世の中、哲学本や、歎異抄などの宗教本が売れているそうです。「人は何のために生きているのか?」という問いかけに、多くの人間が歩みを止め、自らの存在する意義を考え抜くことで、新たなイノベーションを生み出す力になるとのこと。
しかし、誰もがスティーブ・ジョブズや安藤百福のようなイノベーションを引き起こせる訳ではなく、殆どの人間はむしろルーティンワークに身を埋め、黙々と働く日々を過ごします。そこに「人は何のために生きているのか?」を問うていくのは、非常に残酷な行為にも思えてきます。
ところで、我が家で同じ問いかけを妻にしたところ、「私には迷いはございません」とのこと。「私は、うちの猫(もなか姫)に奉仕するために生きているのです。何の迷いもなく、毎日幸福感に包まれております」との返答。
そう言えば、うちの猫は、私がクリーニングが終わったスーツをおろすと、必ずズボンの裾に自分の毛を着けに来ます。それは「自分の所有物」だという刻印なのだそうで、私は彼女の所有物(エサを持って帰ってくる奴隷のような存在)ということのようです。それはそれで大変光栄だと感じているので、私の感覚も妻のそれと殆ど同じと言って良さそうです。
そうか。私はうちの猫のために生きているのか! 何だか、幸せな気分になってきました。