晒しの仕事という言い方が一般的かどうか覚束ないが、お客の目の前で作業して品を提供する仕事のことだ。鮨屋屋や天麩羅屋などの食べ物屋に主に使うようだが、医者も入ると思う。
贔屓にしている懐石料理のKは椅子席と座敷だけでカウンターが無い。大きな店ではないし、もう一つ客足が伸びないようなので、カウンターはと話してみたことがあるのだが、女将さんは主人はちょっとと晒しの仕事には向かないようなニュアンスの返事をした。ああ、そういえばそうだなと思った。仕事を見せること自体にさほど抵抗がなくても、客と話をするのが苦痛な料理人が居るのだ。
確かに、職人気質と言えばどちらかと言えば無口なイメージがある。勿論、職人さんも仕事のことについては上手に話を持ってゆけば結構話をする、というのは仕事については語るべきものを多く持ち合わせているからだ。しかし、世間の話題にあれこれ微かに客の顔色をうかがいながら、逸らさず話すのは苦手という人は多そうだ。
そうはいっても鮨屋は否でも応でもある程度客と話をしなければならない。黙々と鮨を食べて帰る客から、飲む方が主でスポーツ芸能から政治まで言いたい放題の人まで、仕事をしながら上手に相手をするのは、とても難しいと思う。
当地で一番の鮨屋Sの親父は素晴らしい人で、極上の鮨を適度な会話で食べさせてくれる。成功にはやっかみが付き物で高いとかとやかく言う人が居るが、満足度から行けば決して高くなく、いつもにこやかな平常心で迎えてくれる。年に二回ほど行くだけで、常連と言うほどでは無いが丁寧に常連扱いをしてくれるので嬉しい。先日も田舎から幼馴染みが商用で来るというので、予約しておき訪れた。岐阜の田舎の話にも的確な知識があり、上手に相槌となるほどの質問をする。彼はほろ酔い上機嫌となり、いやあ御馳走になったとご満悦で帰って行った。
私も観察をするのが商売なので、自然気が付いてしまうのだが、お客の好みペースをあっという間に把握して握ってくれる。お茶の減り具合酒の減り具合もわかっている。そうした気配りが自然にされるので触らない。嫌みでなく、微かにどう旨いでしょという無言のメッセージが伝わってくる。何より楽しそうに仕事をしているのがいい。
自分も晒しの仕事をしているが遠く及ばない。負け惜しみで午前中十数人の患者で左団扇なら、わしにも出来ると嘯いている。