平13年(741年)には国分寺建立の詔を、天平16年(743年)には東大寺盧舎那仏像の建立の詔を出している。これに加えてたびたび遷都を行って災いから脱却しようとしたものの、官民の反発が強く、最終的には平城京に復帰した[1]。また、藤原氏の重鎮が相次いで亡くなったため、国政は橘諸兄(光明皇后とは異父兄弟にあたる)が執り仕切っていた。天平16年(743年)には、耕されない荒れ地が多いため、新たに墾田永年私財法を制定した。しかし、これによって律令制の根幹の一部が崩れることとなった。(以下略)



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