8/17付の天声人語は、臓器移植に関する内容でした。その中に「命のリレー」という言葉が出てきます。心に響く言葉で、その説明の文言も心に残ります。
『一つの喪失が一つの再生をもたらす臓器移植は、命のリレーといわれる。いわば涙の水彩で花束を描き、見知らぬ家族にささげる行為である』
最愛の人を失った遺族の悲しみ、その悲しみの涙で描かれた花束は、受け取る側が引き継ぐ心のリレーなのかもしれません。提供した人が愛された分だけ提供された者も愛され、その命が引き継がれていくようにと・・・。
腎臓移植を受けた女児の母親が提供者の家族に送った言葉
~ 『命を確かに引き継ぎました。お陰で娘は元気に小学校に通っています』 ~
この言葉は、提供した遺族の涙で描かれた花束をきれいな本物の花束にしてくれるような言葉だったと思います。最愛の人の命が新たな命となって生きていることをうれしく感じたことと思います。
3年間の透析生活を脱した女児は、神様にもらったと信じているそうです。
ドイツで移植を待ちながら亡くなり、提供者に転じた少年のことも書かれていました。その11歳の少年は万が一の覚悟を問われ、
「ぼくは人からもらわないと生きられない。使えるもんは何でもあげる」 と言っていたそうです。
その子の辛さと覚悟に心が打たれます。命のリレーを誰よりも体感していたのかもしれません。その子の親は、息子の臓器移植で救われた同世代に
『誰に何の遠慮もなくすくすくと成長してほしい』 と言っています。
提供を受けたことを負い目と考えず、普通の子どもと同じようにすくすくと成長してほしい・・・息子への思いと重なる願いを強く感じます。
残された遺族の方は、命のリレーが行われることで、最愛の人が新たな命となって生きていることを感じておられるのかもしれません。
改めて臓器提供を通した命のリレーに対して、自分がどうかかわっていくかについて、じっくりと考えてみたいと思います。
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