2008年11月30日(日曜日)
今日届いたばかりの『we』です。
いつみても、ニキ・ド・サンファルの表紙はステキ!
さて今回は、そのニキのご紹介を・・・
栃木県は那須高原に、ニキだけの作品を収蔵した美術館があります。
一度、たずねたいと思いつつ、なかなか実現できないでいます。
ニキの魅力は、色彩とユニークな造形でしょうか。
福井と名古屋でのニキ美術展を2度とも
見逃してしまったのが、残念でなりません。
福井のときはちょうど、乳がんの手術・・・
名古屋のときは、忙しくて予定がたたなかった・・・
那須といえば・・・
http://blog.goo.ne.jp/aran1104/e/a1ab61601021363256082ddc53b5fa59
責任の行方 敦賀市処分場問題<2>
【「負担や割合根拠は?」搬入団体 強い不満】
9搬入団体による会合では、負担額の算出根拠などへの不満が
相次いだ(22日、東京都千代田区で)
「適切な責任を果たせなかった福井県と敦賀市、
そして搬入団体は同じテーブルにつくべきだ。
その席で十分に協議し、皆が納得した上で、
負担額を確定させることを望みたい」
東京都千代田区の全国町村会館で22日に開かれた会合。
南那須地区広域行政事務組合(栃木県)の
大谷範雄組合長(同県那須烏山市長)の発言に、
出席者らは一様にうなずいた。
集まったのは、敦賀市樫曲の民間廃棄物処分場の環境対策工事費の
一部負担を同市から求められている全国18府県の自治体や
広域組合の計60団体のうち、7県9団体の関係者。
いずれも高額請求されており、不払いの方針で一致。
市側との交渉に当たる連絡協議会の設立を目指すことも決めた。
~読売新聞より一部抜粋~
その那須では、産廃の大型処分場問題で大きく揺れているところ・・・
とにかく、150もの処分場が点在する産廃銀座でもある・・・
視察に行く予定も1年近くのびのび・・・
来年こそは、いくぞー・・・
那須高原の処分場問題を調査しに・・・
『ニキ美術館』
http://www.niki-museum.jp/
http://www2a.biglobe.ne.jp/~nasu/art/niki/niki.html
~Wikipediaより~
ニキ・ド・サンファル
(Niki de Saint Phalle, 1930年10月29日 - 2002年5月21日)は、
フランスの画家、彫刻家、映像作家。
本名カトリーヌ・マリ・アニエス・ファル・ド・サンファル
(Catherine Marie-Agnes Fal de Saint Phalle)。
パリ生まれ。母はフランス人、父はアメリカ人。
1933年に家族そろってアメリカ合衆国に移住した。
アメリカでは転学を繰り返すが、在学中よりモデルとして活動している。
18歳のとき(1949年)、後に作家となる幼なじみの
ハリー・マシューズ(Harry Mathews)と
親の反対を振り切って結婚(1960年離婚)。
正規の美術教育は受けていないニキであったが、
1952年にパリへ戻って以降、作家たちと交わるようになる。
23歳のとき(1953年)、精神療法の一環として絵を描き始める。
南欧旅行で美術館や建築に接した感銘が、
彼女の作家志望をかきたてたともいわれる。
ニキの初期の作品はハノーファーの
シュプレンゲル美術館に多く収蔵されている。
若描きとはいえ、のちのナナ・シリーズに代表されるような
ニキ作品を十分に予告するものとなっている。
離婚後、ジャン・ティンゲリーと暮らすようになったニキは、
1961年に「射撃絵画」の発表で、一躍ヌーヴォー・レアリスムの
重要なメンバーと認められるようになる。
センセーショナルなデビューを果たしたニキであったが、
「射撃絵画」からは急速にはなれ、立体作品に傾斜しはじめる。
1965年、パリで最初の「ナナ」が展示される。
いびつに太った大柄女性が踊っているかのような風変わりな造形は
友人の妊婦の姿からヒントを得たとされる。
そのユニークなフォルムは、原色を多用した斬新な彩色とともに、
その後のニキのトレードマークとなり、
世界各国の広場などに設置された。