G7外相会議の写真を見ると8人写っているうち4人が女性だ。これは閣僚に5人女性を入れて、どうだ沢山入閣させただろうとアッピールした岸田首相が歴史と世界の常識を知らないことを明白に示している。批判されると「女性ならでは」は多様性の大切さを強調したなどと説明するが、それは後付けの回答にすぎない。
内閣改造は支持率と選挙対策のためにやられたように見えてしまう。米国資産家の日本の政治家は選挙対策しか考えていないという批判は当たっている。もう一つ、党内基盤強化党内不満軽減という側面もある。国民不在と言いたくなるが肝心の国民は大人しく利益誘導に弱く、政策に無関心の人も多いようだ。
岸田首相は凡庸に見えても、悪や狡には見えにくい。しかも批判に鈍感でいきり立ったりしない。財界や官僚を敵に回すことはしない。「女性ならでは」への批判を大合唱にしない。凡庸の天才なのかもしれない。古びた志位、凡愚の泉、悪の馬場、才走る玉木では太刀打ちできないのではないか。しかし国民の一人としてそれでよいだろうかと申し上げたくなる。