駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

汗牛充棟

2009年10月06日 | 身辺記
 汗牛充棟とまでは行かないが本に埋もれて生活している。写真は書斎の右手で主に仕事に関した本が置いてある側、左手と後ろにも本が迫っている。十年前引っ越した時、忍び難かったが千冊くらい捨てた。ほとんどは二度と読まない本だったと思うが、確実に脳味噌の一部分が失われた。書名を見ても碌に何が書かれていたか思い出せないような本でも、脳外の記憶場所としての位置があり、書庫にあれば記憶媒体として働いていると失ってから実感している。
 新築する時、図書室を作りたかったのだが、妙な遠慮と染みついた節約精神から諦めてしまった。二度とない人生を自ら狭めてしまったと後悔している。しかし心の何処かで、そうしたことは往々にしてあり、分相応に夢は叶えないのが宜しいと何者かが囁いてもいる。
 小説はほとんど読まなくなっていた(一部の作家を除いて)のだが、ブログを読み書くようになって、また少し新趣向のものを読むようになった。宣伝はほとんど眉唾と思っているが、ブログの感想はおおそうかと食指が動く。
 読むばかりでなく、読まれる物をと還暦になったら小説を書こうと思っていたのだが、一向にその気配もなく過ぎてきた。臨床医は細事に忙しく、何かを捨てなければ別のことをすることは難しい。尤も細々ではあるが絵は描いているので、あるいは物書き教室に通えば可能かもしれない。要するにその才能と動機に欠けるらしい。
 さほど多くはないが書籍の他にいくつか目を通すブログもあり、書斎に座ってあれもこれもと思う間に睡魔に襲われている。
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