駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

境目に目が眩む

2012年10月18日 | 小考

           

 田舎に境川という川があった。どことどこの境かよく憶えていないが隣村との境になっていたのだろう。というよりはそれを境にしていたのだろう。

 今も曖昧な領土の境目で揉めているようであるが、遡れば江戸時代・・平安時代・・弥生式時代になり、石器時代から人類以前の恐竜・・無脊椎生物・・多細胞生物の時代となりついには真核生物が主役となり、アメーバが竹島はワシの領土と言い出すだろう。

 私利私欲の絡んだ境目は人為故に揉めれば果てしないことになるのだが、国境で争うのは人類不治の病だろう。私は国の境目ではため息は出ても目は眩まない。血を流して守れなどという人が居るが、先ず自分でやって見せて頂きたい。ひょっとしたら後に続く人が居るかもしれない。他人に強いるのは止めていただこう。巻き添えは御免だ。曖昧模糊の現状はやむを得まいと思う。

 境目を考えて目が眩むような気がするのは、マクロとミクロの境と個性と無個性の境である。人間原理が働くので自分の大きさが中心になるのだが、倍倍倍・・のアンドロメダ星雲から半分半分半分・・の水素原子まで、一体どの辺りから運動の法則が変わるのだろうか。境目があるように見えて境目はないのだろうか。

 人間には寿命があり、死すべき存在の私という自覚がある唯一の生物らしいが、細菌レベルまで行くと個性はなく死んだんだか殖えたんだかわけが分からなくなる。一体どの辺りから個の死が生まれるのだろうか。恐らくどちらともとれる緩衝地帯を経ていつの間にか境目を越えるのだろう?、幽明の境はそうしたものかもしれない。

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