あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

めがね

2017-01-11 15:25:17 | Weblog
最近、視力の低下を感じて、老眼?
普段は裸眼ですけど、映画の字幕とか、学会のスライドとか見にくいので眼鏡は持っています。もう10年くらい前に作った。3つあったけど、2つ無くして、一つしか無い。
遠くがどんどん見えなくなっていたので、新たに眼鏡もう一つ作ろうかと想い、マインドフルネスのあとに、zoffへ行って視力検査したら、視力0.4-0.5とのことで、去年0.8ぐらいあった気がしたけど、やっぱり都会に出て来たから?
でも心配してた老眼は進んでませんよとのことで一安心。
結局、10年前と同じレンズで1.0以上みえるので、同じレンズで作ることに。
BB先生が真似た大北先生みたいな、いわゆる昔の大きなべっ甲フレーム7000円なり。
一つは車に置いておこうかと、先日、夜の雨の時とか、何も見えなかったから。

注意の分散

2017-01-11 09:17:38 | Weblog
瞑想中、思考に気が付いて、それを流していくのは、だいぶなれてきたけど、それを日常生活で活動しているときに、いかに行うかがなかなか出来なかった。
生活の中でかなり意識するようにして、最近では何かに夢中になっていなければ、ふと思考しているかどうかのチェックを一日何十回もやれるようにはなってきた。
これはつまりは自分を客観的に見るということなのであるが、会話中はなかなか出来ない。
会話している自分を眺めると言うのは、難しい。
それをベテランのオリョボニートスさんに相談したところ、ヒントを頂いた。
客観的に見るためには、いつも瞑想でやっていること、アンカーを作ることとのことである。
ズバリ呼吸か身体感覚

会話しながらはもちろんであるが、最終的には24時間、呼吸か身体感覚に意識を置きながら生活するということ。
そうすると、のめり込まずに一歩引いたところから、自分を見ていられるとのこと。
注意の分散ということである。
確かに瞑想の中では訓練してきてけど、会話中なんかは上の空にならないのかと質問すると、それも訓練ですとのこと。
やはり、日々の瞑想で訓練して、日常生活で意識して行くしかないと。
オリョボニートスさん、瞑想始めてもうすぐ3年になるというから、それなりに時間はかかるのだろうが、前には進んでいるみたい。

泥水で濁ったコップの底にある物

2017-01-11 08:50:59 | Weblog
この話は何度か似たような話を聞いたことがあった。
苦悩の原因、つまり潜在意識に溜まっている汚濁の例え話だと思っている。

コップの底に何があるかは、心が静まって、泥が沈んで水が澄んでこないと見えてこない。
それでも溜まった泥で全貌は見えない。

最近、底に溜まっている泥が見えてきた。

無理に泥を取りに行こうと、手を突っ込むとまた水が濁ってしまう。
だから唯々、眺めて、待つのみ。

物理法則には反するのであるが、一つ一つ泥が浮いてきては消えて、浮いてきては消えて、底がきれいになっていくのを、じっと待つのみ。

私自身はまだ底を見ていないけど、底には何も存在しないと言うのが答えらしい。
でた、まさに禅問答と同じ
自分で体感しないと、その意味はわからないのだろう。