杉本裕太容疑者が二日間の逃走後捕まった。逮捕時の様子については、抵抗と否抵抗とに別れている。どうもこうした事件の報道はちょっといい加減な感じがする。根拠確認のない興味本位の展開も書いているようだ。
携帯電話のメカニズムを知らなかったとは粗暴犯とその仲間達という感じがしてしまう。勿論、メカには弱くても対人には強く度胸が据っており、トイレで脱走路を頭に入れ腰の縄が緩んだから見てくれと罠を仕掛けたのだから悪智慧は一流のようだ。
粗暴犯と何だか知性が足りない乱暴者と馬鹿にしたように書いたが、犯罪者だからそう書いただけで、膂力や勇気を貶めているわけではない。アテネとスパルタを持ち出すまでもなく、知力と胆力、脳力と体力は等しく困難を切り開いてゆくのに必要な力なのだ。ここで徳川慶喜を持ち出しては物議を醸すかも知れないが、かの人は知力に優れていたが胆力はもう一つだったようだ。歴史に「もし」はないから、無用な詮索かも知れないしそれで良かったのかもしれないが、武の人であれば多少歴史は違っていたかも知れない。
杉本裕太容疑者には逃亡したので罪は重くなるかも知れないが、更生の道を歩ませ肝っ玉が生きる仕事に就かせてやりたい。
慶喜の評価については、彼が水戸出身という事に大きなキーワードが有る様に思います。光圀公以来の皇道派の代表の様な家柄は 少なからず皇室への畏敬の念が強かったのではと考えます。国を二分するような内乱にもならず 明治の近代国家構築の礎という見方をすると慶喜の評価の多面性が見えてくると思います。 物事上手にCLOSINGの出来る人は出色の人と思います。
司馬遼太郎氏の≪最期の将軍 徳川慶喜≫には、大政奉還を和宮を含む大奥の女性達 に説得説明する下りが有りますが、武骨な余人には出来ない遣り取りだと 司馬さんの筆で書き顕われた慶喜が 時代の要請で出てきた人の様に思いました。歴史に若しは有りませんが、結果オーライで評価する人かと 無用の詮索を致しました。
彼は悪事に走らなければ、良い仕事が出来る男の様に思います。世の眼はきついでしょうが、未だ二十歳ですから、更生は可能でしょう。