本ブログの初期に掲載した記事で、「民主主義の賞味期限」シリーズは、今でも多くの方からアクセスを頂いています。改めて再掲載したいと思います。
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我々は歴史教育の中で、古代民主主義が理想に溢れていたと習った一方で、その崩壊過程については詳しく教わっていません。古代民主主義が廃れていった歴史の実態は、数多くの優秀なリーダー達が、初期民主主義の日々の運営に苦労した挙句、プラトンなどは「こりゃ駄目だ、衆愚政治だ!」と断じたように、有力貴族との共同統治手法である共和制という形で延命したのち、結局は、独裁制である帝政へと変貌することで、その儚い歴史を閉じることになります。
私は近代民主主義も同じような変遷を辿っていると考えています。民衆の不満が爆発して革命を生んだ直後は、当然ながらガバナンスは安定せず、数多くのリーダー達が短期間で入れ替わります。そして多くのリーダー達が、クロムウェルやロベスピエールのように、混乱の中で命を落としていきます。
民主主義が安定し始めるのは、財力・知力・権威を兼ね備える貴族階級/上層階級の一部が、自由と国民主権の考え方に共鳴して、これを支え始めてからになります。彼らは、時代によって、「元老院」という名だったり、あるいは「貴族院」、あるいは「上院」のメンバーとして、民主主義を支えていきます。
また、彼らは、一般市民との間には気の遠くなるほどの経済格差を有していながら、不思議なことに、市民からは誹謗中傷の対象にならず、むしろ民衆の尊敬を集める存在でした。その理由は、いざ国外との戦争となれば、彼らが真っ先に参戦して命を捨てる覚悟や責任を宣言する存在だったからです。この精神こそが「ノブレス・オブリージュ」です。
民主主義を安定させるためには、優秀な政治的リーダーを安定供給させるためにも、教育が行き届いた、ある程度の上層階級の形成が必要になりますが、そのような特権階層を一般市民に是認させるための前提条件が、この階層の「リーダーとしての矜持や自己犠牲の精神」、すなわち「ノブレス・オブリージュ」なのだと自分は理解しています。
しかし、21世紀の今日、各国をリードする政治家・官僚・企業経営者・富裕層の中に、このノブレス・オブリージュの精神がどれほど残っているのでしょうか?
一般市民から見て、ノブレス・オブリージュの精神がほとんど感じられなくなったことが、現在のポピュリズムが蔓延する原因であると私は考えています。(続く)