駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

大前研一の日本の論点を読む

2015年03月11日 | 

                 

 大前研一の名は二十年ほど前から目にしていたと思う。しかし、著書を手に取ることも主張に耳を傾けることもなかった。所謂、日本的な感覚から毛色の変わったあるいは主流でないものを感じたからだろうと思う。まあ、多少本は読んでも、医療しか知らない人間だったわけだ。しかし還暦を過ぎても人間は変わりうるというか、青春に回帰すると言うべきか、医療以外のことに目を向けるようになり、守備範囲も広くなった。

 日本の論点という本は大抵は個人ではなく、複数の専門家が書いた形式の物が多い。正直、そうした形式のものは通読して理解するには不向きで、興味あるところを拾い読みにしたほうが分かりやすい。

 大前研一の日本の論点はこの人が紐付きでなく自由な立場から物を考えているというのがよく分かる本で、所謂右寄り左寄りなところが綯い交ぜになっているが、大前研一という個人の統合性があるから矛盾なく、とても分かりやすい。それこそどこかの首相よりも俯瞰的に歴史的に物を見て考えている。それに科学的な力があるから、経済評論家とは一味違う見方が織り込まれている。私などはぼんやりと思い描いていた考えに明確な形を与えられた所も多く、成る程と目から鱗で読んだ部分も多かった。、

 どうしてこうした分析と考え方が世に浸透しないかと思うのだが、それは私が嘗て染まり始めていた毛色の変わったというだけで退ける感覚、主流でないと感ずることで軽んじる感覚が多くの日本人に染み付いているからだろうか?。ラディカルな考え方は自らの身を危うくするから遠ざけるというのは分かるが、なぜ猫も杓子?もそうした考えを持つのか不思議だ。

 本の内容は紹介しない、下手な内容の紹介は役に立たないと思う。手軽に読めます300ページ1700円プレジデント社。

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白鳳と近藤誠

2015年03月10日 | 小考

              

 白鳳がマスコミに叩かれている。最近は態度が悪いと言った非難が多いようだ。そこでなぜ近藤誠が出てくるか不思議に思われるかも知れない。白鳳がこれからどうなるか未だ分からないが、既に近藤誠現象が認められると思う。

 これ以降は私の推論なので、どの程度当たっているかは分からない。近藤誠をぼろくそに言う医者は多い(私もおかしいと思う)が、近藤誠が100%間違っているわけではない。盗人にだって三分の理がある。まして医師の近藤誠には三割かどうかはわからないが一定の理がある。ぼろくそに言う人は賛成しないだろうが、癌診療に何某かの貢献もしている。それがなぜこうした噛み合わない非難の応酬になったかというと、闇雲に叩いたからだと思う。叩いた方は当たり前と思っても叩かれた方はよく読みもせず問答無用と叩かれたと感じる。そうこうして拗れると意固地になるのはよくあることで病膏肓に入ってしまった。

 白鳳も同じ轍を踏みつつある。こう言っては悪いが相撲協会は知恵が足りないというか自信が足りないというか、マスコミの近視眼的非難を放置したために、白鳳は自分の言い分を全く無視した叩きに意固地になってしまった。モンゴルから来たこの青年に私は大いに同情する。マスコミは叩く対象と叩き方を違えている。もっともこれはよくあることで、不治の病かも知れず、藪医者は匙を投げた方がいいかもしれない。どこかに大鵬の記録に並んだことに対する不満もあるように思う。そうとすれば王や大鵬が当初どう扱われたかを憶えている者には余計にすっきりしない感じが残る

 多勢に無勢で叩けば叩かれた者には叩かれた事による変化と反応が起きるということを海千山千の記者が知らないとは思えない、他人の不幸は蜜の味で売れれば良いということだろうか。

 私ごときの言葉では笑止千万と言われよう。学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し思うて学ばざれば則ち殆(あやう)しと孔子の言葉を引用しておこう。

 

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怪しげな者ではござらぬ?

2015年03月09日 | 身辺記

               

 時々旨いもの発見のために新しい店に入る。カウンターに座りお決まりの内お値段の安いメニューを戴く。まずまずの味だともう一度訪れることになる。元来無口なせいか、勤め人には見えないせいか、不思議な客という印象を与えることが多いらしい。先日まずまずの店を見付けた。本当に合格かどうか、もう一度訪れてみた。二度目だと言うことがすぐ分かったようで、それとなく何をしている人間かを探るような質問をしてくる。まあ、適当に言葉を濁していたら、「言っちゃあまずいお仕事ですか」とまで言われてしまった。そうだと言いたかったのだが「言うほどじゃあないので」とはぐらかしてやった。

 大した店でなければそれでお終いなのだが、中々の味だったから困る。素知らぬ顔をして三度目を食べに行く。今度は当たり障りのない話を少ししただけで、やれやれと先に店を出る。女房が支払いの時「お名刺をと言われたわよ」という、「生憎持ち合わせないので」と断ったけどとあきれている。

 余程怪しげな人物に見えたのだろうか?。何十回も通う馴染みの店でも私の名前しか知らない店もある、聞かれてぼんやりと答えればそれ以上聞いてこないものだ。いつか問わず語りにわかればそれで良いではないか。患者さんにもそうしている。困った?大将だ。

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安野光雅を読む

2015年03月08日 | 人物、男

                

 安野光雅が好きで二つの画集と一枚の版画を持っている。中でも風景画が好きで診察室には手に入れた版画が飾ってある。院内の絵は季節によって架け替えるのだが、診察室の絵はこの一年安野さんの絵で通した。

 安野さんはテレビで拝見したこともあるし、FM放送の日曜喫茶室でおしゃべりを聞いたこともある。

 鷹揚芒洋とした外見とのんびりした朴訥な語り口で、絵の印象に違わない。

 その安野さんが本を書かれた。「皇后 美智子さまのうた」。勿論、何よりも皇后様の歌が優れ素晴らしく、短歌の素養はない私も深い感動を覚えたのだが、皇居に最良の声のあることを教えてくれた安野さんの筆にも感謝したい。

 天は二物を与えずというけれども、絵に勝るとも劣らない文筆の才能、画伯には褒め言葉にならないかもしれないが、を感じた。これで二枚目のいい男なら許せないところなのだが、ご本人の反論もありそう、感心し迂闊にもよく知らなかった皇后様のうたを教えて下すったのを感謝したい。

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介護医療を支える人達

2015年03月07日 | 医療

                   

 先進医療には光が当たりニュースになりやすいが、老人介護医療を支える人達にも光は届いているだろうか?。折しも介護保険料が引き下げられた。予算不足でやむを得ないという政治家は何と言ってきただろうか、厳しい現実をその場限りの言葉でまやかす政治家を淘汰していかねば、黙々と働く人達の肩に荷が食い込むばかりだ。

 Y子さんが亡くなった。末期癌だったのだがご家族の決断で自宅に戻られていた。訪問看護師のNさんが終わりの報告をくれた。

 「Y様の訪問に関して、数々のご指導ありがとうございました。最期まで痛みの苦痛はなく安らかに旅立ってくれて、自宅に戻ってきてよかったとご家族が言われておりました。 又、何度も先生に足を運んで戴いた事も大変感謝されておりました。今後ともご指導よろしくお願いいたします」。

 誠に有り難い言葉だ。私のしたことなどご家族や訪問看護師の人達に遠く及ばない。往診といっても七、八分居るだけだし、清拭をするわけでも下の世話をするわけでもない。ご主人は物を言えなくなったY子さんにも、「Y子」と呼びかけ、最後まで隣で寝ておられた。

 地道に生きておられる方達は光が当たることを望んでおられないかも知れない。しかし、しゃしゃり出る人達や不善を為す人達ばかりに注目するメディアとそれに目を奪われる人達に気付いて戴きたいこともある。厳しい現実から目をそむけず、自ら考え、手を出して支えあわなければ、潰れてしまう。

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