隙間風と言えば冷たいと相場は決まっていたのだが、今夏は隙間熱風で戸惑っている。診察室を密閉というのはドアの開け閉めもあるし多少臭いの問題もあるので好ましくなく、ほんの少し窓を開けてあるのだが、そこから熱風が吹き込んでくる。これでは隙間風の意味を変えないといけないかもしれない。隙間風を捜すどころか無理やり吹かせている芸能記者も、思わぬ隙間風で仲直りと書き方を変える必要が出てきた。
平成の終盤になり深みのある言葉の意味が変わるというか形骸化してきた。ついこの間まで真摯にと聞けばしっかり取り組んでもらえると感じたものだが、昨年あたりから真摯はその場しのぎの煙に巻く言い回しになってしまった。真摯は紳士の言葉ではなく、口先でまやかす政治家の常套句となり下がった。
正直で公正がその意味と意義を吟味されることなく、異議はけしからん個人攻撃ではないかというすり替えで逆に非難されてしまう本末転倒がまかり通ってしまう。中身を検討議論するのは不利と見るや、包み紙の色が不愉快、紐の結び方がへたくそと箱を開ける前に退ける戦略に出てくる。人間社会でも朝三暮四が有効なのだろうか。
エッセン、デンケン、アルバイテンが生きてゆく要諦と教授に教えられたと父がよく言っていた。世の中からデンケンが失われては鼎がひっくり返ってしまう。若い人が新聞を読まなくなったと聞く、週末だけでいい、読売朝日毎日日経を順繰りに読んでいただきたい。勿論、その地方地方の地方紙にも時々目を通して欲しい。デンケンの手がかりとなる。