走馬燈のように記憶が甦ると言う。今では走馬燈を見たことのある人は殆ど居まい。私もうっすら子供の時に見た記憶があるばかりだ。走馬燈のように思い出される記憶は、昔見たことのある品物や街並みなどに触発されて浮かび上がる。
そうではなくて、この頃眠りにつく時など、なぜそんなことが突然思い出されるのだろうかという光景がぱっと脳裏に浮かぶようになった。殆どが五十年以上昔のことだ。おそらくその時何か心を動かされたのだろうとは思うが、思い浮かんだ場面は特別なものでないことが多く、T君の家に自転車で向かう街角だったり、庭先で拾ってきた錆びた鍵をF君に見せていたり・・なんだか奇妙なそんなことがあったなという記憶だ。
懐かしいというよりもなんでそんなことを急にと不思議な気がするのだが、そのうち寝てしまう。自分でも気が付かないきっかけがあるのか、あるいは脳が古びて暴走を始めたのかよく分からない。旧いアルバムを出鱈目にめくって,出てきた写真を見せられるような感じだ。
これが老化の兆しかどうかは分からないが、こうした記憶が脈絡なくどんどん浮かぶようになると、ちょいとやばいのかも知れない。しかしまあ、思い出すというのは時空を一瞬に飛び越える脳の働きで、考えれば摩訶不思議で有り難い能力だ。記憶は変容するとか自覚しないうちに操作されるとか言われる。確かに、昔の写真をみるとあれ一寸違うなあと感じることもあるが、記憶の中に生きているのは確かで、人生は一度きりと言われながら記憶の中に何度も生きているのかも知れない。
県庁所在地の病院と地方都市の病院とでは、医療格差がひどすき゛ます。
お医者さんの適性を持った医師がいません。
代々お医者さんの家柄で、イヤイヤ医師になった医師ばかりです。
代々医者の医者が適性に欠けると言うことはないと思います。周りを見回して、良い所も多いと実感しています。