駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

問診の変容

2008年10月22日 | 診療
 40年前内科診断学の講義でオスラー先生の言葉:Listen to the patient, he is telling you the diagnosis.(患者の言葉に耳を傾けなさい。患者は診断を告げている。)と共に問診の大切さが説かれた。病気の診断は問診で7,8割付くものだ。診察では分かるのは2割程度、検査は確認のためにやるものだと聞いた記憶がある。
 正直、医学生にはなかなか納得しかねる内容だった。どうして初心者にでもできそうな話を聞くことがそんなに重要か、よくわからなかった。プロフェッショナルらしくない感じがして、技術を要する診察や知識の必要な検査の方が重要で価値があるように思えた。
 問診の重要さがわかるには10年掛かる。十分経験を積むと、なるほど問診で診断が付くなあと思えるようになる。その最大の理由は不必要な可能性を除外することが出来るようになるからだ。曖昧のようでも聞きただして分け入れば、問診によって病気を絞り込むことが出来るようになる。
 現在、医学部の内科診断学の講義でどの程度問診の重要さが説かれているか知らない。今も問診の重要さは変わらないと思うが、時代と共に受診動機や人間の精神状態に変化が出てきたので、40年前とまったく同じとは言えなくなった気がする。
 昔から精神科領域の患者さんが内科を受診することはあったのだが、今は病気なのだろうかと思える人の受診が増えてきている。話を聞いていくと、それってひょっとして愚痴じゃないのと言いたくなるような訴えや健康診断代わりに受診したような患者さんがおられる。問診だけでは全く異常ないと言い切ることはなかなか難しい。やや不本意であるが、健康診断的な検査をせざるを得ない。殊に何かあれば、たとえ直接関係なくても非難しようと待ちかまえるような社会状況では。 
 問診の意義が、日本人の心構えや社会状況の変化によって、若干揺らいでいるのには複雑な思いがする。 
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私鉄沿線の印象

2008年10月20日 | 
 電車に乗るのが好きだ。地下鉄も悪くないがやはり外の景色が見える路線がよい。秋の好天、先頭車両の運転手の後ろなどは最高だ。いい年をしてと思うが、時に銀色に時に鈍色に変化しながら伸びる鉄路が車両の下に吸い込まれてゆくのを見ていて飽きない。以前は背伸びしてやっと前が見えるような坊主どもと場所の取り合いをしたものだが、この頃は競争相手の子供達は少なく、悠々と陣取れることが多い。
 国鉄今はJRか、も悪くないが、どうも車体が大きく沿線の街並みも取り澄ました感じがして私好みではない。
 庶民の息づかいが聞こえるような軒先をくぐり、ガタゴトとのんびり郊外へ向かう私鉄沿線を眺めるのが私の趣味だ。駅前商店街もこじんまりとして、夕方灯がともり始めた頃、遮断機の警報音がぽわーんぽわーんと響く人住む町の風情は郷愁を誘う。そこには敬愛味読する川本三郎さんの世界が展開されているに違いない。
 最近は人件費節約のためかワンマンカーもあり、運転手の仕事も増えたようだ。何となく後ろで見ている客が気になる運転手も居て、ちらっと視線を感ずることがある。そうゆう運転手に限って確認動作がちょいとおざなりで、ちゃんと声が出ていない。一瞥なんぞ気にせず、ますますぬかりなく観察してやる。
 江ノ電や井の頭線は下町というのではないが好みだ。大津市内の京阪もいい。まだいくつかお気に入りの路線があるがそれは又いつか。それに私の知らないのんびり楽しく懐かしい私鉄路線も数多いだろう。
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ノーベル賞余話

2008年10月20日 | 世界
 今年は日本から科学部門で4人のノーベル賞受賞者が誕生した。素晴らしい。南部さん以外の名前は存じ上げなかった。そのせいか南部さんは別格の感じを受ける。業績が確立してからの受賞なので何十年も前の仕事が対象のようだ。それだけ先見性があったということなのだろう。
 物理学賞の受賞業績はなぜ世界が生まれたかを説明する理論に関係するもので、その鍵は対称性の破れがあると無に帰さないところにあるようだ。残念ながら私の高校レベルの物理能力では十分には理解できない。素人向けの解説書を読めば分かった気がするのだが、具体的な方程式の問題を出されても解くことができない。問題を解くことが出来ないとどうしてもきちんと分かった気がしない。
 ただこうした理論を読みかじると、質量というものが今までの理解と違って感じられるようになる。日常的には質量は重量として感じられ、重量は存在感へと連想が働くせいか、存在の証明のように思っていたのだが、それは人間の感覚の都合で質量のないものも存在する。質量はエネルギーや運動との関係の中で決まって来るものらしく、どんなに小さくても動きにくいと質量が生ずるらしい。対象性の破れがほんの僅かでもほとんど無限が合わされば、塵も積もって宇宙になる。
 それにしても、宇宙の起源の話になると、なぜ人間の祖先は神が最初に光あれと命じたのを知っていたのだろうと不思議に感じる。普通の人間は光が唯一特別な存在とは思わないのではないか。基本的な物としても風や水や土と同格のものに感じていたと思うのだが。
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診療は流れに沿って

2008年10月19日 | 診療
 冬季、風邪の患者さんが多いと一時間に20人近くの患者さんを診る。普段は一時間に10人前後だから倍だ。どうしてそんなに速く患者さんを診ることができるかといえば、それは仕事の手順と道筋が確立しているからだ。聞こえは悪いが、ある程度流れ作業で診療できる。勿論、それには医師に十分な経験が必要だし、職員も仕事を熟知している必要がある。
 総合病院では医療の効率化、質向上と事故防止などを目指して疾患ごとに入院後の検査処置投薬などの医療手順表を時間軸に従い作成している。これはクリティカルパスと呼ばれ、各職場のエキスパートが知恵を絞って作成したもので、その病院のノウハウが詰め込まれている。
 当院では殊更そうした名称の作業ティームを置いていない(院長を入れて7名しか居ない)が月に一度全員でミーティングを行い、診療手順患者対応などを工夫している。知恵を絞ったつもりでも色々不備があり、ニアミスや患者の要望に対応して改善し、現在はかなりの完成度となったと自負している。この流れに沿って溢れる患者さんを手際よく診療できた時は疲れてもよく働いたと、気持ちが良いものである。
 しかしながら病気の、あるいは病人の特性だが、この流れから外れた緊急や重症の患者さんが来院されたり、常識のない自分最優先の患者さんが紛れ込むことが結構あり、どっと疲れる日も多い。今度の冬はそうした日が少ないことを願っている。
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柿に赤い花咲く

2008年10月17日 | 自然
 垣に赤い花咲くを、柿に赤い花咲くと思っていた。子供の頃、柿に赤い花って変だと思い、確か小学校の担任(聞いた相手は定かでない、母かもしれない)に聞いたら、あれは熟した柿の実が赤く見えるからそう唱ったのだと教えられ、ずっとそう思ってきた。そしてそれは、いつかのあの家(祖父母の家)に実に見事に写るのだ。今更、夢に帰る思い違いを正す気はしない。
 母の生家は単線電車で30分ほどの田舎で、子供の頃はまだ祖母がまだ生きていた。小学校の頃は時々週末、一人で電車に乗って従兄弟達の居る祖母の家に行ったものだ。駅から子供の足で20分くらいの田んぼの中にある大きな田舎家で、秋には庭の柿の木に赤い実が一杯成って、青い秋空の下で私を待っていた。
 済んだ秋の空気に赤い柿の実は遠くから視認しやすく、束ねられた稲の黄色に映えて美しい。日本の秋の懐かしい原風景の一つだ。
 
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