香り工房"結"のKatoです
あの日、私は会社で遭遇しました
1ヶ月ほど前から、体調の変化が始まりました
職場のみんなの携帯から一斉に警告音ととももメッセージが表示されました
東北から揺れが届くまでの時差
そして、激しい揺れが始まりました
職場の人たちはほとんどが呆然としています
私は机に潜りながら
「これは本物よ!!早く机の下に避難して!!」と叫びました
ようやく我に返った人たちが机の下に避難
私は携帯で福島に住む友人にメール
近郊の友人はすぐにメールが戻ってきて無事を確認
幸い、30分後福島の友人も無事を確認
友人は車で帰宅
すると、部屋の中は朝と全く同じ風景
棚のものが散乱するでもなく、静かにそれらは友人をいつも通りに迎えてくれたそう
幸いご家族に怪我はありませんでした
でも、原発の現実と度重なる激しい余震が家族を苦しめます
友人は眠れなくなり睡眠導入剤を使うようになったそう
それを話してくれたのはだいぶ経ってからのことでした
テレビやラジオのスイッチを切れば、あの日のことを忘れてしまう
でも、今も家族を失い、住み慣れた家や農業、漁業などできない人々がたくさんいます
そのことを忘れない
このご飯を食べる時、この作物を作ることを許されない人々がいることを忘れないように
友人はいつも私にお米を送ってくれます
さらっと言う言葉
ちゃんと放射能検査済みだから。。。。
、
あの日が来ても来なくても変わらず、いつも感謝を込めていただきます