久しぶりにクローズアップ現代を見た。国谷裕子さんがカイロのタハリール広場からアラブの春を総括してリポートしていた。
血が流れる激しいデモを見れば春と言うより春の嵐の方が正確な表現に思えるが、この地域の長期独裁政権打倒から民主化への動きがどのように展開収束するのかは非常に気懸かりである。
総括の前にトルコ首相主席補佐官のインタビューがあったのだが、思慮深く時空を見極めながら、この春の嵐を共栄へ収束させようとする強い意志を感じた。日本の外相には到底語れない哲学的でさえある表現力と説得力に、ひょっとしてトルコが牽引してこの危機を実りある前進に導けるのではないかとさえ思った。
勿論、国谷さんのインタビューが適切であるのも手伝ってはいるが、力強く思慮深い返答には恐れ入った。重箱の隅をつつく質問に慌ててとちる日本政府要人のお粗末が連想され、うらやましく感じた。日本の野党質問者も答弁する大臣もトルコ首脳の爪の垢を煎じて飲むといい。
十年見ぬ間にトルコ豹変、エルドアンは二十一世紀のアタチュルクなのかもしれない。
哲学的な表現と説得をすると、具体性の無い大風呂敷とメディアは書き立てます。メディアが如何国民に伝えるかという前提で政治家が口を開くと 平易で尻尾を踏まれないような声はすれども意味不明瞭になるのだと思います。
政治家の発言を意の通り伝える事をしないメディアの責任は大きいと思うのですか。
中近東の春には希望の息吹もあるようですが、極東のくすぶりはどうも心配ですね。
日本の政治家と比べると・・・現在の日本には政治屋はいても政治家は絶滅危惧種になったように思えます。
どうもトルコなどと言うと侮る向きもあるようですが、違いますね。
が出てきました。
本サイトも 限りなく時空間が広がって参 りますネ。
国谷裕子さんのクローズアップ
観ておりました
日本の政治家も
もっと勉強ほしいものですね